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支流からの眺め

コロナ禍における総裁選挙-雑感(続き)

 武漢コロナウイルス感染症(WARS)の流行は、9月に入ってから理由がよく分からないまま急速に萎んできた。これと対照的に、久々に自由民主党の総裁選挙が盛り上がりを見せた。実力の伯仲した3名と、やや実力不足な1名が戦った。先のBlogで予想した通り、本命の岸田文雄氏の完全勝利(一次、二次選挙とも首位)に終わった。思いつくままに、選挙戦と岸田氏に関する印象を述べる。

 今回の総裁選挙では、今までにない徹底さで、公開の場で相当の時間をかけて政策論争が行なわれた。相対する意見が出て、討論が繰り返された。その中で、候補者の無知・無定見・一貫性の欠如が露呈したこともあった。米国の大統領選挙にみるような、講演会の度に候補者の政見が明確になり、政治家としての姿が磨かれてくる過程であった。誇張かもしれないが、原石を磨いて宝石の輝きを生むに似ていた。

 総裁選挙は公職選挙法の適応を受けない。だから、裏でどのような取引があってもおかしくない。札束が飛んだ、要職を餌に取引したなど、野党の言う「自民党の古い体質」があったかもしれない。しかし、約10年間の安倍政権と(おまけの)菅政権の期間は、このような伯仲がなく、政策論争も緊張感が欠けた。より古くは2、3名の実力者が戦ったこともあるが、ここまでの論争はなかったように思う。

 改めて、日本の民主主義(少数の意見を尊重しながら、多数者の意見を反映する政策を行う)を支えているのは、自民党内の派閥争いであることを実感した。この点、野党はほとんど意味がない(政策の推進に貢献せず無責任に批判するだけ)。この作用が健全に作用するには、選挙区内でも派閥争いが行なわれる必要がある。その意味からは、小選挙区制度の改変(中選挙区への復元)が必要である。

 さて、次期首相(100代目!)が約束された岸田氏である。氏は他人の意見を聞くのが特技だそうである。調整的な指導者を目指すということであろう。保守政治の真骨頂は、小さな変更を徐々に進めることである。その過程が見えにくいので、密室や談合と誤解されやすい。この間永く変革や改革が繰り返して唱えられながらも、成果は出ていない。時代の空気が穏健な保守政治を求めていたようである。

 その一方、調整ばかりでは政治は前に進まない。多少は憎まれても強引に進める必要もある。岸田氏には、そのような強情さや非情さに物足りなさを感じる。特に官僚の抵抗には、敵代首相も苦労してきた。徴税権や警察権の発動は官僚の手に握られている。その発動をちらつかせて、(民主的に選出された)政権を脅かしてきた。菅氏の人事権を掌握する手法も、その対抗策として生まれたのであろう。

 国際関係では、更なる強さが求められる。国内の不文律や党内の処世術は通用しない。最大の課題は、尖閣諸島、台湾問題、人権問題など中共国との関係である(この重要性ゆえに、政策が曖昧な候補者は支持されなかった)。象徴的で切迫しているのは北京五輪への対応であろう。これらの課題は全て、経済との駆け引きともなる。安倍元首相を生かすなりして、上手く乗り切ってもらいたい。

 WARSに関連しては、公約通り、医療体制の強化と困窮者への経済支援を期待している。弱者への配慮が深い岸田氏の特徴が生きるのは、一見地味ではあるが、実はこの方面かもしれない。そのためには、先立つものの用立てが必要である。財務省とはパイプが太いと聞いている。国民の幸福を目指した財政や税制の見直しを、政治家の口癖を真似れば、「しっかり」とやってもらいたい。
                                                                                

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