2020年の春先は死の恐怖が渦巻いていた。一日の感染者が全国100人で大騒ぎしていたのである。国内で7万人(世界では500万人)の死者を出しながらも、この3年でここまで落ち着いたのはなぜだろうか。恐らくウイルス自体の変化、すなわち弱毒化が大きい。対策の中で最も有効だったのは、ワクチン接種も含めた曝露による集団免疫であろう。マスクはほどほどに有効で、行動制限も悪くなかったが代償が大きかった。ヒトのもつ免疫力の強さが再確認されたということだろうか。
医療関連では、医療供給体制の弱点が露呈した。それを踏まえて、次の感染症(トリインフルのヒト感染など)に備えて体制を整備すべきと議論された。しかし残念ながら、「喉元過ぎれば・・」となりそうである。それでも、コロナ診療にはあれこれと予算措置がなされ、多額の補助金で病院は潤った。検査機器や医薬品の会社も儲けた。とりわけワクチン販売者には、十兆円単位の増益があった。その裏に承認段階での不自然さや致死的な副作用(その隠蔽)の疑惑もある。今後の解明を期待したい。
社会一般では、リモートワークやテレカンファが増えて、無用の面会が減った。一方、密集や飲食の機会が減ったのは、群れる習性を持つヒトにはつらかった。特に子供や学生は割を食った。マスコミは、節操もなく恐怖や不満を煽る報道を続けた。その不安や恐怖に駆られた人々の心の不安定さは、社会転覆や暴動の危機さえ感じさせた。それでも、多くの国民は政府の対策に黙々と従った。当時の報道姿勢をマスコミが自ら反省することもなかろうから、その素性を深く記憶しておくべきである。
中共国の態度には言葉がない。情報は全く信用できず、発生国でないとも言い張った。2021年8月29日のBlog「新型コロナウイルスの起源調査」では、その態度について、「要は、『恥も外聞もなく嘘をつき、でっち上げで相手に難癖をつけ、最後は嘘八百を叫び続ける』ということである。都合の悪い話は無視し、話をすり替え、嘘をつきとおす。これは、日本人には理解不能の世界である。本人たちも、嘘を繰り返すうちに嘘が本当に感じられ、説得力は更に上がる。」などと述べた。
10年後、今回の感染症騒動はどう扱われるか。様々な分析を通して、次のPandemicの対策に関する貴重な資料とされるだろう。国別の比較から、日本国の対応が再評価されるかもしれない。医学的には、新規のワクチン製造技術(mRNAワクチン)が臨床応用された嚆矢とされよう(今後一般化することが前提だが)。経済は混乱したものの、政権の転覆までは起きなかった。ただ、米中対立の基軸のなかで、中共国に対する米国民の不信感を深めた理由の一つにはなった。
WARSは常在感染症となり、2類扱いとは「さらば」である。筆者の印象に残ったのは、ウイルスに負けないヒトの身体の強さと、対する不安や恐怖に流されるヒトの精神の弱さであった。そして(意外にも?)、未来への明るい希望であった。もめごともあったが、多くの人々は狂気に走ることもなく、助け合ってこの苦難を乗り越えたではないか・・・。一方、憂うるべきは露見した隣国の反社会的な本性である。この春には共産党独裁体制が更に強まった。その病原性はWARSの比ではない。