スピリチュアリズム・ブログ

東京スピリチュアリズム・ラボラトリー会員によるブログ

この一週間

2010-08-22 23:51:47 | m.taizo>日常から
お盆前後の一週間、自称スピリチュアリストとしてどう振る舞うべきなのか考えさせられる場面が集中しました。

前回の「来客に」は14日土曜のことでしたけれども、この話には続きがあって、スピリチュアルな話題を極力避けようとした私の意志に反し、元同僚はいくらか強い好奇心を示してスピリチュアルな問いかけを私に発し、でもそれに対していざ私が説明をしようとすると深入りへの警戒を窺わせるような、奇妙な押し引きの磁場が生じたような気がしました。この人の新しい勤め先は私の近所なのでこれからも顔を合わせることがありそうですし、縁があればまたどこかでこうした話題に触れることもあるかもしれません。もし無かったとしても、この日のことになんらかの意味はあったろうと思います、たぶん。

ちょうど同じ先週末、重度のうつ病を患っている十年来の友人の症状が緊急入院を要するところまで悪化しました。メールや電話が増えてきてたのでそうかもしれないなという気がしていたのですけれども、16日の月曜に入院するという話で、「無事に」というのは変な言いかたですけれども予定通りに入院したことで少し安心しました。この友人は若いうちに実家と縁を切っていて、交友範囲も年々狭まっている様子で、私とはそれほど親しかったわけではないのですけれども、その適度な距離のお蔭でかえって友達としていられたようなところがあり、彼にすれば私ぐらいしか周囲にもはや残っていなかったという言いかたもできるかもしれません。

自殺未遂歴が何度かある、という切迫した状況でもありますし、わざわざそうした状況を選んでいるのではないかとさえ見える破滅的な生き方もそうなのですが、これほど可能性としての「霊魂の死後存続」をせめて知識としてだけでも「緊急に」備えて欲しい知り合いも他におりません。そもそも趣味も気も私とはあまり合わないタイプで、私自身がスピリチュアリズムに確信を持つようになる三年ほど前までは「この腐れ縁、どこで切ってやろうか」と何度も思っていたぐらいでして、実際にメールや電話を無視して疎遠にしていた時期もあったわけですけれども、心のどこかでそれではいけないというところがあったようで、結果ずるずると付き合っているうちに私自身がスピリチュアリズムと邂逅し、するとこの縁がまったく別の意味を新たに持ち始め、いわば自分の中の課題として浮き上がってきたわけですね。

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ふたりの人を同じように、
完全に愛することはできません。
けれど、多くの人の中にひとりの神を愛するならば、
あなたは、すべての人を完全に愛することができるでしょう。
あなたの頭と心、あなたの生活と行いを神に集中させて、
すべての苦しんでいる人の中に、神を見るようにすべきです。
                 『マザー・テレサ 日々のことば』より
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マザーの言葉を唐突に引用してみたくなりました。
この一年あまり、月に一、二度彼の顔を見る機会があるのですけれども、時々、タイミングを見計らって、会話やメールの中で「死は無い」と自分の信じていることを伝えてみたり、前回の入院時には病院が禁煙だから禁煙するというのでアレン・カー『禁煙セラピー』と一緒にダメもとで飯田史彦氏の『生きがいの創造』を渡したりしています。たぶん、読んでいないんじゃないかなと思います。それはそれで構いません。私自身、本を押し付けられてスピリチュアリズムを受け入れたわけでもありませんし。私の部屋には何度も来ていて、だからスピリチュアルとは無縁だった私の部屋にスピリチュアリズム関連本が増えていったプロセスも彼は知っており、私の変化を傍で見てきてもいるので、私自身の生き様みたいなものが彼の目にいくらかでも魅力的に映じれば、タイミングと巡り合わせ次第で機会があるだろうと思っております。ただ、病気が病気なので「万が一」のことが心配になるわけです。まあ、継続した関係の中で引きずっていくしかないようです。

17日の火曜日は、職場組合員四人と臨時ミーティング。隣の営業所の組合員が貧血で倒れ、胃潰瘍だと思ったら癌で即入院、状況を聞く限りおよそ楽観を許さない容態です。この人は私とほとんど同年齢なので癌の進行が早い。組合会議で何度か会ったことはあるものの直接の親交は無く、ただの顔見知りの域を出ないものの、職場待遇的にも年齢的にも他人事ではないのですけれども、同僚からのエピソードを聞く限り、この人の刹那的なギャグや酒の飲み方などには親近感を覚えるところがたくさんあります。私の勤め先は奇跡的に組合があったりしますけれども、毎年更新の一年契約で、派遣労働とも待遇に大差は無く、辛うじて雇用保険と労災のみはありますが、大病した際の保障などはもちろんまったくありません。先に挙げた鬱の友人とは事情が違うものの、この人にも頼れる親族が無く、両親を早くに亡くして兄弟とも連絡を取ってないそうです。会社はこの件に関して良心的で、解雇せずに職場復帰するまで休職扱いにしてくれているし、様々な手続きも代行してくれているようです。見舞いに行った同僚によると、気丈に振舞っているそうで、見舞いに来た同僚に気を遣ってか、重苦しい空気にならないようにわざわざ軽口を叩いたり、暑いから大変だろう、などと仕事について励ましてくれるそうです。仮に霊魂の死後存続を信じていても、私などが同じ状況で癌を告知されたらみっともなく取り乱すかもしれず、偉いやっちゃなあと思います。もちろん私としては、「このような時だからこそ」彼に可能性としての「霊魂の死後存続」を知って欲しいと心の底では願うものの、「このような時だからこそ」およそ口出ししにくい、というところがあります。顔見知り程度の同僚がしゃしゃり出て、というのは難しい。ただ、とはいえ、どのような方向であっても、可能性を狭める方向での判断を勝手にくだしちゃいけまい、とも思っております。

18日の水曜日は、祖母の白寿(99歳)で帰省しました。母と祖母の二人暮しで、耳が遠くなっている以外は元気で、なんとか普通に歩けるし、意識がしっかりしているところが何より素晴らしい。同じく元気な母親も70過ぎで、お祝いの品を持っていくついでに、本ブログ高森光季氏記事(http://blog.goo.ne.jp/tslabo/e/2891c390adfca55803daf89bd9a0bd9e)のブックガイドを参考に本屋でキューブラーロスの自伝と(TSL非推薦の)飯田史彦『生きがいの創造1と2』を購入して土産ついでに持参しました。直接祖母にではなく、母を通して祖母へということなのですが、母にとっても私から繰り出される「死後存続」というテーマはかなりトートツな話なので、どうなることやらというところです。実家には父親の仏壇があり、祖母の部屋には祖父の仏壇があり、特に祖母は祖父への祈りを重視しているようです。死後存続が事実だと確信すれば、もし仮に確信を持てないまでにしても、死後に祖父と会える可能性があると知れば、祖母にとってはそれこそ“福音”でしょう。こうしたことを伝えるに際しては、親族であろうと同僚であろうと友人であろうと、直接の知り合いに対してはこちらとの具体的な関係性が重要になってくるわけで、だから親族をこれまで大切にしてきたとは言いがたい私にとっては、友人に対してと同様に、これからの振る舞いが重要になってきているわけです。

話が前後しますが、前回ブログ更新をした15日の日曜日に、もうひとつありました。学生時代から15年以上も一緒に遊んでおきながら、ちょうどスピリチュアリズムと巡り会った時期を境にして連絡を絶っていた先輩にメールで連絡を取りました。連絡を取らなくなったのには複数の要因が重なっているのですけれども、だいたいが軌道を勝手に逸れていったこちら側の問題でありまして、関係を修復するのであればこちらから連絡を取らなくてはいけないような状況にあったわけです。で、このままフェイドアウトしちゃおうと最近まで思ってたりもしていたのですけれども、考えが変わりました。別の場で築いた人間関係でのことですが、私にスピリチュアルな置き土産をたくさん残してくれた悪友が数年前に二人居て、そのひとりが言ってたことに「この人間関係が壊れるとそれぞれに死ぬ部分が出来る」といった言葉があり、その時には意味を理解しかねたのですが今ではわかる気がします。私と関わった部分がタブーになってしまうと、一緒につるんでたあれこれの思い出にシミが出来てしまうわけです。男女関係でこうしたシミを残した経験のあるひとは多いだろうし、私の周囲では割と女性のほうがこうしたことを「次行こう、次」とたくましく乗り越えている気もしますが、15年以上も深い付き合いをしていた当時の仲間たちが、私と関わりのある思い出だけを選択的に記憶から抹消するということは難しいだろうし、その場から追放されるに相応しいようなわかりやすい物語を私が提示しているのであればまだしも、よくわからない理由でありながら否定的な雰囲気だけはしっかり置き残してその場から去ってしまっている現状というのは、時間を経るほど陰を増殖する可能性があり、見方によってはある種の暴力かなと思い至りました。

反省と同時にイタズラ心も少しあって、彼等にしてみれば私は未だに典型的な唯物主義者であるはずで、そんな私がもし「・・・実は、最近、神を信じるようになったんだよね・・・」などとひとこと言えば、それこそ相当な衝撃・・・を超えて“痛いネタ”としてあっと言う間に広がるのは請け合いで、おそらく「m.taizoはあっちこっちの逸脱の挙句、ついに宗教にハマッったらしいぞ」あたりの物語になるんだろうと思われますが、こちらはその逆手を取って、最大限に効果的なタイミングと切り口を計ったうえで、強烈な楔をどこかで打ち込んでやろうなどと夢想したりもしています。とはいえ、まずは最低限の信頼を回復するところから始めるしかないわけですが。

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8 コメント

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その節には (JIJIRO)
2010-09-02 08:36:44
Glass Age さん、その節にはありがとうございました。
用意された椅子が満席になるくらいで、皆さん真摯な
方ばかりの集いでした。

私の予想に反して、男性の方の多いのが驚きでした。
またじっくりとお話をしたいですね。
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Unknown (Glass Age)
2010-09-01 21:10:14
m.taizoさん、こんばんは。

実は、そのイベントでした(笑)。
特定団体の宣伝めいたことをするのもどうかなと思い、あえて明記しませんでした。(別に隠す必要もないのですが・・・)

依存してしまったり振り回されたりという危険もあるスピリチュアル・カウンセリング(心霊相談とか占いなども含む)に比べて、霊界通信のデモンストレーションというのは、霊的世界を実感するにはいいと思います。

東京では頻繁に開催されているようですので、よろしかったらどうぞ(笑)。
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Unknown (m.taizo)
2010-08-31 23:09:18
Glass Ageさん、こんばんは。

こちらが何をしたわけではありませんが、このブログがご縁でJIJIROさんとの出会いが生まれたのであれば、なんかとても嬉しいです。

もしかしたらGlass Ageさんの関わっていらっしゃるアイイス(国際スピリチュアリズム協会)のイベントでしょうか?見当違いであれば、ゴメンナサイ。専属霊媒による『霊界通信(スピリット・コミュニケーション)のデモンストレーション』というのは、一度見ておきたい気もします。昔のスピリチュアリズム隆盛はこうした交霊会に支えられていたのでしょうから。 http://iis.de-blog.jp/blog/
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ありがとうございます (Glass Age)
2010-08-30 23:45:23
JIJIROさん、ありがとうございます。
m.taizoさんが私のブログを宣伝してくださったおかげで、新しい読者ができました(笑)。

また、JIJIROさんとは、ひょんなことから、ほんの少しですが大阪でお会いする機会がありました。

TSLのブログを通じて、交流の輪を広げることができて感謝しています。
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ありがとうございます。 (m.taizo)
2010-08-27 19:46:05
JIJIROさん、コメントありがとうございます。

『コナン・ドイルの心霊学』は、私も相手によってはお勧めしやすいなあ、と思ってます。『生きがいの創造2』は、単なる思い入れを超えて、飯田先生ご自身とドイルとの繋がりを強く匂わせている内容ですね。ドイルのストレートさと飯田先生のスタンスはまさに対極の印象で、このことについてはあれこれ思うところがあるのですが、まあ、別の機会に。

お母様の為に用意されたビデオが間に合わなかったのは残念ですけれど、JIJIROさんの祈りに対して笑顔のイメージから返ってくるとのこと、おっしゃるように充実した他生を過ごされているのでしょうね。そのような直感を抱けることが素敵です。

誰しもに平等に訪れる肉体の死。自分も含めて身近な周囲にどのようなタイミングで死が訪れ、その際にいかに向き合っていくのか、考えさせられます。

遠慮なくご意見・ご感想などをいただけたらと思います。こちらこそ、今後ともよろしくお付き合いお願いいたします。
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混ぜてやって下さい (JIJIRO)
2010-08-26 21:39:38
birch99 さんの記事にコメントを書かせてもらった JIJIRO と申します。とても興味深いお話なので、もしよろしければ混ぜてやって下さいm(__)m

これは、相手がミステリー(それも正統派)のファンであったりしたら「コナン・ドイルの心霊学」で結構な成果があげられるところなんでしょうが、私は不幸にして、まだコナン・ドイルさんをお世話したことは一回もありません。

飯田先生に関しては、私の母親に先生の講演のビデオを見てもらおうと購入はしていたのですが、手渡す以前に旅立ってしまいました。多分彼女はあちらの方でも上手くやっているとは思っています。(こちらからの祈りの際に応じる彼女のイメージはいつも笑顔から始まるのです)

何気なしに(なんてことは勿論なくて、私は私の守護霊の計らいであることは信じておりますが)TSL 様のブログを拝読して胸のつかえが下りるような、いろいろなご意見のあることを知りまして、嬉しさのあまりコメントを書かせてもらいました。

Glass Ageさんのブログ、さっそくブックマークスに入れさせてもらって、楽しく読ませていただいております。
どうか今後とも楽しいお付き合いをよろしくお願いいたします。

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ありがとうございます (m.taizo)
2010-08-25 05:27:52
>Glass Ageさん

心のこもったコメントありがとうございます。
Glass Ageさんのブログhttp://glass-age.cocolog-nifty.com/は、私の興味と重なっている話題が多いので、いつも親近感を覚えながら読ませてもらっています。

『幽霊を捕まえようとした科学者たち』、気になりつつも未読です。最近、文庫化したようですね。探してみようと思ってます。タイトルからして面白そうですもんね。

ちなみに占い検証本『第2の江原を探せ!』は、スピリチュアルブームに便乗したようなタイトルが失敗している気がしました。

本ブログ執筆者birch99さんがお知り合いへのプレゼントとして渡した『生きがいの創造』が功を奏したという話を小耳にはさんで以来、あやかっています。プレゼントとしては二度目なのですけれども、その1は実は半分ぐらいしか読んでおりません。

本業を守るためでしょうか、学者だった当時の飯田史彦さんが懐疑主義目線を気にして大変な警戒心とともに控え目な書き方をしてくれたことで、ちょうど良い距離感の入門書になったのだろうと推測しています。

スピリチュアル用語満載だったら拒否反応を示すような人にも受け入れやすそうでした。学者という肩書きも、効果的かもしれません。

本当はインペレーターやバーチやカルデックあたりを読んで欲しいのですけれども、“霊が語る”という前提そのものが、相手によってはかなりハードルが高いと思うのですね。

飯田先生の本を渡すのは、自分にとってはちょっと“逃げ”だったりもします。

>押しつけがましくなく、しかし、縁のある人たちにはタイムリーに届けられるように・・・という、この間合いが、なかなか難しいです。

本当に、迷いますね。難しいです。本の内容以前に、自分の信用が問われていたりもします。
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他人事とは思えません (Glass Age)
2010-08-24 22:08:56
こんばんは。

三者三様の記事に、いつも感心させられたり、楽しんだりしております。

m.taizoさんの日常のお話は、あまりにも自分と似通ったところがあったりして、他人事とは思えません(笑)。

私も、スピリチュアルな話題と、知人・友人との間合いについては、悩むところです。

私は一昨年の11月に自殺した友人には、SPR草創期の詳細を描いた『幽霊を捕まえようとした科学者たち』を薦めたことがあります。残念ながら彼が読んだのかどうかは今となってはわかりません。

実は彼の年老いたお母さんに昨年、飯田史彦さんの『生きがいの創造』をプレゼントしました。お母さんは確かに読んでくれて、その後、何度かメールのやり取りをしています(息子の死を契機にパソコンを覚えられたようです)。飯田さん作の歌も聴いておられるようです。

さらに、私の友人で10年ほど前に白血病で亡くなった方がいます。その方のお兄さんもお父さんも早くに亡くなっています。遺されたお母さんの寂しさはいかばかりかと思います。このお母さんにも、実は『生きがいの創造』を贈りました。すると、すでに旧版の『生きがいの創造』が家にあったらしく、お母さんいわく、息子が買ったとは思えないとのお話でした。きっと、どなたかが私と同じような思いで贈ったのでしょうね。

飯田さんの本は、プレゼントとして一番抵抗感がなく、便利ですよね(笑)。

押しつけがましくなく、しかし、縁のある人たちにはタイムリーに届けられるように・・・という、この間合いが、なかなか難しいです。
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