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【霊学概論】(31)霊的交渉の仕組みとその限界

2011-07-04 00:46:10 | 高森光季>霊学概論

◆霊的交渉の仕組みとその限界

 スピリチュアリズムで起こった様々な超常現象は、おおむね、憑霊型霊媒と「霊」(霊団)との共同作業によってなされたものであった。
 多様な物理的心霊現象がどのようにして起こされるのか、詳しい説明はあまりない。霊の側は、霊媒(および交霊会参加者)のエーテル質を利用する。霊媒はこれをたくさん保持しているが、通常の人もある程度提供するらしい。ただし頑なな否定論者は提供を拒否する上に、妨害的な思念を発するので、現象が起こりにくくなる。このエーテル質をもとにして、テーブルを持ち上げてみたり、霊の姿を出現させてみたりするというのである。このエーテル質は通常の物質より「振動数」が高いので、通常は目に見えないが、「振動数」を落とすことによって物質に近くなり、可視のものとなる【31】。
 物体の消失や出現などにおいても、霊は「振動数」の変化を利用する。物質原子は、固有の振動数を持っているが、それを高めると物質界からは消失する。再び振動数を下げると出現する。アポーツ――海の砂を海水やヒトデごと交霊会場のテーブルにぶちまけるといった現象――などはこの原理によっているらしい。
 この「振動数」という概念が、現行の物理科学に受け入れられるものなのかどうか、筆者にはわからない。低い世界は粗く、高度な世界になればなるほど細かく精妙になると言う。「ニューエイジ」の人たちが「波動」という言葉を使うのも、あながち的外れということではなさそうである。
 また大規模な現象が起こる時は、物理的エネルギーも必要とされるようで、部屋の温度が下がるという付随現象があるらしい。
 物理的心霊現象の仕組みに関して霊界側が明かしているのはこの程度である。それ以上のことは、説明しても無意味なのか、禁じられているのか、説かれていない。
 《地上の科学者はまだまだ学ばねばならないことが沢山あります。と言って、それを吾々がお教えすることは許されません。人間が自らの才能を駆使して探るべきものだからです。もしその範囲を逸脱して教えてしまえば、地上という物的教育の場が地球ならではの価値を減じます。人間の個人的努力ならびに協調的努力によって苦心しながら探ることの効用を台無しにすることのない範囲に援助を抑えているのは、そいういう理由によります。》[ヴェールの彼方の生活①、二一六頁]
 なお、物理的心霊現象にせよ情報的心霊現象にせよ、それを起こす場合に霊界側はグループを組んで行なうことが多いようである。全体を司るのは高級霊だが、霊媒の潜在意識や脳を操ったり、物質に関する操作をしたり、といった具体的な作業をするのは、その役割の霊がいる。特に物質的な現象を起こすのは、物質世界に近い、比較的霊格の低い霊が得意だと言う。『霊訓』を自動書記したステイントン・モーゼズの場合には、インペレーターと名乗る、きわめて高い霊格の霊が全体を指導・統括し、その下に、書記役、調査役、物質現象役など、様々な役割をになう霊がおり、全体で四九の霊が働いていたとされている。現代ブラジルのスピリティストの「霊的治療」でも、故人となった有名な医師のほか、たくさんの霊が、執刀に従事したり、場所を保護したり、と役割分担して治療を行なっているという。つまり、純度の高い霊信や、大規模な心霊現象が生まれるのは、霊界側の特別な意図が必要なのであって、のべつ幕なしになされていることではないということである。

 こうした霊媒を中心とした心霊現象は、簡単に起こせるわけでもないし、何でもできるというわけでもない。
 そもそも優秀な霊媒は稀である。霊媒への道は厳しく、健全な身体と心を持ち続けることは容易ではない。名誉欲や金銭欲といった低次の欲望に惑わされないようにしなければならない。我を出さず、霊への受容・奉仕の態度が要求される。さらには、霊談や自動書記などにおいては、ある程度の知性・教養も必要となる。こうした霊媒は滅多にいるものではないだろう。
 霊の側でも困難がある。高級な霊は、地上の「粗い」世界には適応できない。霊自身が、物質界の重苦しさのゆえに、本来の力を失い、時には混迷してしまうこともあるという。霊の側にとって、わざわざ地上に介入し、現象を起こしたり情報を伝えたりすることは、かなりの苦行であって、そうしばしば行なわれることではないようなのである。
 マイヤーズ霊は言う。
 《通信を送る時の難しさを譬え話でいうならば、見通しが悪く声も通らない霜のついたガラス窓の外側に立ち、いやいや仕事をしている血のめぐりの悪い秘書に指示を与えているようなもので、ひどい無力感に悩まされます。言いたいことがなかなか伝わらないむなしさ――私を理解し私を信じてくださろうとする方とうまく交信できないのが残念でなりません。》[レナード、一三六頁]
 また、①通信の内容は人間の言葉や概念に翻訳することが困難なものがある、②表現は霊媒の知性や言語能力によって大きく制限される、③霊媒は感受性が強いために、周囲の人間の心や霊媒自身の心配・不安などの影響によって乱されることが多いこと、などをあげ、「通信を鵜呑みにしてはいけない」と言う。
 「霊からのメッセージ」といっても、このように誤訳や表現の限界があるので、それを絶対化したり、一字一句を金科玉条にしたりしてはいけないということである。
 つまるところ、物理的心霊現象にしろ情報的心霊現象にしろ、それらは「特殊な」ケースであって、かつ、それらはきわめて限定的な力しか持ち得ないのである。
 よく否定論者が、「もし霊がやっているならば、そんな限定された現象しかできないのはおかしい」とか「霊がやっているならば、世の中の病人すべてを治してしまえるはず」というような主旨の発言が聞かれるが、高級霊といえども万能ではないし、能力発揮の範囲にも制限があるわけである。

 さらに「霊による現象」には、厄介な問題もつきまとう。「いたずら霊」や「よからぬ意図を持った霊」の侵入である。
 霊はすべて精神的に高貴で善性にあふれているわけではない。それはある意味当然で、「人間が死んだからといってすぐに素晴らしい存在になるなどと考える方がおかしい、それは個性の死後存続ということ自体に反するではないか」ということをある霊は言っている。中には、地上への執着や誤った観念から、地上世界に「よからぬちょっかい」を出そうとする霊もいる。地上に近い「低級」な霊ほど、現象を起こすことは得意なので、問題は厄介である。インペレーター霊は言う。
 《類は類を呼ぶ。一時の気まぐれや愚かな好奇心の満足、あるいはわれらを罠にはめんとする魂胆からしか質問せぬ物は、同程度の霊と感応してしまう。……軽薄で、無知で、ふざけた質問しかせぬ者は、似たような類の霊しか相手にせぬ。》[霊訓、七二頁]
 事情を一層複雑にするのは、こうした「いたずら者」が、高名な歴史的人名や神名を名乗ったりし、部分的には真実を述べたりすることである。それで「いたずら者」自身が自己満足するだけならまだよいが、中には、人の信頼をある程度得たところで、支配欲や金銭欲をあらわにし、とんでもないことをさせる、ということもある。「霊視」が当たったからと言って、むやみに信奉するのは危険である。全体を判断し、そこに高い道徳性や奉仕の精神が感じられるかを見極めなければならない。ちなみに言えば、「霊とのコンタクト」を求める人間の側の問題もある。霊との交渉で得るべきは、死後存続への確信や、自己の霊的進歩へのアドバイスであって、「どうやったら現世でうまく行くか」という類いのことではない。


  【31】――スピリチュアリズムやサイキカル・リサーチの交霊実験で、しばしば「エクトプラズム」(エクストプラズム)現象が報告されている(命名者はフランスの高名な生理学者シャルル・リシェ)。霊媒の身体から、もやもやとした霧のようなものが流れ出し、それが次第に固まり、人間の手や顔や体などの形を作る、というものである。これは霊媒のエーテル質を引き出し、その「振動数」を少し下げ、物質に近づけることによって生起する現象だと説明されている。

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