父の思い出
父が洋ランを育てだしたのは 私がまだモノ心付くか付かない頃。
その頃、家には 中庭があった。確か7~8坪位だったとおもう。
その中に父は 畳半分位の温室を自分で作った。建具屋のせがれだったためか 小学校卒業と同時に 奉公に出されたのに 好きだったのも手伝って 日曜大工仕事は 今思い出しても プロ並みのことをしていたと思う。
そんな温室では 直ぐに手狭になってしまい こんどは人も入れる大きなものを 友達の建具やさんに作ってもらった。 その時は 注文が多くて大変みたいだったのを覚えている。へんに注文主が物知りでは困ったものだ。
冬になると 24時間ズーッと石油ストーブをたいて その上にお湯をいっぱいにして 夜中によく 見ていた姿も思い出す。
今では、エアコンとか 加湿器とか いろいろなものが出回っているが その当時は 「赤ん坊を育てるより大変だ」と 父の事を、母が気づかっていた。それほどのめりこんでいたのだろう。
カトレア シンビジューム デンドロビューム ・・・・・・・・・・・
確かそんな名前の 洋欄がいっぱいそこにはあった。
街の花屋の伯父さんも 良くその部屋に来ていた事がある。
「しばらく、この鉢を貸して欲しいんだが・・・・・」
「それはいいけれど 枯れたらどうする?・・・・」
そんな会話も聞いた事がある。
それからどれ位年月が流れていたのか ハッキリとは覚えていないのだが
いつの間にか その温室には君子ランばかりになっていた。
そして、父の君子欄育てが始まった。
花が終ってから その後 花茎をそのままにしておくと そこに 赤くて丸い まるでポタポタの梅干みたいなのが出来て その中の種をとるのだが 中々その時に辛抱が要る 慌ててしまうと 種は未熟のままで 芽を出してくれない。
まるで『くりまめ』みたいな 黄色い 美味しそうな豆のように見える。
そして種まき。
ここでちょっと 引っかかった。
いったい、何時だったのだろう。季節は何時頃だったのだろう。
とにかく、行く鉢もの 君子欄の花 その種。
「おしょうゆで煮てしまったら 父さんなんて言うだろう。。。」
そう言って家族で笑ったものである。そのくらいたくさんの種だった。
花もいっせいに咲くものでもなかったから あんなにたくさん貯めるには 時間もかかっていただろう。季節も変わっていたに違いない。
そこで、今の時代である、検索してみた。
出てこない。。。。。
これだけ、たくさんの資料が出てくるのに 種の話が一向に無い。
株分けの話は ところどころにあるが・・・・・・・・・
「種から育てる」なんて事は 理に合わないのか。
何でも、直ぐに出来上がってしまう今の時代には 骨董的存在 原始時代の行いなのかもしれない。
確か、鹿沼土に 種をまいてから 芽が出てくれるまでにも 相当の時間がかかっていた。そして、3寸鉢にひとつづつ植え替える事になる。
ここまで書いてて 思い出した、確か寒い頃 居間に豆の並んだ植木鉢があったような・・・・
チョット芽が出て、植え替えて。。。
いくら中庭が広いといっても こんな鉢植えが百近く、いや、それ以上。それも,親指位の葉が一枚の植木鉢。味もへったくれも無く だれの目にも止まらない 可愛そうな植木鉢。
台風の頃。植木鉢は屋根の上に並べてあった。
水遣りも大変、雨の日も大変。増してや台風の時は。。。。。
父は台風が来ると言うと お腹の調子がおかしくなる癖があった。
だ か ら、屋根の上の植木鉢を すべて・・・・・そう、すべて 家の中に入れる作業が。
これを手伝うのが私の仕事。手伝う?
木の箱に10~12個入っている、重たい、ズシーンと来る、時には濡れている事も、そう、ナメクジがいることも。。。。一番、イヤーな仕事。
でも、台風が来るまでにやってしなければ 植木鉢が屋根から降ってくることに成る。
順序良く てきぱきと仕事が済んだ時に限って 台風はこの地方をそれていくので 腰砕けの時もいっぱいあった。
でも、こうして育てた君子ランの鉢、折角大きくしたのに、父はよくこの鉢を人に譲っていた。育てるのが好きだったのか・・・・
こんな所は 今の私にもよく似ているのかなぁ。
チクチクも、作るのが楽しい。出来てしまうと 途端に次のが作りたくなる。
そして、こうして育てた君子ランを 当時 写真館を経営していたので、子供のお宮参りの時とか 入学式の時とか お客さんにプレゼントするようになった。
今、この町に 君子ランの鉢はいくつあるのだろう。
その中のいくつが あの時の あの鉢植えなのだろう。
私が父の娘だと知っている人に 言われた事がある。
「お父さんに貰った あの君子ラン 綺麗に花を付けてるよ。
その子に 今度孫が生まれてねぇ・・・・」
父が亡くなって30年近く、もうあの頃の話を 実家の家族でもしなくなってしまった。姉も亡くなり 今、実家には 甥っ子と年老いた母。
あの頃の話は もうセピア色も モット薄くなってしまった。
今日は、昔話をいっぱいしたい気分になってるメーメーがひとり。
傍らには モンチッチとぴょんきちが お昼寝してる。
窓を開けて カーテンがゆれて。。。。
いくつになっても、親の話は 目の奥が熱くなってくる。涙もろくなったのかなぁ。
父が洋ランを育てだしたのは 私がまだモノ心付くか付かない頃。
その頃、家には 中庭があった。確か7~8坪位だったとおもう。
その中に父は 畳半分位の温室を自分で作った。建具屋のせがれだったためか 小学校卒業と同時に 奉公に出されたのに 好きだったのも手伝って 日曜大工仕事は 今思い出しても プロ並みのことをしていたと思う。
そんな温室では 直ぐに手狭になってしまい こんどは人も入れる大きなものを 友達の建具やさんに作ってもらった。 その時は 注文が多くて大変みたいだったのを覚えている。へんに注文主が物知りでは困ったものだ。
冬になると 24時間ズーッと石油ストーブをたいて その上にお湯をいっぱいにして 夜中によく 見ていた姿も思い出す。
今では、エアコンとか 加湿器とか いろいろなものが出回っているが その当時は 「赤ん坊を育てるより大変だ」と 父の事を、母が気づかっていた。それほどのめりこんでいたのだろう。
カトレア シンビジューム デンドロビューム ・・・・・・・・・・・
確かそんな名前の 洋欄がいっぱいそこにはあった。
街の花屋の伯父さんも 良くその部屋に来ていた事がある。
「しばらく、この鉢を貸して欲しいんだが・・・・・」
「それはいいけれど 枯れたらどうする?・・・・」
そんな会話も聞いた事がある。
それからどれ位年月が流れていたのか ハッキリとは覚えていないのだが
いつの間にか その温室には君子ランばかりになっていた。
そして、父の君子欄育てが始まった。
花が終ってから その後 花茎をそのままにしておくと そこに 赤くて丸い まるでポタポタの梅干みたいなのが出来て その中の種をとるのだが 中々その時に辛抱が要る 慌ててしまうと 種は未熟のままで 芽を出してくれない。
まるで『くりまめ』みたいな 黄色い 美味しそうな豆のように見える。
そして種まき。
ここでちょっと 引っかかった。
いったい、何時だったのだろう。季節は何時頃だったのだろう。
とにかく、行く鉢もの 君子欄の花 その種。
「おしょうゆで煮てしまったら 父さんなんて言うだろう。。。」
そう言って家族で笑ったものである。そのくらいたくさんの種だった。
花もいっせいに咲くものでもなかったから あんなにたくさん貯めるには 時間もかかっていただろう。季節も変わっていたに違いない。
そこで、今の時代である、検索してみた。
出てこない。。。。。
これだけ、たくさんの資料が出てくるのに 種の話が一向に無い。
株分けの話は ところどころにあるが・・・・・・・・・
「種から育てる」なんて事は 理に合わないのか。
何でも、直ぐに出来上がってしまう今の時代には 骨董的存在 原始時代の行いなのかもしれない。
確か、鹿沼土に 種をまいてから 芽が出てくれるまでにも 相当の時間がかかっていた。そして、3寸鉢にひとつづつ植え替える事になる。
ここまで書いてて 思い出した、確か寒い頃 居間に豆の並んだ植木鉢があったような・・・・
チョット芽が出て、植え替えて。。。
いくら中庭が広いといっても こんな鉢植えが百近く、いや、それ以上。それも,親指位の葉が一枚の植木鉢。味もへったくれも無く だれの目にも止まらない 可愛そうな植木鉢。
台風の頃。植木鉢は屋根の上に並べてあった。
水遣りも大変、雨の日も大変。増してや台風の時は。。。。。
父は台風が来ると言うと お腹の調子がおかしくなる癖があった。
だ か ら、屋根の上の植木鉢を すべて・・・・・そう、すべて 家の中に入れる作業が。
これを手伝うのが私の仕事。手伝う?
木の箱に10~12個入っている、重たい、ズシーンと来る、時には濡れている事も、そう、ナメクジがいることも。。。。一番、イヤーな仕事。
でも、台風が来るまでにやってしなければ 植木鉢が屋根から降ってくることに成る。
順序良く てきぱきと仕事が済んだ時に限って 台風はこの地方をそれていくので 腰砕けの時もいっぱいあった。
でも、こうして育てた君子ランの鉢、折角大きくしたのに、父はよくこの鉢を人に譲っていた。育てるのが好きだったのか・・・・
こんな所は 今の私にもよく似ているのかなぁ。
チクチクも、作るのが楽しい。出来てしまうと 途端に次のが作りたくなる。
そして、こうして育てた君子ランを 当時 写真館を経営していたので、子供のお宮参りの時とか 入学式の時とか お客さんにプレゼントするようになった。
今、この町に 君子ランの鉢はいくつあるのだろう。
その中のいくつが あの時の あの鉢植えなのだろう。
私が父の娘だと知っている人に 言われた事がある。
「お父さんに貰った あの君子ラン 綺麗に花を付けてるよ。
その子に 今度孫が生まれてねぇ・・・・」
父が亡くなって30年近く、もうあの頃の話を 実家の家族でもしなくなってしまった。姉も亡くなり 今、実家には 甥っ子と年老いた母。
あの頃の話は もうセピア色も モット薄くなってしまった。
今日は、昔話をいっぱいしたい気分になってるメーメーがひとり。
傍らには モンチッチとぴょんきちが お昼寝してる。
窓を開けて カーテンがゆれて。。。。
いくつになっても、親の話は 目の奥が熱くなってくる。涙もろくなったのかなぁ。