さて、私はアラフィフだが、今まで一度も一人暮らしをしたことがない。本当は20代の頃に一人暮らしをしたかったんだが、その当時元気だった大正生まれ祖母に、女の一人暮らしは男を連れ込んでると思われる、と言われて反対された。今考えれば、同僚で一人暮らしをしている人が何人もいたし、反対されても一人暮らしをすればよかったなあ。でも、祖母に逆らうと後が大変だったので…。
そんなわけで、父の入院で私は初めての一人暮らしをすることになった。といっても、父のお財布がないと生活できない情けない一人暮らしではあるが。最初は寂しくて仕方がなかった。帰ってきてもお帰りを言ってくれる人もいないし、仕事の愚痴を聞いてくれる人もいないし。
ご両親が老人ホームに入っている友人(ご両親とも重い病気で家では介護できないため)に父が入院したことと、寂しいことをLINEしたら、そのうち慣れるわよという返事が来た。親御さんがお盆に帰って来た時に、鬱陶しくて仕方なかったらしい。そんなもんかなあと思っていた。
確かに、父がいないと「なんだ、このつまらん番組は」と言われないから、ドラマやバラエティをダラダラと見ることができる。朝からワイドショーを見られる。父が嫌いなアボカドをたくさん食べられる。夜遊びができる(あまりしなかったけど)。スーパーに行って買い物をするのがすごく楽しくなった。私が食べたい物だけを買えばいい。栄養が偏らないようには考えたけれど。
友達にたくさん玉ねぎをもらった時は、同僚に簡単なピクルスの作り方を教えてもらったり、スープを作ってみたり、牛肉の切り落としと一緒に煮込んで牛丼を作ったり、料理のレパートリーがほんの少しだけ増えた。
一人暮らしが段々と楽しくなってきた。だからこそ、父の病院に行くのもつらくなかったんだろうなと思う。そう、病院の周りにも楽しみがあった。病院の小さな売店は昼過ぎになると商品がほとんど売り切れてしまうため、父のための水や麦茶はまだなんとか買えるのだが、中途半端な時間に行く私の食べる物が無かった。が、ある日病院に行くバスに乗っていて一つ手前の停留所で降りれば、コンビニに行けることに気付き、コンビニ大好きな私は、そこでおにぎりだけでなく、お菓子やパンを買い込んだ。
そのコンビニを出て病院まで行く道に、マンションや新しい住宅に囲まれた、正直お世辞にもきれいとは言えない数軒の古い一軒家が建っていた。あの大きな台風の時には崩壊してしまったのではないかと、本気で心配したくらい古い家だ。その中の一番道路側に建っている二階建ての家は、いつも道路に面した二階の部屋の窓が全開していた。道路を挟んだ反対側の歩道から、私はいつも歩きながらその家をこっそりと観察した。
二階のベランダは恐らく元からあった木製の手摺りが壊れたのか、よく庭や空き地の周りに設置されているような金属の柵が手摺り代わりにつけられていた。その奥の部屋は懐かしい四角い傘が付いた電灯がぶら下がり、天井からは布製のモビールのような物が下がっていた。壁には古びた振り子時計がかけてある。どうやら二階の部屋は一つしかないようだ。部屋の奥に階段があるらしい廊下にも窓があり、向こう側の空が見えた。
その家には老夫婦が住んでいるらしい。時折り、ランニングシャツにステテコ姿のお爺さんが外に出てきたり、お婆さんが二階の部屋の掃除をしていた。そして、誰が乗るのかバックミラーが付いた自転車が停めてあった。なぜか、その家にすごく惹かれて、大変失礼ながら、その家を見るのが楽しみになってしまった。だから、父が退院した時に、あの家が見られなくなると思うと、ちょっぴり寂しかった。
父が入院したばかりの頃は、寂しくて怖いので、保安灯をつけっぱなしで寝たりしていたのだが、いつの間にか真っ暗で眠れるようになった。そして、台風15号の時は真夜中に風速50メートルという風が吹いたことも気付かず、爆睡していた。
こうしてアラフィフの私は漸く大人になったのだった。なんちって。
そして、父が帰ってきた。友人の言う通り、すごく鬱陶しい!嬉しいけど鬱陶しい!漸く一人暮らしに慣れてきたところだったのに。一人暮らしのために買ったインスタント焼きそばを父に食べられたし!
食べ物の恨みは恐ろしいのだ。
つづく