我が願いが尽きなば物欲も尽きなん。

仏欲(物欲)は尽きない☆☆☆S2000乗りの私の日常日記です。
車のネタ以外もアップしてますよ。

今回も無事に帰って来れました。

2011-04-29 11:21:48 | 日記
前回のブログに書いた通り、一昨日の深夜から被災地の方へ行ってきました。

場所は、女川町と石巻市。

女川町では、遺体安置所と土葬されている場所に出向き、七七日忌のお経をあげてきました。

その後、石巻市の土葬されている場所まで移動。

途中、時間により海水によって浸水してしまう町の周辺も通ってきましたが、丁度浸水する時間が近づいていたので浸水する様をこの目で確認する事が出来、また港周辺の現状も確認出来ました。




写真ではイマイチ分からないかも知れませんが、自分で確認するとやっぱり酷いです。(今更ながら動画撮ればよかったかな?と思っています・・・)

さて、石巻市の土葬場所に着いて、すぐさま七七日忌のお経を開始。土葬されている各札の前でお経を唱えながら移動していると、地震発生時間が近づくにつれて遺族の方々が続々と集まってきました。

遺族の方々を前にして、お経を唱えていると皆さん凄く喜んでいただき、今回も行ったかいがあったなと感じさせられました。

今回も身体はクタクタな状態ですが、引き続き被災地には出来る限り行きたいと思います。

最後に、帰りに松島周辺に立寄、そこで利久という牛タン専門店にてこれでもかと夕食を食べてきました。(写真が無いのが残念ですが、こんなに美味しい牛タンを食べたのは初めてです)


被災地へ行って参ります。パート2

2011-04-26 20:31:06 | 日記
最近、ブログの更新が滞っていて申し訳ございません

さて、久々のブログ更新。書きたい事は、いくつもありますが、とりあえずこの話題を書かない訳にはいかないので書いておきます。

明日から、また被災地へ行ってきます。今回行くのは女川です。

前回は、被災地での炊き出しがメインでしたが、今回は違います。

28日がちょうど地震で亡くなられた方の七七日忌(49日忌)になり、土葬された方々の供養の為に行きます。

いち僧侶としてきっちり供養してこようと思います。


きちんとした情報を伝えるのも大事ですよね。

2011-04-02 19:09:11 | 日記
先日書いたブログに、被災地の事を詳しく書くつもりは無いと書きましたが、一緒に行ったメンバーと話し合ったり、自分自身で改めて考えてみて、自分が観てきた被災地の状態を伝えるのも大事だと考え直し書く事にしました。

初日目に行ったのは、陸前高田市、気仙沼市、石巻市です。

状態は、先日書いたようにどこも壊滅状態。特に、海に近い町と言う事もあり陸前高田市、気仙沼市は酷いです。車がやっと通れるようなところばかりでした。

その後、炊き出しを行う石巻市に入りました。当日は、現地に震災が発生した日の夜から入った方から話も聞けました。その方が言うに今日は海から3キロ離れた石巻市大川小学校で津波にさらわれた児童の捜索を自衛隊が行っているとの事でした。

少々休憩した後、炊き出し場所の中学校まで移動。豚汁と豚まんを出させて頂きました。驚いたのは、出来た豚汁や豚まんを中学生が避難している方々が居る教室まで運んでくれました。自分たちも避難していてまだ食べても居ないのに、嫌な顔ひとつせず率先している姿を見て、自分たちが逆に見習わないとと感じさせられました。

炊き出し終了後、辺りは電気が復旧していないのか、真っ暗。片付けも自前で持って行った発電機があったので何とか出来ましたが、持って行ってなかったら出来ないところです。

その日は、他のボランティア団体の方が公民館を用意してくれたので、そこで全員で寝泊まり。出発した時から、活動初日の夜まで車での移動ばかりでで足を伸ばしたり、ゆっくりする事が出来なかったのでとても嬉しかったです。

当然、寝袋で寝たんですが、余りの寒さで深夜に目が覚めてしまい、寝るのに一苦労。次の日の朝、皆に話を聞くと、私と同じように深夜に寒さで目が覚めたそうです。寝袋でもこんなに寒いのに、毛布一枚じゃ確かに凍え死んでしまう方が出てもおかしくないなと改めて思いました。

さて、30日は朝から公民館で豚汁の下ごしらえ。材料を全部切って袋詰め。その後、南三陸町へ。

南三陸町の災害防災庁舎まで行きました。ここはニュースで聞いた方もいるかと思いますが、津波に呑まれる瞬間まで津波の女性職員が放送をしていた場所です。聞くところによれば、40人近く居た職員のうち、助かったのは屋上の電波塔に捕まっていたわずか9人だそうです。

因みに、テレビ等では津波の高さは30メートルだとか言っていますが(計測器が壊れてしまっているので、実際の高さは分からない)、高台(山の上)にある家の一階部分も津波で流されている場所もあったので、こんなもんじゃなかったはずです。

こんな高さの津波が目の前までせまってきて、被害に遭われた方々は相当怖かったはずです。

その後、炊き出しをする場所まで移動。海から3キロくらい離れた集落へ。半壊した家の1階部分のガレージをお借りして炊き出しをしました。

その周辺も、津波の被害にあわれて実際にどうだったのか聞く事が出来ましたが、聞いてもなんて言ったらいいのか分からないような話ばかりで、こっちはうなずく位しか出来ません。

目の前の家が流されて無くなっているとか、一度逃げて犬が可哀想だと言って戻った20歳の子が流されてしまい行方不明になっているとか、実際に聞くとキツいです。

それと、海からこれだけ離れているから大丈夫だと思って逃げなかった人が全員津波に呑まれてしまったそうです。

話は変わりますが、炊き出し中、ちょうど配給のトラックが来て物資を配る場面に遭遇しましたが、物資の取り合いになってました。取り合いと言っても、これは私のよ!とかそんな激しい状態では無いですが、このサイズは無いのとか、これは無いのかとかみんな言ってました。

炊き出しが終わり、片付けしていると、お借りした家に住んでいるおばあちゃんから今日の感謝として紫ウニを漬けたものを頂きました。

まさか、そんなのを頂けるとは思っていなかったし、そんなつもりで炊き出ししてたわけでは無いので、凄く嬉しかったです。(頂いたウニは31日の会議終了後、みんなで美味しく頂きました。)

さて、被災地から帰ってきて改めて思ったのは、被災地に居る方々はみんなで助け合っていて、凄く健気に生きていると言う事。そして、改めて電気のありがたみ、トイレが普通に出来るっていうことへの感謝。

更に、怒りを覚えたのは、テレビでは嘘の情報には惑わされないようにと言っているマスコミ地震が紛らわしい情報を流していると言う現実。それが原因で喧嘩が起きていたりするって事実をみんな知らないですよね?

こっちは、毎日のように原子力に関するニュースばかりで放射能がどうやらとか散々言っていますが、現地はそんな事一言も言ってませんよ。それどころじゃないんです。

マスコミはぶっちゃけて言えば、数字が取れれば良いんですよ。だから、平気で間違った情報も流してしまう。専門家か何だか知らないですが、数人番組に呼んで討論させている。で、結局正しい情報が分からない。それでは、まったくもって意味が無い。何の為に話あっているんでしょうか。公共の電波を使って。

う~ん、何だか世の中への怒り爆発って感じになってきたのでこの辺で終わりにします。

最後に、先に書いた、震災当日に現地入りした方のブログを紹介しておきます。

この方は、今現在も石巻で活動されています。ゆえに、今現地がどうなっているか?何が足りないか?って事が書かれているので、興味がある方はのぞいてみて下さい。(阪神大震災の時も活動されていた方です)
・ヒューマンシールド神戸
 吉村氏のブログ
http://williamseiji.wordpress.com/

他にも、ニューヨークタイムズのページにも日本の新聞等では出ないような写真が公開されているので、のぞいてみてはどうでしょうか?

長くなりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。