星の依る庭

よる【依る/寄る/縁る/夜】
「ほしのよるには」
大切なものを書き留める、SF(すこし・ふしぎ)メル変ブログ。

金華山紀行:後編

2024年11月06日 01時51分21秒 | 日記
金華山紀行 続きです。



坂を登っていくと、社務所前で案内役をしている鹿さんが。

ほんとにいつもここにいて、喋りたいのではというような雰囲気で、だいぶ慣れた顔もちをしてました。



なんとなく手水者の龍さん。
「モチーフはコタローさんなのかな〜」などと連れと話しながら…。



社務所からさらに鳥居をくぐって社殿につくと、そこはそこでお使いをしてる鹿さん。
慣れすぎです。



私はこの写真お気に入りなのですがちょっと「へっ」とした顔をしてます。モデルです。



木も立派でした。



私は各神社に行くと社殿正面の写真を必ず撮るのですが、今回忘れてしまった…。
社殿で参拝を済ませて足の赴くまま、社殿から横のひと気もほとんどない山道ルートへふらっと行ってみる。
ここからほんとは山頂へ行けるらしいが、ほんとんど道なき道で、川岸の岩場を歩く感じ。
どこまで行けるのか不安になってました。



水神社があって、奥の院はこちらというので、鳥居をくぐってまた登ってみる。
「どこまでいくんすか、私達。」と連れとズンズン進む。



ある程度登ったあと、途中案内板があって「この先道が崩れてます」「行けなくはないけど気をつけてね」と言われ、ガチ登山になりそうだったのでここで一区切りつけ、腰を掛けながらしばらく川の音と自然の音、そして日光を浴びました。


私はここでなんとなく、日光からああ恵みもらってるな〜なんて、ゆるく感じて、
しばらく動かずにおりました。
「祝詞」なんてワードがふとよぎり、復習するように心の中で意識してみたり。。。


〜〜(以下本文から脱線。この文を編集中なにか急に指が動いたのでメモそのまま載せます。)〜〜

水は大事なことだよ。
このちにきたからあとはもうなかれけかかかかかななぬよえおくおとえかもゆてかくの
(この地に来たからあとはもう〜〜〜)??


〜〜〜

よくわからないのですが、何か受け取っていたみたいです。文章を書いてる途中、私はこれも占いのときの感覚に近いのですが、自分の意識に反して「これ(この文字)をとらないとしっくりこない」といった感覚で発作のようなものがたまに現れます。なので、たまにぐちゃぐちゃあ〜〜と、アナログでもデジタル(フリック入力やPCのキーボード)でも、
文字を書いててそうなるときがあります。

いわゆる自動書記的な現象なのか、はたまた私の妄想なのか疑ってはおりますが、深くは追求してないです。軽いヒントくらいに思ってます。


現地では得たものがあったのがいまいちピンと来てなかったのですが、やっぱりブログで書き起こして思い返してみると、こういうふうに色々合わさってわかることもあるんだなぁと今感じました。

でもたしかに、水が大事というような一連の流れだったのかなぁなんて、編集している今思ったりしています。



突如意識がスポーンと占いモードにスイッチして脱線しましたが、金華山の話に戻します。




しばらく連れと腰を掛けてぼーっとしていたところから、
降りるか…となって、降りていきました。
実は私達の後ろに男性一人がソロで一緒に登ってきていたのですが、私達同様に看板前で一旦お互いに不安になりながら、
「これ登っていいんですかね?」なんて言葉を交わしてました。
「大丈夫だとは思うんですけどね〜…」と私達は話すと、男性は看板より先の奥の院のほうへさらに登山をはじめ行ってしまったので、
引き返した私達は「あの方大丈夫かな…」などと心配しながら帰ってきました。

私達にはまだ奥の院に行く勇気は足りなかった…。(; ・`д・´)ぐぬぬ・・・

写真は降りるときの水神社。
然るべきときなら水が汲めるのでしょうが、フェンスは閉まってました。


こちらは弁財天堂。降りてくる最中に、私は気になることがあって、ノナさんのブログを見返しながら降りておりました。

先程山中で、祝詞について考えていたのと、コタローさんや龍神さん、金華山の話をもう一度復習していると、かつて弁財天堂に行かれて祝詞を神様に頼まれていたのを発見して、私はそれをやらなくては!となり。。。

いてもたってもいられなくて話したくなった、ノナさんに突如お電話して、ほぼほぼ脈絡ないまま「アノ祝詞って私やれないですか!?弁財天堂で祝詞あげたほうがいいですか?」と、伝家の宝刀に猪突猛進・正面突破的な感じで聞いてしまいました。。。

いざとなったときコミュニケーションめちゃ下手で本当に体育館裏告白する学生並みにあがってから回ってしまうのです。。。
(ノナさん突然あたふた電話してすみません。。。笑)

結局、思ったとおりにやってみれば〜?的な、確かに私もいつもの私の考え方もそうやんけ…という、ノナさんらしい回答を頂いて、
(くっ…私のようなものはまだまだ特別な祝詞を聞く立場にないぞ……精進せねば……)と、
心の中マジ武家屋敷でした。



電話凸をする直前に、珍しい色の虫に気がついて、連れと二人ですごいね〜きれいね〜なんて話してました。
なにか意味があったかもしれない。



弁財天堂で祝詞をあげ、となりの大きな大黒様と恵比須様に圧倒されながら、社務所でいつもどおり御朱印をいただきました。
となりにお守りを見る場所と休憩所があったので、私は一番気になった弁財天さんのお守りを求めました。オーロラのような絶妙な白の勾玉できれい。
社殿前というほどでもないですが、帰りになって一応正面をカメラに収めました。



ギリ天気が持ってよかった。


船に乗って帰ってきたあと、ホエール館(ホエールタウンおしか)という待合い兼お土産どころで冷凍のずんだシェイクを買って飲みました。
この世のご当地スイーツで、私はずんだを一番愛しております。笑

あとになってホエールタウンは昔行ったときはなかったと、東北仲良し組に聞いて、たしかに新しかったなと気づきを得ました。



石巻から車を走らせた帰り道で、そこそこリーズナブルで新鮮と口コミを見て、
「廻鮮寿司 塩釜港」という塩釜の寿司屋で夜ご飯を食べました。

貧乏症の私はやすいマグロでできる限り腹を満たす。。。笑
新鮮でとても美味しかったのですが、正直値段に気を使いすぎて、普段魚べいLOVEでバクバク食べている大食いの私は、普通の量を食べる人を装う形となって完全に萎縮してしいました。。。笑

ただよかったのは、私達の前のお客さんが、3世代に渡って一緒に来たご家族の大団体さんで、きっとお祝いなんだろうなというその雰囲気だけ受け取って、なんだかほっこりしながら帰ってきたのでした。


「金華山に3年連続で参拝すると、お金に困らない」という言葉─。
旅中でその言葉はどちらかというと
「金華山に3年連続で来れるくらい自分が稼ぎをがんばって困らないことが目標だな」と自分なりに解釈と学びを得ることが出来たので、

3年後は寿司も思いっきり食べれている…はず。

そうあってくれよ、3年後の私。

(完)

金華山紀行:前編

2024年10月20日 08時00分00秒 | 日記

10月6日(日)に、ついに金華山へ行って参りました。

当日は高速を使わずに、車で下道を4時間半。。。(片道だけで)

10時半の船を予約していたので、出るのは朝5時半くらい。(=_=)

石巻は半島になっているため、海沿いではあっても奥地も奥地でございました。

そしてなんとかかんとか船の出る鮎川港に到着。




津波のときは大変だったのでしょう。。。
私も福島なので、大変さはわかるつもりだが、山側育ちのため、海側に行くたびに、土地ごとの厳しさに直面する。



ビシャアっと。

船上でマップを開いて進む様子見ていて気づいたのですが、
鮎川港からは大回りをするように島へ向かっていて、よく見たら金華山と陸地は、とても近くて、いっそ橋をかけちゃえばよいのでは……と素人考えで思ったり。



しかしまぁ、鹿が橋を渡ったらしかたないか…(アッ)




港からいきなり急な坂の参道を登っていく。

おそらく神社関係の送迎の車が走っていて、足が悪い方は乗り合いする必要がありそうだった。

全然関係ないが、私は風ではためいた横断幕に空いた切り込みを見て「風をいっぺんに受けないようにしてるのか!」と感動していて、
こういう構造やデザインの仕組みみたいなものの工夫に目が行ってしまうのは、もはや性分なのだろう。




庭には二頭鹿がいる。

天気は本当にギリギリ雨が降らないというか、もはや何かがギリギリ雨を振らせないよう頑張ってるように感じるほど、曇りも曇り。絵に描いた、曇天。



なにかが雨を降らせないようにしていた、なんて表現したが、今回のメインイベント「鹿の角切りまつり」の1回目本番が始まると、
曇りではあったものの、その雲の合間から途中少しだけ暖かい陽の熱線?が天から降り注いでいて、気温が少し上がっているのを感じた。

以前もこの祭りのときに神様たちが集まっていた、とノナさんブログの記事でも見ていた私は、
このじんわりとした暖かさは、きっと天上の皆さんが頑張って天気を保たせてくれて、鹿や人間たちが寒くならないようにしてくれたのかなぁと、一人心の中で感謝を念じていた。



鹿の数を半分にしてはまた半分に…と、会の方々が調整しながら、
捕獲に手こずりながらも、ようやく一頭目の鹿さん、いわば最初の神鹿の角をギゴギコ。



角をギゴギコ切られた鹿は、スーーっと野に解放。(ネタが若干わかりづらい)

牡鹿さん、角がスッキリして首コリせずに済みそう〜とは思ったものの、
なんというか、、、俺の男の尊厳が、、、みたいな哀愁を感じる。

🦌「しかたねえな。。。」

私はお疲れ様…と見送った。


角切りを見終わって、鹿の角を始めとした景品の抽選があり、一応前もって記名して参加だけはしていたものの、結果当たらず。。。

期待はしてなかったものの、まあ今当たって運使いたくないし、他の方に必要な方が要ればそれで良いや……と、
利他の心(?)半分、負け惜しみ半分……。笑


気を取り直して、神社本殿へ向かったのだった。

つづく。

金華山前日譚:ある滝とその龍神さん

2024年10月12日 12時20分27秒 | 日記
宮城県石巻市は金華山。
 
前回のカード占いでお呼ばれして、流れのままに、何があるのかもわからず勢いのままに行くことにした。
 
……とその前に。
 
 
金華山に出向く日が近づくと、“直感さん”がなにか言ってくる。
 
「金華山に行く前に、裏磐梯(福島)の“とある滝”に行ったほうが良い」
 
カードも引かずに、龍神さんのことを思いながらそんな意識があった。
 
というのも、私が2〜3年前にその滝を東北メル変仲間3人組で訪れた時。
 
これはあくまでその内々での話だが、
その滝には龍神さんがいらっしゃって、
メル変仲間でも特にこれまできっかけ作ってくれたり、いつも大事なタイミングで仲介役となって導いてくれたメル姉さん(命名してみたらミル姉さんみたいになった…笑)が、またもやそこでもそのバイタリティで仲介役となって、なんの因果かその龍神さんを姉さんにではなく、私に就くようにお願いしてくださった、、、という話になり。。。
 
 
そのときサニワしてもらった言葉で、私のことについて龍さんが話したことがあまりにストレートだったので爆笑したのを覚えてます。。。笑
 
 
その時は、就いていただいた嬉しさもあって、なにか象徴として家にお祀りしたい思いも湧いていたので、
ノナさんにもちょっとずつだけお伺いしながら、
「特に必要はないが水色の?布を、川のように?置いてほしい」とのリクエストがあったのを何となく覚えている。
 
なので現在私の家の龍神さんコーナーの敷物は、ターコイズのような色のものを軽く垂らすように敷いている。
 
 
 
尤も、それが布かと言われたら、少し違うかもしれない。直前に大きな地震が来ていたせいで、神棚のものが落ちたり倒れたりして大変だったので、よく100円ショップにも売っている滑り止めになる素材のもので、ちょうどきれいな理想の色のものがあったので、それを敷いた。
 
いずれ、ピンとくるちゃんとした布にも巡り合えればいいなと思っているが、
なんとなく、なんとなくだけど、
それを敷いて滝のように垂らした時に、頭にグワッ!とした感覚が来て、これでいいっぽい、、、となって、今もそのまま。
 
 
 
当時は神棚に何か置いたり、祝詞を唱えたりすると、たまにクワッ!!( ゚д゚)とその場にクラクラするときかあった。RPGで「ランクが 1 あがった!パワーアップした!」的な。
 
今は神棚のメンバーも固定で落ち着いたので、それほど大きな変化は感じないが、諸々不足していた私がそのエネルギーに付いてこれるようになった、というのがしっくりきている。
 
 
 
 
 
話が神棚のほうに逸れてしまったが、
金華山に行く前に、私はその滝へ1年ぶりに行くことにした。すごく久しぶりな感覚だったが、何気に件のことがあってから毎年行ってデトックスしていた。こちらはとても清まるのです。
いつもは一人で行っていたが、今回は金華山へ一緒に行くパートナーもつれて。
 



遠くはないが、駐車場から滝に行くまで割と階段と山道。
 
ずっと気になっている、灯籠。
 
伝承上、不動明王をお祭りしているとあるのだが、滝のそばにあるお社には、もぬけの殻ともとれる神棚がおいてあるだけで、なにか祀ってある感じはしない。毎回お疲れ様の意味で一礼だけはしている。
 
いつか、、、その龍神さんもしくは滝そのものがもっと居心地が良くなるのであれば、お社の管理、、、までいくのは難しいのだろうが、何かしてあげたいと淡い希望を妄想している。
 
 



今回は、ただ行くもしくは癒やされに行くというより、なにか「お使い」「繋げる」といった感じがあった。
 
ちなみに去年来たときは、私の中で「祝詞を唱える」という流れがあって、私は人のこないうちに、
滝の橋の上で、滝に向かってスマホ片手に大祓を唱え、ついでに直近に動画で見ていた龍神祝詞の動画の音声をなぞりながら唱えたという思い出がある。
 
 
そのときは本当に感動した。
 
その場がチカチカと明るくなるような感覚に襲われ、本当にクラクラしてしまうほどご神気のようなものが漲っていたのを感じた。
 
さすがに、これは嘘まことの話で語るには収まらんぞという。。。
 
やって正解だったな、、、と。。。とにかくすごかった。
 



今回は、お使い。それも水を汲みに。
 
そしてその水を、金華山に持っていく。。。
 
そんな風に解釈をしておりました。
 
一応水を汲むために橋の方から降りた川岸にて、簡易的ではあるけど祓詞のほうの祝詞をあげた。
 
すると一緒に行っていたパートナーも「なんかクラクラする、、、これって山登ってきたから、、、だけじゃないよね?」と言うもんで、
私は慣れたのかクラクラとはしなかったが、
以前そうなったことを思い出してやっぱそうよね!?となってみたりする。
 
パートナーはこういう事自体は好きではあって、理解もしてくれているが、
私ほど神仏やらに傾倒している人間ではなく、
 
あくまで私との組み合わせだとある程度の「常識人ポジション」の人間なので、
ぶっちゃけ私が感じてることが、常識人にとっても「本当」に起こってることなのか?!と自分に対しても疑わしい私は、
パートナーの言動で、ある種の正解を得ている。
 
エネルギー、やっぱあるよね〜。フムフム(私)
 
 
川岸で川を静かに見つめて、滝の音に静寂を一度預けるかのようにゾーンに入る私とパートナー。
 
ふとパートナーが、川岸の岩で水の溜まり場になっているところをふらっと行って見つめていた。
 
「なにかピンとくる石があったら持っていけたらなって」
 
ほう……!そういう考えがあるか……!
 
これまで来ても石を持って帰るなんて発想が出なかった私。彼奴も私も普段から天然石が好きでブレスレットを作りに見せに行ったりしていて、石とは仲良し。
 
ただその考えを受けて、私は一瞬だけ、石を家へ持って帰るのは怖いこと、なんて、昔に母に教わったことが頭をよぎる。小学生の時分。
 
 
しかしパートナーは川岸の水底を見ても良い石はなかった様子。
 
それを受けて、私はなんとなくあたりを見渡すと、
また直感というか意識の視点が川岸から見て「上」と言っている。
 
滝のごく間近のわずかな岩の道のほう。
 
昔の教訓が過ぎっておきながらも、身体が先にずんずん登り始める。。。
 
本当にこういうときの自分の思考があとになってみるとよくわからない。
 
 
 
普段わりとビビリなので、そんな滝の間の高さにあるすぐ横の狭い岩場足場にまで進んだことがなかった。
が、「そっち、そっち」と直感が言うもんで、
行くか。。。と若干の勇気を振り絞りえっさほいさクライミング。
 
カードやおみくじを引くときの意識に似ているのだが、ああこれだなと、私の意識下の「意思」などに反してでも「直感」がなにか言う感覚があり、だいたいそれはどうやら当たっているっぽい。そう自信を持って言えるのにも少し時間がかかったが。
 
 
そして、わたしは狭い岩場の足元をじっと見つめ、あぁこれかもと、持ち帰るのにも手頃と思わしき石を選ぶ。なんか持って意識を合わせるとグググ………と、なにか車酔いならぬ石酔いしそうな感覚になる。
ほんとに持ち帰って大丈夫ですか……?と、自信の無さも少々。。。
 
一番中心と思わしき石と、予備的に周りの2つで計3つを持ち帰り、ひとつだけ角が丸い優しい石は、パートナーへ。観葉植物と一緒に置いておくのを勧めた。
 
 
たぶん一番中心の子。ツヨイ。パートナーも持ち比べて、なんだか一番グンとくる的なことを言ってる。

どちらにせよ、今まで家にこの滝の象徴がなく、持ち帰ってつながりが生まれるのなら、どんなものでも石があっていいかもしれないという考えに落ち着いた。
なにより、今回はパートナーがそんな考えを口から出したことにも意味があると思った。
 
ありがたく賜り、龍神コーナーの仲間入りを果たした。
置いたとき、家がぐわんぐわんとしたような気がした。
 
 
後々になってからふと降りてきた言葉があったので、書いておくとする。
あくまで、私の今回の旅のキャッチコピーみたいなものです。
 
 
「水の流れに龍を見よ。水すなわちそれ龍そのものなり。水の流るるは龍の脈動なり。」
 
 
こうして、今年の龍ちゃん挨拶と、金華山への前準備のような段階は済んだのだった。。。
 
 
次回こそ金華山の話へ!
 

キンはカネなりパワーイズパワー。

2024年10月12日 12時02分18秒 | 日記
「道反之オオカミと奈良への道」記事の続きです。
 
 
この質問をした背景・・・
 
 
先日(9月中旬頃)したカード占いにて、
 
(直近で)行ったほうが良い神社を占った際「金山彦命」さんがいらっしゃった。
 
 
めちゃくちゃわかりやすい組み合わせ。力をもらう、あるいは与える。逆に言えば、今わたしには力が出て来ているが、あと一声。なんてメッセージも聞こえる。
 
そして、シンプルに「金(きん)はパワーなり。ぱわーいずぱわー。。。」なんて。
 
満月のようにみちみちた力を体感せねばという。。。
 
 
また、いつも見ているリーディング動画にて、サインを受け取っているが
 
その中でも「旅にいけ」と。
 
「方向」は「北」。その次に「西」とバラバラにサインをもらっていた。
 
 
 
なんのことかわからなかったが、すべてわかった。
 
 
「北」は金華山(わが福島から見て北)
 
「西」は「関西」(これをするまでどこいっても大体西日本よりになるから沖縄などいろいろな候補が浮かんだが、キーワードとしての「西」に納得がいく。)
 
 
と、いうことで、結論は前記事の内容に至ったわけだった。
 
9月から環境の変化があり、仕事を探すついで、以前行っていた経験のあるリゾートバイトにまた行って、つかの間の出稼ぎと遠くへ旅したい気持ち、
 
そして、かつてリゾバで働くことに対して変に失敗意識を持ってしまったため、その克服・払拭を兼ねてこの自分の変わり目の時期にまた旅をしようと思った。
 
この連続にて行くことこそよいのかもしれないと、今実感している。
 
 
 
 
・・・そしてこの「金」というワードにはさんざん心当たりがあった。
 
 
これも本当にたまたまなのだが、ポンと斎藤一人さんのファンブログさんの画像が9/5の記事で
 
 
Googleトップのフィード(ディスカバリー・ニュースみたいなやつ)にでてきた。
 
image
引用元:
リンク
 
 
現在の私の金銭事情的には、十分すぎるくらい刺さった言葉だった。(スマホの待ち受けに画像を貼り付けたくらい)
 
言葉だけで取れば当たり前と思うかも知れない。ただ、父が入院して治療費に対して困っているのをなんとかせねばと公的機関の間を奔走していた8月-9月の私にとって
 
一番はそんな父にこれまで金銭的に支えられて来たにも関わらず、いざ自分が助ける番になってみたら私に余力資金がまるでないではないかと、
 
自分の不甲斐なさを実感していた。
 
「なんのためにお金を稼ぐのか。働くのか。」
 
一段とお金や働くことに対するコンプレックスや、私のしている自営業をするうえでモチベーションのなさを痛感していた私は
 
結局、自分の「我欲」のためだけに働くのはまさに「力」は湧かない。それでは意思に限界があるということを思い知ったのだった。
 
もちろん、自分のやりたいことのために仕事をしてもいい。ただ、その根底にあるべき芯は、やはり愛のためでしかない。
 
 
 
大切な人を守るための金(パワー)があっても良いんだなとしみじみ感じ、その向き合うべき課題に「金山彦命」さんのカードがでてきたようだった。
 
 
 
 
今回このカードがでたから、自宅から比較的行ける距離にて、金山彦命さんを祀っている調べてみると、どうやら前々から行きたかった宮城県石巻市の「金華山黄金山神社」の御祭神。
 
「はっ」と、そういえばここ1,2年くらい前から、行きたいと言っていたことを思い出した。
 
以前調べたはずなのに、すっかりそこが金山彦命さんだということを忘れていた。
 
しかもよく見ると、もうすぐ(10月初旬)は金華山の一大イベント「鹿の角切り祭り」があるそう。
 
💡これは!!
 
となった私。
 
妙に気になった私は、勢いのままにノナさんへ連絡し、サニワしていただく。
 
仲の良い東北メル変三人衆のグルーブラインにも、行ったるわ!!なんてテンション高めに話してみたり。
 
 
 
そしてノナさんから「行ったほうが良いみたいだよ」とお墨付きをいただき、俄然ハイになる私。
 
正直島までのアクセスを調べると、宮城の端の端でなかなか大変なうえに、お財布事情が厳しいが、ええい!だからこそ!!という根性で
 
思い切って行くことにした。こういうことに関すると行動力が不思議と出る。
 
 
 
同行してくれるパートナーの助力もあって、船も予約し行くことにした。
 
 
 
金華山にいらっしゃるは「コタロウ」さんなる金龍さんとのこと。
 
そして、「奈良県」長谷寺にいらっしゃるは虹龍さん。今回お初で認知いたしました。
 
 
今、「さん」を「はん」と何回も打ち間違えたので、どうやら「虹龍はん」かもしれない。関西っぽい。
 
しかも、私の持つ龍神さまカードには実際に虹龍さんがいらっしゃる。
 
ついこの間もアドバイスで出ていただいていた。
 
 
 
そういえば、奈良の長谷寺ではないが、2年前に鎌倉に父と旅行したときに、鎌倉の長谷寺にお邪魔した。
 
奈良から龍神さんが移って鎌倉へ来られていたという話だったので、私が話を忘れてしまっていたのか、意識していない間にお会いしていたかもしれない。
 
鎌倉には「龍口明神社」があるのでよく行く。ちなみに我が家の神棚にも別宮的に龍口明を主とした龍神コーナーがある。
 
 
また、奈良の長谷寺と鎌倉の長谷寺はノナさんブログサーチで発見したが「かたわれ」らしい。
 
 
 
 
 
玉依姫さんが好き、というか私の分御霊というノナさんの鑑定から、龍口明へつながり、私の龍神様遍歴は始まったので、
 
もしかしたら、これまたご縁を頂いたのかなぁなんて。
 
 
 
いずれ鎌倉にまつわる龍さん巡りのことも書きたいな。。。ブログって書き始めるときりがないですな。。。
 
 
 
次回、「金華山紀行レポ」。サービスサービスパワーイズパワー!
 
 

いつかのわたしが

2024年08月29日 05時15分00秒 | 日記

無思考のまま、脈略なく、手が動くだけ今の感情を書きなぐってみようと思う。

いつかのわたしが、誰にも負けない力を得たとき

そこにある私の心が癒やされることを願って。

すべては一つにつながってる。

書きなぐると心がスッとする。

書いている時間と、その空気が一本の糸が通ったようにきれいになる。

助けてほしいって、過去の自分が言っている。

助けてあげるよって、今の自分なら言えるはず。

私は「わたしの気持ち」のために、今それを叶えてあげたい。

音を司る人間になりたい。音を楽しむことをしたい。

つくったものの命が、1000年生きれる。

今思った感情が、なにかをつくれば1000年生きれるって。

「1000年生きてる」

https://www.youtube.com/watch?v=3em-J9yYPAo

私が死んでも、私のこの気持ちたちのために

この命の最期まで、創作で、音で、言葉で、表して生きていきたい。

来世には、この気持ちは持っていけないから。

この希望は、今を生きて得たもの。

消費期限は今世限り。

いつかのわたしが、いつかの私へ、残したい気持ち。

誰もいないインターネットの中でなら、1000年残っていられるかもしれない。

書きなぐってみた。