星の依る庭

よる【依る/寄る/縁る/夜】

人知れず大切なものを書き留める、SF(すこし・ふしぎ)メルヘンブログ。

いつかのわたしが

2024-08-29 05:15:00 | 日記

無思考のまま、脈略なく、手が動くだけ今の感情を書きなぐってみようと思う。

いつかのわたしが、誰にも負けない力を得たとき

そこにある私の心が癒やされることを願って。

すべては一つにつながってる。

書きなぐると心がスッとする。

書いている時間と、その空気が一本の糸が通ったようにきれいになる。

助けてほしいって、過去の自分が言っている。

助けてあげるよって、今の自分なら言えるはず。

私は「わたしの気持ち」のために、今それを叶えてあげたい。

音を司る人間になりたい。音を楽しむことをしたい。

つくったものの命が、1000年生きれる。

今思った感情が、なにかをつくれば1000年生きれるって。

「1000年生きてる」

https://www.youtube.com/watch?v=3em-J9yYPAo

私が死んでも、私のこの気持ちたちのために

この命の最期まで、創作で、音で、言葉で、表して生きていきたい。

来世には、この気持ちは持っていけないから。

この希望は、今を生きて得たもの。

消費期限は今世限り。

いつかのわたしが、いつかの私へ、残したい気持ち。

誰もいないインターネットの中でなら、1000年残っていられるかもしれない。

書きなぐってみた。

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近況:リンク先紹介

2024-08-29 02:40:39 | 日記

ご無沙汰です。

突如更新再開したかと思ったら、今度は私に関するリンク先を羅列します。

別名義で記事みたいなのをこちらでも書いています。

note: https://note.com/midzukiprod

 

noteのほうが気が楽でアクセスしやすいので、やや更新頻度が高いですが、たまに、です。

当gooブログではとくに

なにやらメルヘンオカルトなことを書いてるつもりです。

 

 

また、「星科 羽依(ほしな うい)」として

メルヘンインスタグラムをはじめました。 

https://www.instagram.com/hoshi.no.yoru.niwa/

 

全体的に、名前を変えて活動することに慣れてなくてなかなか続きにくいのが難点ですが・・・笑

 

そんな私も、どうぞご贔屓に。

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人間人間するもしないも

2022-08-09 05:57:24 | 日記

なんだかんだブログ期間を開けてた。。。

いつもついつい、私は何か物事をやり始めると、「やりたい」ではなく「やらなきゃ」という義務感寄りな考え方になってしまいます。

おまけにきれいにやらなきゃ、全うしなきゃ、とか、完璧主義おじさんになってしまいます。
でも私は知っています。。。


ブログとダイエットは義務感では続かないことを。。。


ということで、気が向いたとき、あるいは私のデトックスのために、このブログは緩く書いております。

ブログコンセプトも、そんな感じにしていたのを、私自身が忘れかけておりました。笑

はなから続かせる気がないつもりで、完璧主義からご都合主義に、気持ちを切り替えようかなと思います。


そういう感じでいいんだよなぁ。と、またふと思い出したような感覚でいる今日この頃。




さて、そんな私はよく、自分のことばかりしか目が行っていない、おおよそ視野が狭くなってるときに、ふと一歩下がれたときの感覚や方法を、体験するたび、すっぽり忘れてしまいます。

さきほどの義務感の話もまさにそうで、その話で言うならば、

ゆるくやっていいんだよ~、自由に楽しんでいいんだよ~とふと気づき、心にじんわり染み込ませ、覚えさせて気持ちが軽くなっても、

ふとしたら忘れて、心が軽くなるようなそのエネルギーの波的なものに乗っていたところから、ガクッと落ち込む感じになるときがあります。

それはしかも、周期的に来る。

エネルギーの波と言ってもいいのかもしれない。


感覚の話なので、とても表現が難しい。。。


私としては、せっかく、波から脱する方法を掴んだのに、忘れてどうするんだい!!!っていう。。。笑



論理から直感への切り替え、みたいな。


そういうときの度合いの表現方法として、
「人間か、人間じゃないか」「人間人間してるか、してないか」
という表現方法が個人的にとてもしっくり来ていて、
ひょんなことから先程見てた方の、なんとまあYouTubeで気づきを得てきてしまいました。笑


私はつい先日から、いかにも人間らしい(人間人間してる)、謎の「恐怖」や「不安」、急な頭痛で「何かが(エネルギーが?)下がる感覚」といった、人間スパイラルのドツボにハマるところでした。

客観的視点に戻れて、
謂わば、人間と人間じゃないくらいの間のところまで戻ってくることができました。笑


大事なのは、やはりいつも、自分の意識だなと。

人間か人間じゃないかというグラデーションの中のどこに行くかを、意識だけで定めること。
それを決める事自体も、すべて自由であるということを忘れない。

そこに良い悪いもなく、どんな事態が起きても、それをただそのまま"観て"、そこから抜けたきゃ、何も考えずにすっぽり抜けて、行き来できる意識。

どこに焦点を置くか。

それをしやすくするために助けてもらう、目を向けるのは、簡単に言ってしまえば、感謝&愛やなぁ、と、改めて気づいた次第です。。。

私はまだまだ、来た事態、サイクルにとらわれがちだったのだなぁと。

守ってくれる方々に感謝です、ほんと。

ですが、最近は昔より、その意識の仕方を少しずつ体得できてるのかなぁと思えることも増えてきました。そのおかげか、今回はだいぶ波を脱するのが「フッ軽」だなと思えます。笑


デトックスの方法も少しずつ心得て、人間人間になるもしないも、
グラデーションの中を自由に行き来できるような人になれるよう、練習中の私でした。



書いたから、これでもう忘れない、よね…?


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Serendipity - セレンディピティ -

2022-04-12 11:48:53 | 日記

Serendipity -セレンディピティ-という言葉があります。


これは、私が3年ほど前……
ってもう3年前!?と書きながら驚いておりますが、
2019年頃に、私は岩手県で働くことになりました。

この言葉は、そこで知り合った方が教えてくださった、今でも印象に残っている言葉です。


その頃、私は前の記事で書いたとおり、
新天地でさあ頑張るぞとしてはいたのですが、
当時社会経験のまったくない22-3歳の青二才(韻踏んでる)が、
いきなり数ヶ月前まで名前も知らなかった土地で、
トントン拍子で社会貢献的なことをする立場になったものですから、
まぁ手も足も出ず。

おまけに高校生あたりからその頃くらいまで、ずっと簡単に言ってしまえば鬱のような感じだったのです。


心療内科系の病院にも通ってました。


これは、同じようなケースの方々の助けになればなぁと思って、最近は多少重い話でも忌憚なく話すようにしています。
こういう過去は伏せる方々意外と多いんじゃないかと思ってはいるのですが、私は敢えて伏せません。


話すことで、私自身が過去のものとして消化できるというのもありますし、
なにより、今は完治している(寛解している)と言いきれる自信があるほど、私は良い状態になれているからです。

本当に、人のご縁のおかげ様です。




さて、
人のご縁という言葉をちょうどよく出せたあたりで、
セレンディピティの意味に触れます。

ネット辞書からヨイショヨイショするとこういうことです。

    セレンディピティ◆別のものを探しているときに、偶然に素晴らしい幸運に巡り合ったり、素晴らしいものを発見したりすることのできる、その人の持つ才能。


もともとはざっくり言えば英童話からの造語らしいですが、英単語として浸透しているかと。

また才能となってはいますが、その事象自体も意味に含まれるのかと。


私は、この言葉を、
見ず知らずの土地で、「人のためになにかしなきゃ」という義務感からの"やらなきゃ"に自ら押しつぶされに行っていた中で、
唯一自分が心から興味のあった、音楽(音響)というもので自分から繋がりに行った、
昔の真空管アンプに始まるようなステレオと、それらでジャズを聴くのが大好きな素敵なおじ様から教えていただいた言葉でした。




(探したら見せてもらった真空管アンプの写真がありました。懐かしい。)



そのおじさまは、機材にとても興奮して食いついている私に、
「私は『邂逅』と『セレンディピティ』という言葉が好き。」と、
おそらくジャズ、かつての名作などの知見から得た言葉と察することができる雰囲気で、私に話してくれました。

邂逅の意味もセレンディピティと辿れば似ていて、
思いがけなく巡り会うことという意味。


ちょっとセレンディピティの意味合いが色々含まれている感じで、未だに解釈が難しいですが。。。

この言葉の意味の豊富さ、壮大さ自体が、まさに言葉にしきれない偶然というものを表しているな…と思います。



「あなたと出会ったのも、何か意味があるのかもしれないね。」

おじさまはたしか、そんなことも言っていたようにうっすらとですが覚えています。


当時の私は、本当に心が死んでいて、笑ってるようで心にまでは届かずに笑ってないみたいな状態でしたが、

そんな中でも、そのおじさまや、以前のブログでも紹介していたEさんやIさんなど、その他もちろんたくさんのご縁もあって感謝はしていますが、やはりそのセレンディピティ現象的な?ものを知るキーパーソンとなる方ような方がいらっしゃって、

乾いた心にも残るような出来事だったんだと、本当に奇跡のようなものを感じます。


そしてその後の発展をつなげていく過程もまた、セレンディピティがそこにある感。

点と点がつながる感覚。

今となっては本当に、その出会いには意味があったのだと感じています。


そもそも偶然や巡り会いは普段当たり前のようにどこにでもあることであって、たぶん感度の違いや、カメラのピントがタイミング的に合うか合わないかの違いみたいなものかな、と思います。

偶然隣の席になった、
偶然同じ場所に居た、
偶然タイミングが合った。。

それらを偶然だとして見なければ、それは偶然ではないから。

電車で隣に見ず知らずの人が座っても、「奇遇ですね!!」という話にはいきなりならない。

然るべき経験があって、初めてそこにピントが合うようになって、はじめてその"点"に気づくこと。
ストーリーがあること。
そしてそれがつまるところ縁である。。。

偶然というものは、常に起きていて、
それはつまり常に起きている奇跡だけど、それに気づくには過程が要る。

私はそれをちょっとばかり多くありがたく思えたのか、
本当に、運が良いといいますか、ちょっとばかり点と点を繋げやすい(繋がったと思いやすい)ひとだったのか、
特にややオカルティックな面では取り柄はないと思っていましたが、

セレンディピティ、
そんな名前の誰しも持つ才能にだけは、ちょっとばかり早く、気がつけることができたのかななんて思ったりします。




道端の名もない花に気づけるかどうか。

誰だって、みんな、気づけた瞬間には、愛でて幸せになる力は持ってるはずですもんね。



まずはそのおじさまに、私がつなぐことのできた点となるものをいただけて、ありがとうございました、ですね。

ほんとに、こういうときのために、「有り難い」という言葉があるんだなぁと思います。

きっとこのブログは、様々な伏線で繋がったセレンディピティ物語を綴っていくんだろうなぁ。

その後のセレンディピティさん(?)たちの話はまた別記事で。


いつもありがとうございます。


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Blotter

2022-04-12 08:27:51 | 日記
前回記事で名前を変更し、ブログを更新してやろうと意気込んでいたにもかかわらず、だいぶ間が空いてしまいました。

ブログって本来日記なのだから、
考えずに気軽に書けばいいものなのに、
性分というか、一応デザイナー・クリエイターの端くれなので、
一つのものを作ることに、私はだいぶエネルギーを使ってしまいます


無駄なエネルギーを使うということは、まだまだ本当に端くれなんだなぁと反省します。

上手な方々は、色々な意味で、
「手を抜いている」─。
いわば力が抜けている状態だと思うのでね。


もっと気を楽に。。。気を楽に。。。




Twitterならば、もう住処みたいなものだし、140字という制限があるので、ほど良く疲れないくらいに文章をかけるのですが、gooブログ氏、30000字だからなぁ。。。
(全部書けとは言ってない)


本来は私自身の癒やしの場所としてここがある、というのがコンセプトのひとつなので、もっとTwitter感覚で、気楽に、そして簡潔に書いていきたいと思います。


以前の記事でも、
ブログをTwitter感覚でやるというのはすでに掲げていて、
『ブロッター』(Blog+Twitter)という造語をつくったりしていたので、
もうここはブロッターということにしますね。笑


読みやすいし最高でも3000字くらいにして、記事分けするようにしよう。。。


ではでは今回は早めに、1000字くらい過ぎたあたりで、また次回。

いつもありがとうございます。

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