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「あなたは人をちりに帰らせて言われます、『人の子よ、帰れ』と。」詩篇90:3
人の始まりは何により、その終りを何がきめるのでしょうか。
それがはっきりしないと、根無し草のようにふらふらして、
自分をしっかりと握ることができません。
まず、それぞれの人生は、親でもなく、先祖でもなく、神様によって始められたものです。
始めた方はそれを持ち運び、運行し、すべてに責任を持ってくださいます。
やがて定められたときがくると、みことばのように人は神様のもとへ帰って行きます。
この枠組みの中で生きていることを自覚しましょう。
(榎本和義牧師)
人の始まりは何により、その終りを何がきめるのでしょうか。
それがはっきりしないと、根無し草のようにふらふらして、
自分をしっかりと握ることができません。
まず、それぞれの人生は、親でもなく、先祖でもなく、神様によって始められたものです。
始めた方はそれを持ち運び、運行し、すべてに責任を持ってくださいます。
やがて定められたときがくると、みことばのように人は神様のもとへ帰って行きます。
この枠組みの中で生きていることを自覚しましょう。
(榎本和義牧師)
「 人は滅び行くもの 」これも神のなさる事、ただ不思議です。
ここに書かれていることは、聖書に書かれている悔い改めではないようですね。
「 ちりに帰らせて 」 とは。自己存在というものの喪失でしょうか。神の国ではそんな事はないのですが、ある人が言っていましたが。地獄の苦しみの一つは、自己存在が無くなる事だと。
>始めた方はそれを持ち運び、運行し、すべてに責任を持ってくださいます。
この事が信じられれば 地獄の苦しみはなくなるのでは?
与えられた使命が全う出来れば神様が
「人の子よ帰れ」と召して下さいますが
そうでなければ まだ使命が残されているのではないでしょうか。
神様のみ手の中であることを感謝します。
明日の礼拝が祝されますように。