「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している。それゆえ、わたしは絶えずあなたに真実をつくしてきた。」エレミヤ31:3b
これはあなたへの神様からのラブレターです。「あなたを」と言われます。今、どのような苦しい、悲しい境遇にあっても、「愛している」ことに変わりはありません。また、あなたが不真実で、主を離れていようとも、主はかわることなく愛しておられます。だから、「真実をつくして」なのです。今日も、主の真実な愛があなたに注がれていることを信じましょう。(KE)
by 輝子さん
「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している。それゆえ、わたしは絶えずあなたに真実をつくしてきた。」エレミヤ31:3b
これはあなたへの神様からのラブレターです。「あなたを」と言われます。今、どのような苦しい、悲しい境遇にあっても、「愛している」ことに変わりはありません。また、あなたが不真実で、主を離れていようとも、主はかわることなく愛しておられます。だから、「真実をつくして」なのです。今日も、主の真実な愛があなたに注がれていることを信じましょう。(KE)
by 輝子さん
「まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。」イザヤ53:4
イエス様は諸悪の根源であるわたしたちの罪を負って、十字架に呪いを受けて下さいました。今、わたしたちは完全な赦しを得ているのです。罪の結果としての「病」も「悲しみ」も、全ての悩みを取り除いて下さったのです。今なお、悩みがあるのは、神様の罰としてではなく、あなたを恵もうとしているのです。(KE)
by 輝子さん
「わが岩、わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、心7月29日(水)の聖言の思いがあなたの前に喜ばれますように。」詩篇19:14
あなたは誰に喜ばれようとしているでしょうか。家族であったり、恋人であったり、または上司でしょうか。いずれにしても、誰に喜ばれようとするかによって、その人の行動も言葉も、心も違ってきます。神様に喜ばれることを願うなら、真実な生き方をすることが出来ますが、人に喜ばれようとすると、全てが不安定で、浮き草のようになります。(KE)
by 輝子さん
「しかし善を行って苦しみを受け、しかもそれを耐え忍んでいるとすれば、これこそ神によみせられることである。」第一ペテロ2:20b
この世では正当な報いを得ることが困難です。それどころか、誤解曲解を受け、不当な扱いがまかり通っています。この現実に悲憤慷慨して、人の力で世直しをしようとする人もいます。しかし、人の世である限り、それで全てが解決することはありません。大切なのは、自分をこの世へ神様から遣わされ、主のために生きる者とすることです。(KE)
Phote by 輝子さん
「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。自分自身で親しく聞いて、この人こそまことに世の救主であることが、わかったからである。」ヨハネ4:42
イエス様を信じて救われるのは、組織の一員になったり、有名な指導者に従うことではありません。信仰へ導かれる具体的なきっかけはありますが、そこから進んで、あなた自身の目で主を見、耳で主の声を聞き、イエス様は私の救主と信じることです。今日も、主に出会い、主に触れようではありませんか。(KE)
「地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。」マタイ10:34
過激で厳しい言葉です。しかし、イエス様を愛し、仕えて行くのは容易なことではありません。世に倣わず、自分を捨てて、主に従うとき、家族との軋轢も覚悟しなければなりません。また、それだけの犠牲を払って主に従うとき、受ける報いも大きいのです。“生兵法は怪我のもと”と言われます。半肉半霊、中途半端な信仰ほど役に立たないものはありません。(KE)
「朝はやく、夜の明けるよほど前に、イエスは起きて寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。」マルコ1:35
多忙な日々を送っておられたイエス様は、周囲の人たちから離れて、静かな祈りのときを過ごしました。それはイエス様にとって、命と力に満たされる時だったのです。父なる神様との親しい交わりを通して、注がれる聖霊を受けるのです。私達にも同じように注いで下さいます。その為には、世の煩いから離れて、静まることが大切です。今日も、主に近づき、命を得て下さい。(KE)
「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から働きなさい。」コロサイ3:23
人からの喝采や賞賛、人に役立つことを願って事を計り、働きます。そうでないと、力を抜いていい加減に済ませてしまうのが、人の習い性です。しかし、それでは神様の前に生きることができません。人が見ていようといまいと、あなたに目を留めておられる神様がいらっしゃることを自覚すべきです。イエス様のために生きるのが、私達の使命だからです。(KE)
「羊はその声を知っているので、彼について行くのである。」ヨハネ10:4b
羊は自分の牧者の声を知っています。彼が先頭に立って行くとき、羊は忠実にその声に従うのです。ほかの人には、ついて行かないで逃げ去るとあります。それが命を守る最善の道だからです。私達の牧者はイエス様です。主はよい羊飼いだと語っています。そればかりか、羊のために命を捨てると。私達はその牧の羊です。どうかまことの牧者の声を聞き分け、従順に従う一日を送りましょう。(KE)
「すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが人の徳を高めるのではない。」第一コリント10:23
キリスト者の自由は、好きなことやしたいことをなんでもできるというものではありません。神様のみこころに従うところに自由があるのです。本来、人は神様に従う以外に真の自由はありません。自分の我を捨てるとき、人としての尊厳、崇高さが表れ、神様の栄光となるのです。(KE)
「わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。」イザヤ46:4
販売される商品について、欠陥や不具合があると、製造者に責任を取らせるようになってきました。私達の造り主である神様は、全てのことに責任を持ってくださる製造者です。このみことばは神様からの永久保証書のようなものです。あなたも私も、神様に造られ、生かされています。安心して、神様の手にゆだねましょう。(KE)
桜島
「主よ、お言葉どおりです。でも、食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます。」マルコ7:28
病気の娘を持つ母親は、イエス様のところへ来て、娘を癒して下さいと求めました。主は冷たく断りましたが、母親はなんと言われようとも、切に願って引き下がらず、求めたのです。彼女はイエス様以外に救われる道の無いことを知って、自分を捨てて主に縋ったのです。主はその態度に感服し、娘を癒して下さいました。主は謙る者、せつに求める者に答えてくださいます。(KE)
Photo by Pashadelic
「悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない。必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、聞いている者の益になるようにしなさい。」エペソ4:29
「売り言葉に買い言葉」と言われるように、相手の一言で非難の応酬、悪口の言い合いになるものです。そのとき、心は自分の正しさ、メンツ、勝ち負けに囚われ、イエス様を思う思いがすっかり消えています。後になって、自己嫌悪に落ち、聞いている周囲の人をも不愉快にします。(KE)
by 輝子さん
「主よ、あなたのみわざはいかに多いことであろう。あなたはこれらをみな知恵をもって造られた。地はあなたの造られたもので満ちている。」詩篇104:24
見聞きする世間は、まるで神様などいらっしゃらないかの様相をしています。これが神様の造られたものだろうかと疑いたくなります。しかし、見えるところがどうであっても、神様は計り知れない知恵をもって造られたものばかりです。それを信じることが信仰です。みことばを信じて、神様のみ手にあることを感謝しましょう。(KE)
「この弱い兄弟のためにも、キリストは死なれたのである。」第一コリント8:11b
イエス様はわたしの罪の贖いとして命を与えてくださったと信じて、喜び感謝します。それは幸いなことですが、同時に、イエス様は全ての人のために命を捨ててくださったのです。たとえその人自身がそのことを知らなくても。あなたの嫌いな人であろうと、主はその人も命を捨てるほどに、愛しておられることを忘れてはなりません。主の愛の共同体に彼もわたしもあるのです。(KE)