90という齢をとうに超えた 祖母が しばらく前から入院中です。
その祖母の 手術をするかどうかで 家族が悩んでいます。
当然 高齢のためにリスクは高いので 家族は手術には反対しています。
『痛い・辛い・想いはさせたくない。けれど 生きてほしい』という
ある意味身勝手な想いは家族だからなのでしょう。
ただしかし 本人である祖母には そのことを伝えていません。
本人の意思を確かめないまま、事を進めて いいのか…大変疑問に思ったので
家族に ある日の祖母との お喋りを 話しました。
90歳を越えた頃の事です。
『ばーちゃん、 何歳まで 生きるぅ~?』
『ひゃぐ (百)まで~ !☆』
と。そのときは笑い話でしたが。
そのことを 話終えると、深刻だった家族に 笑いが…
『生きたい』という 意思表示は、ソレを支える家族を…元気にします。
いつかは 終える “命” “生”・・・ それにしがみ付かないという 潔さ(?)に 人は 憧れます。
けれど 齢を重ねても 尚 『百まで~』と言える 祖母の 正直さに
“人間らしさ”を 強く感じたのは 私だけじゃ 無いと思うんです。
大正~昭和~平成と生き あの黒部ダムでも「しょいこ」(荷物を運ぶ人)として働き、戦時中 姉と生き別れ 昭和に再会するも その後 姉は自ら命を絶ってしまう…自分の子供にも先立たれているという 祖母です。
大正生まれの お年寄りには、珍しいお話ではないでしょうが…
平和の世に ノホホン と育った私には どんな映画や小説より 激的な印象です。
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写真は 『中尊寺 金色堂 旧・覆い堂』 役目を終えながらも、修復されていて 防カビ剤の臭いで いっぱい
役目を 終えても 『古の人々は こうして金色堂を守ったんだ』という歴史をカンジさせてくれます。
もし 祖母の命が尽きても この覆い堂のように 役目を終えて尚 私たちに考える機会をたくさん与えてくれることでしょう。
その祖母の 手術をするかどうかで 家族が悩んでいます。
当然 高齢のためにリスクは高いので 家族は手術には反対しています。
『痛い・辛い・想いはさせたくない。けれど 生きてほしい』という
ある意味身勝手な想いは家族だからなのでしょう。
ただしかし 本人である祖母には そのことを伝えていません。
本人の意思を確かめないまま、事を進めて いいのか…大変疑問に思ったので
家族に ある日の祖母との お喋りを 話しました。
90歳を越えた頃の事です。
『ばーちゃん、 何歳まで 生きるぅ~?』
『ひゃぐ (百)まで~ !☆』
と。そのときは笑い話でしたが。
そのことを 話終えると、深刻だった家族に 笑いが…
『生きたい』という 意思表示は、ソレを支える家族を…元気にします。
いつかは 終える “命” “生”・・・ それにしがみ付かないという 潔さ(?)に 人は 憧れます。
けれど 齢を重ねても 尚 『百まで~』と言える 祖母の 正直さに
“人間らしさ”を 強く感じたのは 私だけじゃ 無いと思うんです。
大正~昭和~平成と生き あの黒部ダムでも「しょいこ」(荷物を運ぶ人)として働き、戦時中 姉と生き別れ 昭和に再会するも その後 姉は自ら命を絶ってしまう…自分の子供にも先立たれているという 祖母です。
大正生まれの お年寄りには、珍しいお話ではないでしょうが…
平和の世に ノホホン と育った私には どんな映画や小説より 激的な印象です。
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写真は 『中尊寺 金色堂 旧・覆い堂』 役目を終えながらも、修復されていて 防カビ剤の臭いで いっぱい
役目を 終えても 『古の人々は こうして金色堂を守ったんだ』という歴史をカンジさせてくれます。
もし 祖母の命が尽きても この覆い堂のように 役目を終えて尚 私たちに考える機会をたくさん与えてくれることでしょう。