岐阜多治見テニス練習会 Ⅱ

鳥海山

              力六分の歩きで

                               山際 うりう


 1786kmの旅が終わった。終わってみれば、鳥海山と月山と姥ヶ岳、それに、羽黒山の五重塔、氷見港、五箇山、利賀村だった。出かける前は、立石寺の蝉、妙高、白山、恵那山あたりが頭の中にあったのに。行き先のことだ。どこで何をしたかったのか。自分で自分の心がつかめないままの出発だった。決断力がないのか、明確な行動の中に没入するまでは、いつも岐路にいる感じだ。あの山かこの寺か、右か左か。土壇場まで逡巡した。無論、出掛けたくないのではない。遠くへ旅立って、見たことのない空の下で、触ったことのない木立の傍で、いつもと違う一日を過ごしたいという自分の気持ち、これだけは不動だった。行き先は、しかし、いつもの通り辿り着くまで決まらなかった。出かけたい場所が多すぎるのだ、多分。自由時間が少なすぎるのだ、あるいは。なかなか行き先を決められない自分に苛々しながら、半ばは自暴自棄の感覚、半ばは浮遊感覚の中で、私は玄関を閉め、車に乗り、エンジンをかけた。ここよりは山へ、ともかく。漂流気分を心のどこかに持ったまま今年の夏休みも始まった。
 何のために一歩一歩、山道を重い荷物を担いで登るのか。山登り以外に趣味(時間の潰し方)がないからではないか。自問は出来ても明確に自答が出来ない。ただこういうことはある。苦しんで頂上に到着する。「やった!」と心の中で叫ぶ。そこへ偶々一陣の涼しい風が吹いてくる。「ああ、気持ちいい」と感じる。その瞬間は自分にとってかけがえのない宝のような瞬間になる。これだけは確かだ。私の山登りの目的の一つは、買うことも売ることもできない、自分だけに意味のある幸福感に包まれること、これだ。
 今夏、鳥海山山頂で私が得たものは、しかし、この一陣の涼風ではなかった。強い風雨が襲ってくる寸前の悪い状況の中での登頂だった。後一息の、最後の詰めの段階だった。私は文字通り四つん這いになって、濡れて滑りやすくなった尖った岩石の群れの上を攀じ登っていた。靴底を下ろす岩の大きさ、形、角度は、当然のことだが、様々だった。そそり立つ岩壁と岩壁との狭い間を通り抜ける場面もあった。そこは一時的な下り坂になっていた。岩石の尖りに応じて神経を尖らして登って行くと、「鳥海山頂上」と書かれた横長の木片が私の目の高さに置いてあった。そう、その時の私は、梯子の上段に足を掛けたまま二階の床の上に探し物を発見したような恰好だった。ようやく登頂したのだ。よく耐え抜いた。この時、私は心の中で確かに一つの強い喜びを感じた。小さいながらも一つの達成感に痺れた。よくやった。自分に素直にそう言えた。簡単に素早く登る人もいる。そもそも山など登らない人もいる、世間には。この際大事なのは自分と人との一面的な比較ではなく、自分の全存在を賭けた自分だけの体験の中身だ。そう、自分はまさしく苦労を乗り越えて登った。そして、今回は、偶々運良く頂上という名の最後の到着地に着いた。そう、必ずしも「頂上」に着けなくてもいいという諦観こそが重要だ。自分が行くことを許された「最後の到着地点」まで行けたら、その地点こそが自分だけの頂上なのだ。栄光とは無縁の頂上もこの世にはあるということだ。苦労をしても決して辿り着けない山頂というものもある。登りたくて山に登ろうとする者にとっては、登頂という結果にではなく、登ろうと努力すること自体にしか意味を見出せない場合もある。誰の人生においても、成功よりは失敗の方が多いだろう。そういう危うい過程の一瞬一瞬を逃げずに生きずに他に生きる場所はない。
 私は定員4人ほどの広さしかない頂上の岩の上で立ち上がった。そして、もう一度登頂の喜びを味わった。霧が四方を埋め尽くしていた。眺望はきかない。眼下に何も見えない。それでも、私は天辺でしか見えないものを見、天辺でしか味わえないものを味わっていた。雨粒が岩にぽつぽつと落ち始めた。ゆっくりしている時間はなかった。ペットボトルから水を一口だけ飲んだ。頂上には3分もいなかった。心残りだった。段々強さを増していく風雨。私は下山せざるを得なかった。


 いつもの通りだ。車に乗ってエンジンをかけても、行き先が決まらない。2007年8月6日(月)、朝9時、多治見の自宅を出発。心の中であれこれ迷った。結局、鳥海山に再挑戦することに決めた。初挑戦は2005年9月17日。あれからもう2年になろうとしている。
 8月6日13時過ぎ、姨捨SAに到着。レストランで昼飯に「長芋掻き揚げ丼」を食べた。特記事項にしたいほど安くて、美味しかった。
山形県の吹浦まで10時間はかかる。前回と同じ経路だ。心に余裕がある。私はあせらずに運転をした。夏休みなので、日程にも余裕がある。朝日村の道の駅「まほろば」の駐車場に20時頃到着。温泉施設があった。湯に浸かった。車中で眠ることにした。暑くて寝苦しかった。
 8月7日夜明けとともに「まほろば」を出発。登山口の大平山荘に着いたのは午前7時前。支度をして登り始めたのはちょうど7時。御浜までは見覚えのある登山道だ。前回の白い霧の恐怖が蘇る。今回はどうなるだろうか。
途中、清水の湧き出ている所で、ハンカチを水に浸そうと水辺に寄ろうとしたら、石の上で足が滑って左側の尻を強打した。山道は滑るものだ。偶々滑ったのではない。今までは偶々滑らずに済んでいただけだ。そう捉え直した方が良い。
 御浜に9時頃到着。小屋の右側では、窓枠に縁取られて、神官が一人、護符などを売っている。左側は、休憩料200円の休憩室になっている。私は休憩室に入らずに先を急いだ。前回は、白い霧の恐怖に襲われて、私はここから引き返した。
 2年前に越えられなかった線を越える。名付けられない感情が小さな泡のように心の底に湧く。自分の足にとっては未踏の地だ。新しい地を切り開く感覚をもって、一歩一歩進む。山道を登る一歩一歩、そこには嘆恨の記憶の蘇りと共に喜びの実現への祈りとがある。
 鳥海山頂上到着、2007年8月7日、11時45分。雨。
 登頂は、しかし、簡単ではなかった。夏の可憐な花々、所々の残雪、勢いよく峰々を襲うように流れる霧。不安を覚える場面もあれば、和みを感じる場面もあった。そして、大物忌神社から頂上に至るまでの峻険な岩場での試練。大小様々な岩石で形作られた三角錐の乱雑な堆積の上を、あるいは投げ捨てられた夥しい石斧の塚の上を、私は四つん這いになって攀じ登った。最も危険な瞬間、それは、その頂上付近の岩場で生じた。雨に濡れた岩の上で、滑ったのだ。危機一髪だった。転倒して前方につんのめった私は咄嗟に両手を岩の表面に突いた。この時、もし手を突かずに顔面を強打していたら、一度頬骨を折っている私にとっては、致命傷になっていただろう。
 頂上で証拠写真を撮っていた頃は、雨風はまだ弱かった。下山するにつれて、強くなっていった。一時は、吹き飛ばされそうな突風が吹いた。登頂があと1分遅れていたら、何もかもが違うものになっていただろう。その時は偶々「吉」と出ただけだ。自分の見通し、計算、能力などとは無縁のまったくの偶然性だ。受け入れるしかない、逆に、状況が「凶」の相貌を表していたとしても。
 山の気象は短時間のうちに七変化する。平地の1年間が4時間に凝縮される、極端な例ではなく。その急激な変化に応じて、我々の内面も変化する。山と闘うことは自分と闘うこと。平地での名前も財産も剥ぎ取られて丸裸になった自分との孤独な闘い、それが山での一歩一歩だ。
 物の言い方は模倣することが出来る。しかし、考える内容そのものは借り物では通用しない。私は山に登り、下った。心のスクリーンに映ったものは私の薄汚れた心だった。私がすれ違った他人は私の偏見を通して見た他人だった。山においても、下界においてもそうだった。私は他人に薄汚れた私の姿を投射して見ていた。恥知らずだった。そして、今後も多分、幾分かはそうだろう。
 8月7日13時54分、雪渓を通過した頃、霧がさぁーと晴れ上がってきた。つい先程までは暴風雨と言ってもよいような降り方だったのに。後方を振り返った。鳥海山の稜線がはっきりと見えた。心行くまで眺めた。眺めても眺めても見飽きなかった。帰らねばならない我が身が見る鳥海山は、不動でありながら果敢ない幻のようでもあった。

続く

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