戦後民主主義が生まれてから
我々は自由にものを言え自由に行動できるようになったそうです
主権在民が生まれて選挙で議員を選び国民の声が政策に反映される事となりましたが
同時に家長制度もだんだん崩れていくようになり核家族化も進んできた様に思われます
戦後の日本は躍進して経済も戦勝国と肩を並べるようになり
アジアで初めてのオリンピックも開催され東海道新幹線も開通され都会の真ん中に首都高速もビルの間をすり抜けるように走り
日本はどんどん進化した
私は親から戦前の日本戦中の日本の事をあまり聞く事は無かった
その日本の繁栄は元々あったかの錯覚になんら不思議を感じる事もなく昭和の繁栄を授受してきたのです
それがに日常でありその中で経済的発展を見て育った
私は核家族化してきた事にとても残念に思うのです
3世代同居とか2世代同居は今では地方であればある程度見る事が出来るが都会では希少なものとなった
その世代では祖父・祖母・両親と子供と孫に囲まれ親から祖父母からの教えは多く世間のこと社会のこと人としてのこと等々
お爺ちゃんの知恵おばあちゃんの知恵を伝えられて幼いながらも学んだ事も多かったと思うのです
学業としての知識は学校の存在があり人間学を学ぶのは家庭であり親や祖父母、友人達で時には学校の先生でありました
人との交流で学んだ事は多く社会へ旅立つ準備になったものです
しかし核家族が増えて時には両親とも仕事にでかけ鍵っ子と言う言葉さえ生まれた時代だった
その中で強く生きて来た子供もいた。恵まれた子供は他人から人間学を学び社会に旅立ち社会に順応して生きていく事も可能だったのです
その世代が社会生活を営み次の世代が環境は違うとは言え多くなった核家族の中で経済的環境の違いはあれど人間学を学ぶ機会は必ずしも公平ではないが
何かしらから学ぶ機会はあったものと思われるが戦前の日本で学んだ祖父母や親からの人間として社会人としての教育は希薄にはなっていったと思う
今の日本人はどう変化した来たのでしょうか
車社会での運転者同士の人間学コミュニケーションから社会の中でのコミュニケーションは昭和のコミュニケーションはかなり変化してきて
当時私が言われていた基本的な生き方は薄れてきた気がする
親からバスの中電車の中町中での行動は細かく注意されたもんだな
電車に乗り座席に座る時子供は外の景色を見たくて座席に座るが親から靴を脱いで揃えて正座の状態で外の景色を見ていたものです
ある方を見て(ほらあの人)と指を出した時には親から人差し指で指をさすと怒られたもんでした
外出すると大きな声で話すのは咎められ譲る事を教わった
社会的に弱者を言われる方を見つめては駄目だとか先に行かせてあげなさいとか色々ありましたね
お婆ちゃんからは食事の際に焼き魚を食べ終わった後に食べ終わったご飯じゃ椀に食べ終わった魚の骨を入れ
そこにお湯をさしちょっと醤油を垂らし骨を揺らし骨の周りに付いている身を湯に溶かし飲まされたもんです
ご飯じゃ椀はお湯で洗われ食器を洗うに楽になると教えられ魚も無駄なく食する事を教わった
しかし今その話をしたら一笑にされるだろう
救急車が走る交差点でサイレンを鳴らしているにも関わらずに救急車は交差点で徐行するのを良い事に
速度が落ちたと見るや渡ってしまえと歩行者が慌てて歩道を歩きだす
そして又救急車は止まる羽目になるのです
車の一部にも見られるのには驚きました
交差点真ん中で停止していた乗用車が救急車が徐行したのを見てその隙をみて走り抜けていった
車社会だけを書きましたが思いやりや謙虚の精神はどこへ行ったのだろう・・・・・
交通機関の中でも殆どの方がスマホに釘付けで周りを気づかう素振りもなく
優先席での思いやりも全く見えなく余りにも周囲に無関心な人々にこの世で生きていくのも嫌になる時代になったのですね
たかが高齢者のつぶやきで終わる今の時代に一抹の淋しさを覚える日々が多くなりました
これに懲りずに無事安泰な一日をお過ごし下さいね。
我々は自由にものを言え自由に行動できるようになったそうです
主権在民が生まれて選挙で議員を選び国民の声が政策に反映される事となりましたが
同時に家長制度もだんだん崩れていくようになり核家族化も進んできた様に思われます
戦後の日本は躍進して経済も戦勝国と肩を並べるようになり
アジアで初めてのオリンピックも開催され東海道新幹線も開通され都会の真ん中に首都高速もビルの間をすり抜けるように走り
日本はどんどん進化した
私は親から戦前の日本戦中の日本の事をあまり聞く事は無かった
その日本の繁栄は元々あったかの錯覚になんら不思議を感じる事もなく昭和の繁栄を授受してきたのです
それがに日常でありその中で経済的発展を見て育った
私は核家族化してきた事にとても残念に思うのです
3世代同居とか2世代同居は今では地方であればある程度見る事が出来るが都会では希少なものとなった
その世代では祖父・祖母・両親と子供と孫に囲まれ親から祖父母からの教えは多く世間のこと社会のこと人としてのこと等々
お爺ちゃんの知恵おばあちゃんの知恵を伝えられて幼いながらも学んだ事も多かったと思うのです
学業としての知識は学校の存在があり人間学を学ぶのは家庭であり親や祖父母、友人達で時には学校の先生でありました
人との交流で学んだ事は多く社会へ旅立つ準備になったものです
しかし核家族が増えて時には両親とも仕事にでかけ鍵っ子と言う言葉さえ生まれた時代だった
その中で強く生きて来た子供もいた。恵まれた子供は他人から人間学を学び社会に旅立ち社会に順応して生きていく事も可能だったのです
その世代が社会生活を営み次の世代が環境は違うとは言え多くなった核家族の中で経済的環境の違いはあれど人間学を学ぶ機会は必ずしも公平ではないが
何かしらから学ぶ機会はあったものと思われるが戦前の日本で学んだ祖父母や親からの人間として社会人としての教育は希薄にはなっていったと思う
今の日本人はどう変化した来たのでしょうか
車社会での運転者同士の人間学コミュニケーションから社会の中でのコミュニケーションは昭和のコミュニケーションはかなり変化してきて
当時私が言われていた基本的な生き方は薄れてきた気がする
親からバスの中電車の中町中での行動は細かく注意されたもんだな
電車に乗り座席に座る時子供は外の景色を見たくて座席に座るが親から靴を脱いで揃えて正座の状態で外の景色を見ていたものです
ある方を見て(ほらあの人)と指を出した時には親から人差し指で指をさすと怒られたもんでした
外出すると大きな声で話すのは咎められ譲る事を教わった
社会的に弱者を言われる方を見つめては駄目だとか先に行かせてあげなさいとか色々ありましたね
お婆ちゃんからは食事の際に焼き魚を食べ終わった後に食べ終わったご飯じゃ椀に食べ終わった魚の骨を入れ
そこにお湯をさしちょっと醤油を垂らし骨を揺らし骨の周りに付いている身を湯に溶かし飲まされたもんです
ご飯じゃ椀はお湯で洗われ食器を洗うに楽になると教えられ魚も無駄なく食する事を教わった
しかし今その話をしたら一笑にされるだろう
救急車が走る交差点でサイレンを鳴らしているにも関わらずに救急車は交差点で徐行するのを良い事に
速度が落ちたと見るや渡ってしまえと歩行者が慌てて歩道を歩きだす
そして又救急車は止まる羽目になるのです
車の一部にも見られるのには驚きました
交差点真ん中で停止していた乗用車が救急車が徐行したのを見てその隙をみて走り抜けていった
車社会だけを書きましたが思いやりや謙虚の精神はどこへ行ったのだろう・・・・・
交通機関の中でも殆どの方がスマホに釘付けで周りを気づかう素振りもなく
優先席での思いやりも全く見えなく余りにも周囲に無関心な人々にこの世で生きていくのも嫌になる時代になったのですね
たかが高齢者のつぶやきで終わる今の時代に一抹の淋しさを覚える日々が多くなりました
これに懲りずに無事安泰な一日をお過ごし下さいね。