この日も楽しく自愛学トークを開催いたしました。なぜ恋愛を始めるのに躊躇してしまうのか。それは自分が言った一言で相手に嫌われるのではないか、云々かんぬん、そんな女子高生のようなメンタリティーを未だ持っている自分に気づいたことから、このお話になりました。その一言で、こわれる恋愛など世の中に本当はない上、こわれそうになったとしたとしても、その恋愛をやめるかどうか、終わりかどうかは自分が決めること、要は、自分があきらめるのかどうか選択することができるんだと言うこと。話に亀裂が入ったと言って、終わる、要するに「平和がこわれた」という風に取るはとっても子供のような幼い考えだということなんだと53歳になった私がやっと気づきました。でも相手に嫌われる、そのこわさ、きっとものすごく好きな相手であれば、その恐怖は大きいですね。でも本当に納得するまでコミュニケーションするという姿勢、子供時代に周りの大人に見せてもらったことがほとんどありませんでした。黙って相手の言う事に同意するか、亀裂が入って決裂するか、二つに一つ。そんな姿しか見せてもらえなかった気がします。でもこの21世紀の今、ニューエイジと言う新しい時代に入って、恐れを捨てて生きていい私たちに、こんな「その一言で、自分たちは終わった」などと言う原始的な関係はもうやめましょうという提案でした。平和作りというのは、双方があきらめなければ、作り上げることができる、コミュニケーションの窓口を開け続けることが平和を作ることなんだという気づきでした。同じ事は国と国との間にも言えることなんだと思いました。
そして、「内なる声」はその日なんとぽっかりと頭の中から消えてまして、なぜかその直前に友人のサイキックリーダーから見せてもらった、オーラの体を手で感じる方法というのをみなさんと実験しました。みなさんちゃんとそれを感じることができ、体がポッポと熱くなってしまいました。
そして、「内なる声」はその日なんとぽっかりと頭の中から消えてまして、なぜかその直前に友人のサイキックリーダーから見せてもらった、オーラの体を手で感じる方法というのをみなさんと実験しました。みなさんちゃんとそれを感じることができ、体がポッポと熱くなってしまいました。
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