一五一九年八月一〇日、スペインから西へ向かって航海を始めた五せきの船がありました。 総指揮官はマゼラン。これにしたがう乗船員は二三九人。マゼランは、「地球はまるいから西へ西へ進めば、かならずアジアに出られるはずだ。」と考えて、スペイン国王カルロス一世をときふせ、国王から船と乗船員をかりて出航したのでした。 マゼランの一行は、まず南アメリカ大陸へ着き、その後、大陸ぞいに南へ南へと進みました。この大陸の南には必ず西へ進む道があると考えたからです。たしかにそれはありました。今「マゼラン海峡」と呼ばれている海峡がそれです。しかし、この海峡でマゼランは暴風雨におそわれ、ひどい目にあいました。 ところが、海峡を通りぬけてみると、見わたすかぎりの広い海があります。マゼランは、この海を「太平洋」と名づけました。しかし、この海は想像していたよりもはるかに大きな海で、いくら進んでも、島らしいものは見えません。そして、まきも水も食料もほとんど底をついたころ、一一〇日目にして、やっとフィリピンに着いたのです。 マゼラン自身は、このフィリピンで原住民との戦いのときに死んでしまいましたが、生き残った乗組員たちは、出航してから一一二二日目に、やっとスペインに着きました。つまり三年以上もの月日をかけて、世界一周をおえたわけなのです。もちろんこの三年間の旅をすごしてきた人々は、見るもの聞くものが新しいことばかりであったにちがいありません。
今では、航空機を利用すれば、世界一周は、わずか二、三日でできます。また、通信機の発達によって、世界各地のできごとがその日のうちに知らされるようにもなりました。それとともに、世界の人々が、おたがいに理解しあえるようになってきています。
わたしたちは、この新しい時代の中で、世界というものを正しく見つめ、どうすれば世界の人々が平和で楽しくくらしていけるようになるか、考えていかなければなりません。(光文書院)
• 2013/8/14(水) 午前 3:52