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子ども2人不登校でした

回想その7 高校時代

高校は中3の時の担任の言うままに進学校へ進んだ。

高校は中学とは環境が大きく変わった。個性的な生徒が多く、私はさらに目立たなくなった。

何より良かったのは、この学校の国語教師が生徒に本読みを当てずに自分で教科書を朗読したことだった。

教師達の最大の関心は大学の合格実績を上げることのようだった。生徒に宿題はたくさん出すけれど、人前で意見を発表させたり、討論会をさせたりなどという、私が最も恐怖を感じる場面が全くというほどなかったのは本当に助かった。


高校に入ってからは『死にたい』とは思わなくなった。




私はかなり変わった女子高生だったと思う。おしゃれには全く関心がなかった。
休日に遊びに行くこともなかったので、服は要らなかった。家では毎日同じトレーナーを着ていた。

子どもの頃から毒子に「友蔵が安月給だから、うちにはお金がない」と聞かされて育った。
家を建ててからは「安月給で、友蔵の実家が全く援助をしてくれないのに家が建てられたのは、私がパートに出て家計をうまくやり繰りしているおかげだ」といつも自慢した。

そして毒子は「私はもっといい縁談があったのに、あんな男と結婚しなければよかった」と延々と愚痴るのだった。


時々、毒子が私に服を買ってあげようかと言ってきたが、私はいつも「要らない」と答えた。子どもの頃、毒子と一緒に服を買いに行った記憶はほとんどない。
毒子がバーゲンセールで買って来る服を文句も言わずに着た。

家庭科で裁縫をならってからは、靴下に穴が開くと自分で糸と針で穴を塞いで履いていた。


中学の時は近所に住む同級生の男子に犬の散歩をする姿を見られて、『uparinはいつも同じ服を着ている』と言いふらされた。

高校生になると近所に同じ高校に通う生徒がいなかったので、そんなこともなくなった。


大人と会話するのが苦手なことは高校生になっても変わらなかった。
美容院に行って美容師と話すことも苦手だったので、中学生の時から髪の毛は自分で切っていた。

高校生になると髪を切るのも上手になり、三面鏡を見ながら当時流行っていた段カットにした。一度、友達に自分で髪の毛を切っていると話したらものすごくビックリされたので、そんなに異常なことなのかと思ってそれからは誰にも言わなくなった。




転勤族の友蔵は、家を建ててからは単身赴任になったので、夫婦喧嘩を目にする機会は激減した。

しかし、毒子の友蔵への悪口は相変わらずで、友蔵が家にいる時はやはり大喧嘩が止まなかった。
両親が大声を張り上げて罵り合う姿を見るほど嫌なことはなかった。


3歳年上の兄が一浪して地元の大学に入った。

兄は他県の大学を目指していたが学力が及ばず、仕方なく地元の大学に入り、自宅から大学へ通った。

私は兄のようにはなりたくないと思った。

大学受験はこの家を出て行くチャンスである。

『絶対に下宿してこの家を出て行ってやる!!』と心に誓った。




続く





コメント一覧

uparin
@tochika さんコメントありがとうございます。
高校受験の時は担任に振り分けられた県立高校をよく知らずに受験しました。うまく調整されていて数人落ちるだけになっていたので合格はしましたが、入ってから場違いな学校に入ってしまったと、とても後悔しました。
まず入った直後に入学式までにやってくるようにと膨大なプリントの宿題を出され、受験が終わっても浮かれて遊ぶ暇はありませんでした。毎回英語の授業のたびに英単語の小テストがあり、合格点をクリアーしないと放課後に職員室で口頭試問、または間違った単語を何十回も書いて提出しないといけませんでした。
同級生で専門学校に行ったと聞いた人は私の知る限り1人だけ。99%大学進学していたと思います。
一応『文武両道』をモットーにしていたようですが、勉強さえしていれば何も言われない、勉強最優先の学校でした。
最初は大変なところに入ってしまったと思いましたが、他の生徒たちも自分のことで精一杯な感じで、みんなどこか暗くて真面目で、陽キャラの人はかえって浮く感じのところが私には過ごしやすかったです。

何より、本読みや発表で当てられないことが良かったです。
tochika
uparinさん、おはようございます。
高校生になってから学校という環境が
プラスに向かっていったのですね。
希死念慮も無くなり、少し心も解放されましたでしょうか。

進学校って私には分からないのですが
大学の合格実績最優先の授業や環境ってどんなものなのでしょう。

私は進学校とは程遠いレベルの県立高校でしたので
大学へ進学しない生徒も多くいました。
専門学校へ進学する生徒が3割ぐらい、就職が1割ぐらいです。
ヤンキーもいるし、サボり魔もいるし、雑多な学校です。
およそ6割ほどの生徒が大学を目指しますが
現役合格は少なかったように思えます。
特に理系は浪人が多数派でした。

家庭では相変わらずの状況が続いていたのですね。
お兄様も家を出たかったのでしょう。
やむなく自宅からの大学通学。

大学進学は家を出る...自分も環境も変えることが出来る
またとないチャンスですね。
これからの展開に期待しています(#^.^#)
uparin
@camper さん
そう言っていただいてありがとうございます♪
とっても嬉しいです♬
アルジャーノンのチャーリーなんて、めちゃくちゃ面白そうじゃないですか!!
ぜひ本にしちゃってください
買いますよ✨✨
camper
ワクワク!!!続き 早くしてくださいよぁ!!!
私もいつか書いてみたいなぁ、でも、本当に劣等生だったのです。
でも、今医者してるから・・・そのギャップをどう厭味なく表現できるか・・・それが問題です。
私、アルジャーノンに花束を を読んだ時、「俺、チャーリーじゃん!!」って思いましたもの!!どう表現すれば良いのだろうか!!!いつか いつか こうご期待!!!でも、uparinさんみたいな表現力無いからなぁ!!!
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