
製本教室のOさんはかつて須賀敦子と親交があったそうです。年賀状や写真を見せて貰らった。彼女の控えめな心情の伺える賀状です。
私が須賀敦子を知ったのは図書館で「コルシア書店の仲間たち」を読んだ時です。青春時代コルシア書店に集まったキリスト教一派の仲間たちとのエネルギッシュな活動を彼女もその中にいる一人でありながら、少し距離を置いて淡々と描写している。ゆるやかに話が流れていく。何と穏やかな人なのだろうとその文章の優しさに心を奪われました。それから「ミラノ霧の風景」「ヴェネツィアの宿」「トリエステの坂道」「ユルスナールの靴」と読み進んだ。イタリア人の夫を亡くした時、決して豊かではなかった夫の家族の事にも触れ、静かに綴られ、その悲しさがひたひたと迫り深く心に残った。この頃彼女はまだそれ程注目されていなかったと思う。出版されている本も少なかったのです。私はフアンになりました。没後にわかに全集が出たりテレビでは「須賀敦子のイタリア」などと騒いでいます。Oさんは1990年頃須賀敦子に既に注目しテレビ局に企画書を提出したそうです。早世してしまい本当に残念。でも彼女は騒がれる事は好きではなかったと思うのでこれで良いのかも知れない…。
私が須賀敦子を知ったのは図書館で「コルシア書店の仲間たち」を読んだ時です。青春時代コルシア書店に集まったキリスト教一派の仲間たちとのエネルギッシュな活動を彼女もその中にいる一人でありながら、少し距離を置いて淡々と描写している。ゆるやかに話が流れていく。何と穏やかな人なのだろうとその文章の優しさに心を奪われました。それから「ミラノ霧の風景」「ヴェネツィアの宿」「トリエステの坂道」「ユルスナールの靴」と読み進んだ。イタリア人の夫を亡くした時、決して豊かではなかった夫の家族の事にも触れ、静かに綴られ、その悲しさがひたひたと迫り深く心に残った。この頃彼女はまだそれ程注目されていなかったと思う。出版されている本も少なかったのです。私はフアンになりました。没後にわかに全集が出たりテレビでは「須賀敦子のイタリア」などと騒いでいます。Oさんは1990年頃須賀敦子に既に注目しテレビ局に企画書を提出したそうです。早世してしまい本当に残念。でも彼女は騒がれる事は好きではなかったと思うのでこれで良いのかも知れない…。