My Pug Log

「MY PUG」は、生前のパグの名前『舞』から摂ったものです。
これからは夫婦二人を、気ままに綴っていきます。

南房総を走る -Ⅰ-

2012-01-15 10:14:15 | 11-22号
館山道富浦から海岸沿いに船形へ出る。漁港の食堂で昼食・・・当然海ものである・・・。寒いと思い厚着してきたが日差しが強く暑いくらい、漁港は漁船が陸揚げされていてひっそりとしていて静かである。騒いでいるのはゴイサギやシラサギたちの美しくない鳴き声だけが響き渡っている。花を求めてというタイトルで来たのでフラワーラインで千倉あたりまで足を伸ばしたい。・・・後でナビが狂ったことで帰路で難渋することになる。以前から寄ってみたかった見物(地名)の鉈切神社、何故か海岸側に海南刀切神社(かいなんなたぎりじんじゃ)、山側に船形鉈切神社(ふながたなたぎりじんじゃ)と字は違うが同じ読みの社がある。海側の社の狛犬には「天保十年巳亥五月 石工田原長左衛門 彫工兼吉」の銘が彫られており、山側の社には洞窟があり縄文時代の生活用品が発見され、古墳時代には墳墓として使われていたとある。どのような関係か?。
海岸に出ると頭に雪をのせた富士の姿が見られた。
【附記】 海側の見物にある社が海南刀切神社で、刀切大神を祭神にしていますが、もとは浜田の船越神社と一神で豊玉姫命を祀っていました。本殿裏には二つに割れたような巨岩がありますが、これは、ここの神が船に乗ってきたとき、浜に上陸してから手斧で巨岩を切り開いて路を通したのだとも、人々を苦しめる大蛇が災をおこさないように、神が鉈で岩を切り、大蛇の住む紫ノ池の水を抜いたときのものだとも伝えられています。 境内には天保10年に楠見村の石工田原長左衛門が彫った狛犬や、長須賀村の石工鈴木伊三郎が彫った燈蘢があります。また拝殿向拝には明治の彫工後藤忠明の龍や獅子があり、拝殿内部には現代の岩崎巴人画伯の作品もあります。毎年7月に行われるかっこ舞は、船越神社といっしょに市の無形文化財に指定されました。別当寺は見物村の東伝寺が務めていました。
【附記】 現在県道をはさんで山側の浜田にある社を船越鉈切神社、海側の見物にある社を海南刀切神社と呼んで区別していますが、かっては両社はひとつの神社として信仰され、浜田の船越神社を上ノ宮、見物の刀切神社を下ノ宮と呼んでいました。船越鉈切神社には海神である豊玉姫命が祀られ、本殿は鉈切洞穴として県の指定文化財になっている洞窟の中にあります。境内には宝塔を浮き彫りにしたやぐらや、元禄6年に時の領主石川政徃が奉納した燈籠をはじめ、文化10年の燈籠や安政2年の手水鉢があり、そのほか社宝として市指定文化財の独木舟・元禄10年に紀州漁民が奉納した鰐口などがあります。また毎年7月には市指定無形文化財のかっこ舞も行われています。浜田の高性寺が別当寺を務め、地元だけでなく船形や富浦などの漁民の信仰をうけていました。

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