今年は自他ともに色々ありまいした。最大の悲しみは親族でも一番の長老であった母を見送ってしました。今なって思えば、もっともっと色々な歴史を聞いておけば良かったのにもう出来ません。後、数分で新しい年に変わります。来年は自分に悔いのない年を作り、送って往くようにします。 |
今より約1300年前の和同元年(708年)、奈良の僧恵命・東照が 秘宝アショカの王塔を護持してこの地を訪れ、草庵を結んで これを祀ったのが始めといわれています。 その後、神亀3年(726年)聖武天皇の勅願を受けて行基上人が来、 鎮護国家を作り、仏教を弘布するにふさわしい聖山として堂宇を建立、 近江の阿育王山(石塔寺)、上州の白雲山とともに日本三石塔寺に数えられてきました。 文徳天皇が仁寿元年(851年)には天台座主慈覚大師円仁が来られ、七堂伽藍を造営、 このときから天台宗となり偉容を天下に誇ったと言われています。 しかし文明18年(1486年)夜盗の災火によって全山を消失、再建を努力すること 50年、ほぼ現在の形になり、戦国時代には足利、丸、里見等の尊崇を集め 足利三代を教養、関東天台の雄としてその名をはせてきました。 |
久留里から410号線に沿って南の方へ下って行くと、千倉近くのの山際に「国宝 石堂寺」の案内看板が見られる。一時障害者(右手首骨折の家内)を載せてのドライブ、山門下の駐車場に駐めはいてみる。大きな目玉を見開き睨みつけている仁王像の立つ山門を上って行くと、広い境内に立派な本堂、左に鐘楼、右に多宝塔が並んでいる。年末の静かな境内に蝋梅の香りが漂ってくる。 |
サッカー場を横切って行くと、薄暗い足もとの砂がシャカシャカと凍てついた音を出しています。 風はないのですが、ほほをを撫ぜてゆく空気が針をさすように冷たく痛く感じます。 |
今日は昼間の時間が最も短い日だとか。「南瓜を食べると風邪をひかない」「ゆず湯に入ると・・・」と故事があるようで、毎年我が家でも柚子がお風呂に浮かんでいます。そんな今朝は、関東の上空を低気圧の橋が通り過ぎようとして雲が覆っています。そんなわけで西の空が晴れ、滅多に見ることのできない南アルプスの北岳から間ノ岳へのバカ尾根が紅色に輝いて見えました。2枚目の画 |