お好み夜話-Ver2

こなもん記・明石編

ときどき人から、なぜ明石焼をやめたのかと訊かれる。

まあはっきり言って、費用対効果の問題、ということが本音。

自分ではすごく好きだったのだが、一部のお客様にしか受け入れられなかったのは、努力不足と言わざるを得ない。


けれど、いつかは復活させたいと思っているので、その時のためにしっかり方向性をつけておきたいと、今回本場で食べ歩いた。



ご存じない方のために、ざっと明石焼の歴史を振り返ってみたい。

たこ焼きと明石焼ではどちらが古いかといいますと、それは明石焼になる。

しかし「こなもん」文化 ? というものは、どうも同時発生的に起こるようで、明石で「卵焼=明石焼」が焼かれていた頃、大阪などでは「ラジオ焼」または「チョボ焼」なるものが売られていて、これは現在のたこ焼きの鉄板と比べるとごくごく穴も小さく、おママゴトの道具のようなものに生地を流し込み、コンニャクやらチクワなどをチョボチョボ入れて焼いていた。

手軽に安く食べられるという点ではよかったものの、いまひとつ物足りない。

ある時それを食べたお客の一人が、

「こっちはコンニャクかいな。明石じゃタコが入っとるでぇ」

と言ったことをきっかけに、タコを入れるように、穴も少し大きく改良され、試行錯誤の末たこ焼きが誕生したというワケ。

じつは今回、偶然にも大阪でこの「チョボ焼」を食べることができたので、それも後ほどお伝えしませう。


さて、球状「こなもん」のルーツ、明石焼を食べに明石駅に下り立った。



駅を背に海側へ向かって、国道2号線を渡ったすぐのアーケードが「魚の棚」商店街だ。



名前のとおり魚屋さんも多く、豊富な海産物が売られていて、東京でいえばアメ横みたいな感じ。


まずオヤジがはじめに食べてみたかったのは、創業昭和27年の老舗 「よこ井」

明石焼の元祖というと、大正8年頃から屋台を引いて商売をはじめられた「向井清太郎」さんということになっているのだが、当時一世を風靡した「向井」さんのレシピを引き継ぐ店というのがこの「よこ井」なのだ。

間口は狭く、店内は昭和。

時間が中途半端だったせいか、他に客はなくおばちゃんがひとりでやっていた。

ここの特徴は、冷たい出汁につけて食べること。

冷めたら何もつけずに食べること。

このこだわりのため、テーブルやカウンターには余計な調味料は一切ありません。



ビールをたのむとスーパードライの350㎖缶が、トンとテーブルに置かれます

1人前10個で600円。

あっさり味、しつこくないのでするっと食べられる。

おいしいんだけど、これをこのまま東京では、ちょっとムズカシイだろう。

でも参考になった。

「よこ井」の味はネット通販で、20人前200個(16,000円)まで買える。


つづいて2軒目。

店構えは新しい感じで、お兄ちゃん・お姉ちゃんがテイクアウトをセッセと焼いている 「多幸」

こちらは熱いお出汁の明石焼の他に、鯛茶漬けやたい焼もやっている。

うれしいことに、生ビールは一番搾りだ

1人前15個600円。

「よこ井」より生地がしっかりしているが、お出汁は濃いめ、さらに薬味や一味、抹茶塩などを順々に足してよしとあるため、しまいにゃけっこう味が濃くなりすぎてしまう。

もう少しシンプルな方が好みだ。

さらに3軒目。

大きなタコの看板が目印の 「とり居」

さすがにちょっとお腹が・・・

サイン色紙などが飾ってある店内は、もちろん昭和、丸イス。

親娘らしき女性が、慣れた手つきで焼いております。

1人前15個480円、安い

こちらも熱い出汁だが、生地とのバランスがよく、我が家の3人には一番好みだった。

あと1人前ぐらいいけそうだったが、このへんにして町を散策して腹ごなしすることに。


しかしすぐに誘惑に負け、タココロッケを1個買って3人で分けて食べる。

これが、うまい


タコ好きにはたまらん町ですな、「魚の棚」。


まだまだ明石焼の店はたくさんあるので、それぞれ違った味を楽しめるのだろうが、それはまた今度だ。

とりあえず、三者三様の生地、出汁、焼き方、提供の仕方を学び、しっかりノートへ記録した。

近い将来、これが復活・明石焼へと結びつくことを願い、明石を後にした。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「mog夜話」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事