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お好み夜話-Ver2

1/4の幸福 東京マラソン2024

6時50分皆んなと上野で待ち合わせ、銀座線に乗り赤坂見附で丸ノ内線に乗り換えた。
 
メトロはランナーでいっぱい、この寒いのにランシャツに短パンで手ぶらの人や外国人ランナーでほぼ満員。
 
多くのランナーが新宿や西新宿で下りて各ゲートに向かって歩いてゆく。
 
10年前、11年前はどこの入場ゲートから入ってもOKだったが、今はテロやら何やらの関係で各ブロックごとに入場ゲートが決まっているので、GATE3の我らは新宿の地下通路を都庁に向かって歩いていくと、通路のあちこちで着替えたりビブスをつけているランナーがいて、寒いからスタートギリギリまでここで待機しているのだろう。

ゲート前で上着を脱いで準備するが、

最初の失敗はエントリーの際に荷物預けを申請しなかったこと。
 
10.7㎞だしサクッと走って汗もかかないだろうと、行き帰りに着るダウンジャケットとサイフだけかあちゃんに預けちゃえばいいとタカをくくっていて、入場してからスタートまで1時間以上あると経験上知っていたし、待機場所が日陰だと寒くてしょうがないから、なるべく着といた方がいいと思ったのだ。
 
そのおかげで皆んなの脱いだジャケットなどで膨れた荷物を応援のかあちゃんと、5、6年振りに会った「師匠」のムスメ「auちゃん」が手分けして持つことになった。
 
で、準備完了。

会わない間に「auちゃん」すっかりお姉さんになっていてもうお酒も飲める年だというから、こっちはジジイになるわけだ。
 
かあちゃんと「auちゃん」に手を振って、手首につけたリストバンドとビブスを見せて入場し、飛行場みたいな入場ゲートで荷物検査を受け、Fブロックに向かう。

人、人、人、ランナーでいっぱいのおなじみの光景。
 
先ずは30分はかかるトイレ待ちの列に並ぶ。
 
が、男は早いが女子は大変で列がなかなか進まず、とりあえず先にFブロックに行ってると「むっちゃん」を列に残して進む。

どうしてもピカチュウをかぶって走りたいといった小僧だが見ればそこらじゅうにピカチュウだらけ、でも10年ぶりにここに立てたことは感慨深い。
 
10年前はこのオヤジがガイドランナーで、一般のランナーに混じって整列していたのだけれど、今じゃ親子で障害者だもんなぁ。
 
Fブロックの10.7㎞には5、60人ほどのガイドランナーと一緒のランナーがいて、すぐ後ろのGブロックは外国人ばかりで4時間のペースランナーが前に立った。

ビルの陰で日が当たらず寒く、Tシャツの下にウインドブレーカーを着ていて良かったとこの時は思ったが、あとでこれがヘロヘロの原因になるとは・・・。
 
スタート時間が迫ってきても「むっちゃん」はまだトイレから戻ってこれず、列は少しずつ動き出してしまう。

陽の当たっているところは暖かく、影に入ると寒く、列はノロノロと進む。
 
気がつけば周りは外国人だらけで、英語や何語かわからない言語が飛び交い小僧はニヤニヤし、

インターナショナルな国際大会に参加している感じになる。
 
スタート前のセレモニーやら何やらが賑々しく行われているけれど全く見えず、やがて車椅子のランナーがスタートしカウントダウンが始まった。
 
9時スタート、号砲の音も聞こえず紙吹雪も見えず少しずつ列は進んでいき、まだ来ない「むっちゃん」に左側に寄って待つと連絡を入れる。

スタート地点へ曲がるところで5分ほど待って「むっちゃん」と合流、いよいよ走り出す。

だがスタートゲートを通過したのは号砲が鳴ってから18分はゆうに過ぎていて、Gブロックの外国人はとっくに通過しHブロックも過ぎようとしていた。
 
38,000人のランナーの2/3はすでに通過していると思われ、路上に散った紙吹雪を踏みつけ、スタートしてすぐの回収場所に脱ぎ捨てた防寒着が山のように積み上げられているのを見て観客に手を振りながら都庁をあとにした。
 
 
左手に「センチュリーハイアット」右手に「都議会議事堂」見たとき「あれっ❓」となった。
 
思うように足が上がらないし息づかいも荒く、先に立った「師匠」と小僧と少しずつ距離が離れていく。
 
「むっちゃん」はオヤジに話しかけてくれてペースを合わせてくれるが、JRの大ガードをくぐり歌舞伎町に入ったところでどうにも暑くて気持ちが悪く、タイツ、短パンの上に履いているウェアのズボンを歩道の縁石に座り込んで脱いだ。
 
脱いだズボンを腰に巻いて走り出したが、しばらく行ったら短パンのヒモを縛り忘れてずり落ちてきてしまい、再び立ち止まって直す始末。
 
小僧が暴走しないように「師匠」が抑えながらキロ8分代をキープしてどんどん先へ離れて行き、靖国通りが富久町の下り坂になると少し急ぐがすぐに息が上がってしまい、それでも曙橋が近づいてきて女子医大のビルが見えると
「3日後にあそこで麻酔かけられちゃうんだよ」
なんて「むっちゃん」にまたなんとか軽口を叩けた。
 
やがて防衛省の正門にたどり着き楽隊の演奏をバックに「むっちゃん」の写真を撮り先へ進むが、ふと後ろを振り返ればたくさんいたランナーがもうまばらになってきて焦る。
 
はやく行っちゃったらすぐ終わってもったいないから楽しんで行こう、なんて余裕こいていたのに体がいうことをきかない!(◎_◎;)
 
市ヶ谷を過ぎ給水所が見えてくるがすでに片側は撤収が始まっている状態で、ポカリスウェットがNGのポンコツは水を求めて走り寄り、一息ついて神楽坂を目指した。
 
かあちゃんが待っている場所にたどり着いたときはもうヘロヘロで、ウインドブレーカーを脱いでネックウォーマーをとった。
 
先に到着して待っていてくれた「師匠」と小僧とともに、今度は「むっちゃん」が小僧について鬼軍曹の「師匠」がオヤジについて走り出し
走り始めはまだしもどんどん遅れていき、飯田橋をなんとか過ぎて東京ドームの手前で、盛んに手を振っている女性を目にし「師匠」が手を振り返しているのになんの疑問も持たず、そのままヘタレて進んで直前までいってようやく、
なんと!!
その女性は女神「投げちゃん」ではないか⁉️
 
ヘロヘロのポンコツの頭に2013年3月の「京都マラソン」が蘇り、思わず彼女にハグしてしまう。
 
すごく嬉しくて「よしっ」と気合を入れるも11年前とは比べ物にならず、相変わらず少し走っては息切れ、足は上がらず歩いてしまう。
 
鬼軍曹の「師匠」から倒れたらマウス・トゥ・マウスと脅かされ、死んでも嫌だと歯をくいしばるが遅々として進まない。
 
水道橋から神保町へ進んでいくとまた閉店間際の給水所がありなんとか水にありつき、ボランティアの方からもう少しだからファイトと声をかけられ、走っては歩きまた走るを繰り返して神保町の交差点からフルマラソンのランナーと別れて10.7㎞の専用路に入る。
 
誰もいない靖国通りを逆走して貸切状態で走るポンコツ。
こんな贅沢な、申し訳ない経験をさせてもらうとは・・・。
 
多くのスタッフ、ボランティアの方々、交通規制で困っているドライバーの方々(ごめんよ🙇‍♂️ちち)、マラソンなんかにはなんの興味もない方々に心からお詫びと感謝を申し上げますです、はい。
 
 
人間やめますか❓完走やめますか❓状態になんとか抗いながら小川町から淡路町へ、上野広小路から折り返してきたフルのランナーと並走しながら神田を通過。
 
去年「東京マラソン2023」を見にいったとき、この辺りで苦しそうな息子を解放して進んでいるお父さんに声援を送ったのだが、今年はデロデロに酔っ払った歩行者のあんちゃんから
「走れバカヤロウ!!」と怒鳴られ睨みつけられながらノロノロ進むことになろうとは😫
 
神田のガードをくぐればもう日本橋が見えてくる。
 
去年から何度もこの道を歩いてシミュレーションしてたのに、ぜんぜん距離感が違うように感じてちっともす進まない。
 
「安心してください、確実に進んでますよ」
 
と「安村」のギャグみたいに「師匠」から励まされ、せめて日本橋を渡ってゴールまでは走ろうと歯を食い縛る。
 
 
そのころ小僧は一足先にゴールして、

完走メダルを齧っていた。

傍を推定完走時間6時間前後のフルのランナーが走り抜けていく中、ひっそりと10.7㎞かろうじてゴール。

まったく予想外の不甲斐ない10.7㎞だった。
 
まだぜんぜん体ができていないことを思い知った「東京マラソン」であった。
 
落ち込んでうなだれながらもフィニィシャーズポンチョとビニール袋を頂き、ガイドランナーにもポンチョとメダルがもらえたことに「師匠」が喜ぶ声をぼんやりと聞き、ビルの中の着替え所に入った。
 
着替えを持ってきたかあちゃんが「介助者」のカードをもらってやってくると、小僧の着替えを手伝ってため息をつきながら自分のウェアを脱いだ。
みんなでポンチョを着てメダルをかけて記念撮影したが、このポンコツだけがメダルをしていない。

なぜかというともらった袋の中にメダルが入っていたのも知らず、すっかり落ち込んで見もせず敗北感に打ちひしがれていたからだ。
 
「師匠」も「むっちゃん」もオヤジと小僧のガイドランナーとして走ってポンチョとメダルをもらえたので大喜び、考えればそれも再開・再会の始まりとして良かったよ。
 
そのフロアで10.7㎞の表彰が行われており、アナウンスを聴くともなく聴いていたらこのオヤジと同じ内部障害者の方の表彰タイムが57分代と知り、かつて2011年11月に「東京トライアルハーフ&10K」で49分18秒の自己ベストを出せたのだから、これからもうちょっと頑張ればひょっとしたらひょっとできるかもしれないと淡い希望を持って、会場を離れた。
 
 
上野まで戻り収容バスならぬ居酒屋へ収容されて、「師匠」と「auちゃん」と積もり積もった話しをしながら生ビールを給水して気分は少し晴れた。
 
事情を知っている皆んなから、弱って動けなかった人が完走できたんだから良しとしましょうよと慰められ、店がなんとかなって秋口あたりにまたどこかの大会に出たいねと話し、原点の「山中湖ロードレース」を来年走ろうと約した。
 
 
誇らしげに首からメダルを下げて電車に乗る小僧を見て、この男最初は500メートルも走れず、ゴールを目前にして座り込んでしまったこともあったなと思い出した。
 
10年経って立場が逆転して、今度はオヤジが500メートルしっかり走れるようになるところから再開するのだと噛み締めた。
 
 
自宅に戻り、やっと頂いた袋を開けてそこにメダルが入っていたので驚いた。

ダメダメな走りでカッコ悪かったけれど、フルマラソンの1/4のリベンジというより1/10くらいだったけれど、「東京マラソン」の圧倒的な雰囲気に浸れて、贅沢にも貸切の公道を走れて、暖かい声援に励まされ、ポンコツとしては最上級の1/4の幸福だった。
みなさん、ありがとう!!!
これを教訓に来年、「東京マラソン2025」にエントリーする💪
 
 
ハァァァ、懲りないやっちゃね🤣
 

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