久しぶりのお出かけは三重県立美術館へ。
展示最終日に滑り込むあたりが私らしいな、なんて苦笑いしながら、2時間以上かけてじっくり見てきました。
『杉浦非水 時代をひらくデザイン』展
そう!
デザインの世界に身を置いている人ならばきっとご存知のこのお方。
日本のモダンデザインのパイオニアであり、グラフィックデザインの原点ともなった作品を数々生み出した、あの!!!
杉浦非水です!
…はい。
お恥ずかしながら杉浦非水さん、知りませんでした。
すみません。
でも知らなければ知ればいいんですよね!
私は常にそういうスタンスです(えっへん)?
というわけで、杉浦非水さんについて下にざっくりまとめてみました。
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1876年に生まれ、幼少期から絵に興味を持っていた非水。
先生の元で行われる粉本の他に、写生が好きでよく動物などのスケッチをしていたという。
日本画を学んでいた非水だったが、黒田清輝との出会いによってデザイナーの道を歩み始めることとなる。
黒田清輝がパリから持ち帰ってきたMUCHA(アルフォンス・ミュシャ)のポスターに衝撃を受けたのだ。
アール・ヌーヴォー式を取り入れてデビューした非水だったが、その後、三越呉服店図案部に入り、脱アール・ヌーヴォーを加速させていく。
大正3年、三越ではじめて任されたポスターが大きな評判となり、三越のブランドイメージをデザインによってつくりあげていくこととなった。
「粉本によって自然を見ようと思う人は馬鹿だ、哀れな人間だ、他人の自然観が、自分の頭を通り越して、紙に落ちたものが、何で自分の芸術品だろう。」
(杉浦非水「粉本を焼け」『美術週報』第3巻33号、美術週報社、1916年4頁)
模写や模倣を否定し、独自性を重視していた非水。
流行に対しても独自の捉え方をしていたようだ。
また純粋な日本のポスターとして使われてきた美人画を「原始的ポスターとして現代に残された形骸」と言って嫌っていたらしい。
非水は、三越を完全に退社した後、多摩帝国美術学校(現多摩美術大学)初代校長・理事・図案科主任に就任する。
この頃、写真への興味も持ちつつ、印刷によって複製されることへの戸惑いもあったという。
こうした激しい時代の移り変わりの中にあって、今に通ずる日本のデザインの基礎を築いたのが杉浦非水なのである。
(参考文献「杉浦非水 時代をひらくデザイン」2021年、毎日新聞社)
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日本画がまだまだ主であった当時の日本において、杉浦非水のデザインというものはとても新鮮だったのだろうというのが、展示室に入った瞬間に伝わってきました。
いま見てもインパクトがあるものばかりなのだから本当に凄いです。
デザインのもつ力というものを広く説いた杉浦非水。
「ポスターは、其色彩に依って、人の注意を惹かなければならない。ポスターは、その構想図案に於いて、人心を刹那に把握せねばならぬ」
展示を見終わって印象に残っていた言葉です。
シンプルで当たり前に思うことだけど、それが難しい。
しかしデザインというものはこういうものだよなと。
ちゃんとデザインというものを学んだことはないけれど、初心にかえるような気持ちになりました。
本が好きなこともあって、つい図録や写真から情報を収集してしまうけれど、そこにあるものは誰かの目を通したもので、その人がデザインしたもので、物の真髄とか新たな発見というものはそこからは生み出されないのだという非水の考えもグサリときました。
実物を見て観察すること。
何でも簡単に影響を受けやすい私は写生を始めることにします。
美術館へ行って、またひとつやりたいことが増えました。