楽しいアセンション・次元上昇 ~5次元への旅~

アセンション、次元上昇に向けての話や、摩訶不思議な話を載せてみますね~~

サルーサからのメッセージ2012年10月31日、母なる地球からの警告と祝福 2012年10月31日

2012-11-01 22:10:59 | チャネリングメッセージ

GFLサービ ス(たきさんの ホームページ)から2件転載です。

サルーサからのメッセージ・・・恐れることなく私たちと会ってほしい 2012年10月31日

SaLuSa: Meet Us Without Fear

2012 OCTOBER 31

Posted by Steve Beckow

 10月31日水曜日午後4時のセドナにおけるサルーサのスピーチの後で、マイク・クインシーはサルーサからの即興のメッセージを伝えてきた。

 親愛なる皆さん、セドナにおいでいただいてありがとう。サ ルーサは、私を通じて、セドナで人々と合えることに大きい喜びを感じていると言っています。あなた方は地球の隅々に行き渡り、人々の進化の速度を上げる、 以前よりも多くの光を創りだしています。母船そのほかの宇宙船上の勢力

は私たちに非常に近づいています。彼らは地球とその周辺に起きているあらゆることを監視しています。意識のレベルは、今程高い時はありませんでした。意識レベルが臨界に達すると、地球には光の爆発が生じるでしょう。

 ETは自分たちが優れているとは思っていませ ん。彼らは平等な立場でここに来ており、彼らが着陸すると大きい祝賀が催されるでしょう。彼らは次元上昇の後も私たちと共に居続けるでしょう。彼らは私た ちが将来のための彼らのプランの一部であってほしいと思っていて、私たちにたくさんの事物を供給し、私たちをより高いレベルに引き上げてくれます。

 彼らは私たちに恐れることなく会ってほしいと 思っています。彼らが地球に来た時には、私たちに害を与えるようなことはせず、人々を恐怖に陥れるようなこともしません。しかし、彼らには闇の者たちが常 に彼らの存在を恐怖の対象としてイメージさせるようにしてきたことが分かっています。

 彼らは私たちに非常に迅速に進化してほしいと 思っているので、技術上の恩典をもたらそうとしています。シリウス人は、私たちの間のシリウス人、プレアデス人などに会いたがっています。次元上昇の後で は、私たちのうちのいくらかは、ふるさとの惑星に帰る機会があります。それは選択次第です。私たちの真のファミリーはETであり、私たちがボランティアと してこの地球に次元上昇を支援するために来た時に別れてきたのです。

 彼らは私たちのことを良く知っています。夜間には私たちのうちのいくらかは、彼らに会いに宇宙船に乗船しますが、戻る時には記憶を失います。なぜなら、優れた技術や、暖かさ、快適さの記憶は、地球上での仕事に悪い影響を及ぼすからです。

 今でも彼らは終わりの時の仕事を邪魔したくない と思っています。彼らは、ライトワーカーがなしとげた仕事に大きい誇りを持っていて、今でもスピリットガイドと共にあなた方のそばにいます。彼らは、ガイ ドとしていつでも私たちの役に立ち、役に立つと思えばいつでもそのように行動します。彼らが行うことは、私たちのそばにいて、私たちに影響を与えようとす ることです。

 彼らは日時を言うのは避けようとしていますが、あらゆる事は非常に間近に起こるでしょう。彼らは私たちに物事を進ませ、物事をあるがままに受け入れてほしいと思っています。なぜなら、これら全ては私たちにとって真に興味があることだからです。

 サルーサは、私たちの暖かい興味に感謝しています。彼は母船からやってきた者のオリジナルな声を出します。彼らは分離した形では動かず、チームとして活動します。このチームワークは将来私たちにも当てはまることでしょう。

 人類は、過去数年に全ての種族がまとまるように 懸命に働いてきて、一つになりました。サルーサは、偶像化を望んでいません。彼は自分を特別だとは思っていません。しかし、彼は自分のメッセージによって 私たちが助けられることをうれしく思っています。多くのメッセージは反復に過ぎませんが、これは止むを得ないことだと分かってほしいと思っています。

 彼は今、私たちを目にすることが出来ています。彼には私たちの愛、光、オーラを見ることが出来ています。彼は美しい人々が一つになり、すばらしい衝撃を世界の人々に与えているのを評価しています。銀河社会は、私たちの努力を褒め、ますます近づいてきていています。

 彼らの存在を私たちが歓迎しなくなったのは、そう長いことではありません。以前は、恐れが愛よりも勝っていましたが、今はそれが変わりました。愛が多くなれば、彼らの到来もより容易になります。

 これがサルーサからのメッセージですが、彼は月曜日に戻り、以前のようなメッセージの伝達を続けます。このメッセージを伝えるのは、私の本意ではありませんが、彼らが二階で話をしているので、お伝えしている次第です。

 多分別の機会にこのメッセージを直接お伝えすることになるでしょう。私にはこのような状況に遭遇したことはありません。普通はパソコンに直接入力するのでこれは全く異なる経験です。


母なる地球からの警告と祝福  2012年10月31日

http://lightworkers.org/channeling/170346/earth-mother-warning-and-blessing

EARTH MOTHER – Warning and Blessing

 そう、私はあなた方に話かけている。私は母なる 地球である。私は平和に感謝する。今日この私と言う存在を包んでいる、私の子供たち、地球の人々に求めている平和に感謝する。あなた方がおそらくは理解で きることについて話をする。あなた方の感情に話しかけよう。最近、私という存在に悪が降りかかった。悪というのは爆弾である。

(フランスは1996年にマリワナ諸島、ポリネシア、太平洋で、181回の核爆発を行った。)

 爆弾の経験は如何に不愉快なものであったか!私 の体を犯されて、苦痛、悲しみ、怒りの体験をした。それゆえ、以下のようなことが必要になる。それゆえ、地球は振動し、震え、火山は爆発する。私の怒りの 表現をする。又他の気候変動も起きる。これらは私の感情表現である。私は全ての者を愛している。しかし、以前明らかにしたように、私と言う存在をさらに貶 めることは出来ず、許されない。人はこのメッセージを見て、人間に対する警告だと受け止めるだろう。なぜなら、これは警告だからだ。私と言う存在をこれ以 上犯させはしない。これ以上損傷を起こさせない。私はこのメッセージを広めるよう要求する。

 このメッセージは以下の者に対するものでもある。

自然の法を犯す者。

遺伝の法則を犯す者。

DNAを改変する者。

元素を改変する者。

オカルト的に生命の本質を犯し、最もネガティブな妨害をする者。

 これらの者は許されることはない。

 私はあなた方の母としてあなた方を止める力を持っている。あ なたがもしもそのような行為を止めないのなら、私は、できる限りの方法であなたをやめさせる。この方法は、病気、死、この地球上での物理的な生活の変化か もしれない。これは警告である。あなたには警告が与えられた。

 この地球上に暮らすし、ヒーリング能力を持ち、平和と黄金のエッセンスに同調する者は、私が強化をし、私のヒーリング能力、命のエッセンス、命の光、命のエネルギーと同調させよう。これらは私からのあなたへの贈り物である。命のプロであってほしいと思う。

 このメッセージを受け取るものは、単に変化に備 える者、動きに備える者である。あなた方は最も複雑な時代、最も強烈な時代に暮らしている。私が経験することは、あなた方も違ったレベルで経験することで す。苦痛であること、感情、怒り、悲しみ、などは、結局共通の経験になるでしょう。しかし、恐れてはなりません。心配してはならない。そのような必要はな い。全てはプランに従っている。支援が行われるし、支援は今行われている。起きていること全ては、全ての者に対して究極の恩恵を与える。

 あなたの課題、あなたの目的は、急速に明らかに なるだろう。流れに従いなさい。間もなく、全ての一人一人の者は行動し、いわば、完全な黄金時代の色彩に満ちた存在であることを示すように呼びかけられる であろう。時はきた。それゆえ、どうか備えてほしい。行動に備えてほしい。もちろん、至高の存在は、選択が可能であるということを思い起こしてほしいと思 う。常に選択が可能であある。常に。常に選択できる。それゆえ、あなた方は行動しないという選択もできる。しかしそれは最もありそうもないことである。

 全ての一人一人の者には、自分を更新し、エネル ギー、光、エッセンスを補給してほしいと思う。そうして、変化と成長、行動と存在に備えてほしい。あなた方全てが導きと支援を求め、祈りを通じて必要を満 たし、おそらくは、自分と他者のためのヒーリングを求めるよう希望する。それから祈ることを忘れないようにしてほしい。歌を歌い、喜びの中に浸ってほし い。命の呼吸をし、あなた方には感情について話をしたにもかかわらず、それは全体のイメージの中のほんの一部なので、十分に、完全に、命を経験してほしい と思う。又、私の中にも、もちろん、喜びがある。今回は混沌と不快を経験するにもかかわらず、当然のことに祝賀が必要であり、究極的には、恵みが与えられ る。これは最も大切な時であり、新しい時代の始まりとして祝賀すべき時である。これで私のメッセージは終わる。

 地球ヒーリングのメッセージ:母なる地球とジャン・ハインリッヒ、アデレードにて、1996年。

線形の時間は幻想であり、永遠の今という時しかない。母なる地球のメッセージは現実のものであり、全ての者に対する現在のものである。常に。

 参考書

'The Path to Divinity' by Jan and Wal Heinrich, page 99 - 100

Seaview Press, Henley Beach SA 5022, 2004

http://divinewordsofpower.com/our-books/the-path-to-divinity/    



日本人に与えられた天から使命

2012-11-01 17:16:32 | お勧めサイト

2012年10月31日

日本人に与えられた天から使命

 最後に前も掲載しましたが、思い出していただくために日本人の使命について下記に掲載します。
今週末11月4日を最後に昨年の3月11日以来の私からのメッセージは閉じさせて頂きたいと思います。法律関連の記事は、そのまま掲載します。

それまでの間に、まだお読みでない記事があれば、読んで頂けると嬉しいです。終末に向かい魂の振り分けが起きると思いますが、せっかく日本に生まれたのですから、日本人(神の民)としての使命に気付いて頂けると幸いです。

(日月神示ー某ホームページより)

本来霊(ひ)の元つ国の霊界は、元諸神生みなし、人の霊成型創り出せし元地・元気(もとき)の地なれば、世界国霊界を不二の山となぞらえば、日の本の国つ霊界は、不二の峰の部にあたるなり。従いて日の本の国つ霊界濁れば、下津世界の霊界は、為に天日暗くなりて、人類は争いと混迷と災厄に永久に苦しむのみ。 

またその霊界乱るれば、世界は乱れて人類只々苦しみに生きんのみ。
なれば世界天国文明つくるにも平和を造り出すにも、日の本の国つ霊界を明かな
おだやかな狂いなき霊の地となすほか術なきを、人類にサトラしむるほか路なきを告げおかん。
(中略)

思え、日の本つ国は、霊の元つ国・霊炎(ひほ)の国、したがいて世界の霊成型の国とさえ諸々にいわしめ来たりしも、真の義ぼかしたる罪また小さからずよ。
今やその火の元つ国魂、人魂濁り、地の高天原濁りて、天の高天原に及ばんとす。
大ミソギのほかなく、五島(ひじま)を火島となさん愚かさを知れよ』(昭和四十年二月十五日神示)

先にも書きましたように、日本という国の霊界は主神が多くの神々を生み出し、また人類の霊的原型を創造した元の地・元の霊気の場です。だから世界の霊界を富士山に例えてみるならば、日本の国の霊界は富士山の峰の部分つまり頂上にあたるというのです。

したがって日本の国の霊界が汚れ濁ってくると、富士山の麓にあたる下の方の国々の霊界は、そのため太陽の光が曇って暗くなったような状態になり、世界人類は争いと混迷と災厄によって永く苦しむようになる。

また日本の霊界が乱れると、世界は乱れて人類はただ苦しむことになる。だから世界に天国文明や平和を造りだそうとするには、日本の国の霊界を明るく穏やかな狂いのないものとするほか、方法がないことを人類にサトラせないといけないのだと神様は言われるのです。

日本とは霊の元つ国であり霊的炎(ほのほ)(日)の国だから、世界の霊的モデルの国とさえ言わせてきたけれど、その本当の意味をぼかしてしまった罪は小さくない。

今やその火の元の国の霊界と日本人の魂は濁ってしまい、つまり地の高天原が濁ってしまって、ついに天界の高天原にその影響が及ぼうとしている。

これではどうしても大ミソギをするより仕方がなく、その結果日本の五つ島を火の島としてしまうとは何という愚かなことか、と神様は嘆き悲しんでおられます。

日本という国の霊界はどこまでも清浄でなければいけませんし、日本人は世界人類に魁て魂と肉体を清らかに保っていなければならないのです。

それは日本が自己の役割を果たす上で不可欠の条件であり、またそれでなければ世界は救われないことになるのです。 

以上のように、日本や日本人には霊的先進国としての使命、神様の願われている地上の天国を顕現させる、霊主文明を進めて行く、神様のお手伝いをさせて頂くという使命があるわけです。そのことに目覚めて頂けるよう願います

転載終了


1 )人間とは何かを知れ 2)大人の神のなるために人生がある

2012-11-01 17:01:39 | お勧めサイト

せつ子のつれづれ奮闘記さんから転載です。

1 )人間とは何かを知れ

宮沢賢治氏のでくぼうの生き方を読んで下さっている方が、多いみたいなので、番号をつけました。番号順に読んでもらうとわかりやすいです。人間とは何か?を知る手掛かりになると思います。私たちの心は波動を出しています。良い心を持っていると良い波動が起こり、高級霊と繋がり、悪い心を持っていると悪い波動を出し低級霊と繋がります。つまり私たちは、心の持ち方ひとつで神にも鬼にもなれるのです。

 だから神の民である私たち大和の民は、常に御魂磨きが大切なのです。心の波動を高める努力が必要なのです。
(某ホームページより)
 

先ず「人間とは何か」を知れ  [TOP]

  まず最初に、人間とは何かについてお話します。これがわからないと、正しい人生は送れないんです。もし自分を動物だと思っていたら動物のような生活になってしまいますね。人間の生活でなくなっちゃいますね。そうなりますと人間としては幸せには絶対なれません。ですから正しい人間像、人間観を知らないといけないわけです。そこでまず「人間とは何か」ということについてお話し申し上げます。

  何だ、そんなのはわかってる、人間とは精巧な肉体でございましょうと、普通の常識では申します。また科学では人間は動物のことであると申しております。つまり人間とは動物、そして物質です。もちろん精神というものはあるけど、精神は、肉体である脳みその働きの結果出てきた働きなんだから、元は肉体、物質です。ただ精巧な動物肉体機関の働きにすぎない。要するに人間とは物質なんだ。――これを物質人間観と申します。

  これが現在の科学の考え方、また私たちの常識です。「そうなんだ、人間とは肉体なんだ。体が人間なんだ。死んだらそれでおしまいなんだ。消えて無くなっちゃうんだ」――こういうふうに言うのが普通の常識でございますね。

 人は死んでも死なない  [TOP]

  ところが、心霊研究をいたしておりますと、それが間違いなんです。人間というものは霊なんです。スピリットなんです。なぜそういうことが言えるかというと、80年の生涯を終わりますと、お葬式を致しまして火葬場にいって焼却されて灰になってしまいます。すると人間は消えたっていうことですね。ところが心霊研究によりますと、とんでもない。人間はピンピン生きているんです。霊として生きているんです。

  また「霊て幽霊じゃないの。目に見えないフワフワッとした煙みたいなものじゃないのか」と言う人がいますが、とんでもない。あの世というものは厳然とございまして、そこに行って生きているんですよ。どんな生き方をしているかというと、ちゃんと体はございます。肉体じゃございませんよ。肉体とウリニつの形をした幽体です。これは肉体と同じように形がちゃんとあって、手もあれば体もあって目もあって口もあって、しゃべることもできて、髪の毛もはえていて、ここで見た皆さんとすっかり同じ姿で、あの世に行って生活しているんです。

 ただ、ものを食べたりなんかは致しません。これはもはや物質の肉体ではございませんのでね。しかし生き生きとしてそこで趣味、研究、いろんな活動、生産活動もやるんです。そして色々な階層があの世にはございます。魂が奇麗になればなるほど良い世界へどんどんどんどん進歩向上して、神の世界である神界にまであの世がございまして、我々はみんな死にますとあの世に行きまして霊として生きて最後は神々の世界に入っていくんです。

  こういうことが心霊研究の結果わかってきました。つまり「我々は80年で灰になって死ぬんじゃない。永遠に霊として残るんだ。生き生きとして生きているんだ。我々は肉眼で見えないものだから知らなかっただけなんだ」ということなんですね。余りこれを詳しく話しますと、後が話せませんのでこれくらいにして、もし霊の存在について本当のことをもっと知りたいと思われましたら次の本をお読み下さい。浅野和三郎著『神霊主義』(でくのぼう出版)。これは心霊研究の成果を、そのエキスを、最も分かりやすく正確に解説した名著です。この本をお勧めします。

 「人は神」である  [TOP]

  まあこういうわけで、人間とは霊です。言い換えると、人間というものは、肉体というのは、80年間の借り物なんです。そして人間の本体、人間そのものというのは霊なんです。永遠不滅なんです。永遠不滅ということは何かというと、永遠不滅なるものはこの世の中に一つだけございます。神様でございます。全知全能にして不滅なるものは神様でございます。それと同じように永遠不滅なるものが人間の霊なんです。我々の本体なんです。ということは、霊というものは神の分身だと、神から分かれたものだと、神の部分だと、神の火花だということなんです。こういうことが心霊研究でわかっています。

  要するに、人間というものは肉体じゃなくて霊なんだ、霊は永遠不滅であって、神様から分かれたものだ、神様の部分なんだ。言い換えますと、皆さんは霊であって皆さんは神様なんです。80年で焼き捨てられてなくなるような、吹けば飛ぶようなものじゃなくて、厳然たる神の分け御霊なんです。光り輝く全知全能と同じ性質をもっているものが我々なんだ、ということが分かってきます

 人間は霊と肉体の二面性  [TOP]

  さて、神の子供にしては、光ってもいないし、悪い事も大分するし、神の子っていうのは嘘じゃあないかと、誰しも思います。それもその筈です。この地上に生きている私たち人間は、神の子供である霊魂プラス肉体というわけです。肉体が霊にプラスされて一緒になっているわけですね。そして、肉体というのはご承知のとおり欲望を持っております。

  生きるためには物を食べなくちゃいけない、物を使わなくちゃいけない。だから物欲というものがございます。食欲、物欲がございます。それから子供を作っていくために性欲もございます。この性欲と食欲という本能は動物も持っております。いわゆる動物的な欲望を持ったのが肉体なんです。その肉体と、神の分け御霊である霊とが一緒になったものが人間なんです。

  だから現実の人間は、肉体の動物的な面が表に出てしまいますと、動物的なものになる面があります。また時々素晴らしい発明をしたり、良心のひらめきがあったり、英知がひらめいたりして神の片鱗もあるということですね。こういうわけで現実の生きている人間というのは、神の子と動物的な肉体との二面性、つまり神の性質(神性)と動物性の二面の姿を持ったものなんです。

 媒体の働き  [TOP]

  なぜそうなるかというと、さっき申しましたように肉体は本能を持っていますね。食欲だとか性欲を持っていますね。それから、その下の幽体は感情の媒体です。感情といいましても悪い意味での感情です。怒ったり、恨んだり、憎んだり、ひがんだり、悲しんだりする、そういう悪い感情の媒体が幽体なんです。

  ですから、我々はいろんな欲望を持つだけじゃあなくて、恨んだり、怒ったり、憎んだりする。それは幽体があるからなんですね。次に、霊体というものは理性の媒体です道理をわきまえ筋道を理解する心、良心的に反省する心、それの媒体が霊体なんです。これは良いものなんですね。それから、本体は、英知だとか愛だとかの媒体なんです。こういうものをいっぱい身につけております。

 媒体は心の波動の通信機  [TOP]

  さて、それにしても悪い人が多いですよね。自分の生活をふり返ってみましても、良い事を考えている時間は少ないかもわかりませんね。良心的なこと、犠牲的な愛の行ないなんていうのは滅多になくって、たいてい「あれが欲しい、これが食べたい」と思ったり、「あの人はどうもいやな人だ、この人こんなことしていやだな」と思ったり、「今度あの人に悪口でも言ってやろう」と思ったり、暇があると集まって人の噂をしたりしておりますね。という風なことで、我々あんまり結構なことはやっていないわけなんですよ。なぜかというと、四つの媒体を持っているだけじゃなくて、もっと複雑なんです。もっと悪くなる素質があるんです。そのお話をします。

  それは何かと申しますと、実はこの媒体は全部ラジオやテレビと同じような通信機械なんです。波動を発しているんですよ。電波みたいに波動を出したり受け取ったりしているんです。心とは電波みたいな波動でしてね、それを受信したり発信したりする機械が媒体なんです。

  肉体だって波動です。肉体は物質ですから、そのもとは分子でしょう。分子のもとは原子でしょう。原子の奥には原子核があってその周りに電子がまわっているでしょう。電子は粒子であると同時に波動であるという二つの性質を持っていますでしょう。このように肉体も波動を持っているんですよ。波動なんですよ。

  それと同じように幽体も霊体も本体も波動なんです。ただし波動が違うんです。肉体は一番粗い波動です。その次の幽体の波動はもっと細かくなって、その奥の霊体はもうずっと小さい。そして一香奥の本体の波動は非常に精妙な波動なんです。奥へ行くほど精妙な波動になるんです。

 心は「波長の法」に従う  [TOP]

  さてさて、よろしいですか。私たちが欲望を持ったり、ひがんだり、怒ったりいたしますと、それは波動になって出ていく。電波になって外へ出ていくんです。悪い心を持ちますと粗い波動なんです愛情とか犠牲的な精神とか親切心とか持ちますと、本体や霊体からの細かい良い波長になるんです。それからさっき言った、悪い欲望とか悪い心を持ちますと、幽体から粗い波長が出ちゃうんです。もう我々はしょっちゅう四方八方にそういうふうに波動を出しているんです。こういうことが分かったんですね。

  そうすると、テレビでもラジオでも何でも通信機はそうですけども、電波っていうものは波長が合いますと声を出したり、テレビなら姿が出てくるでしょう。ダイヤルを合わせますと、ラジオは声が出てきます。テレビのチャンネルを合わせますと姿まで出てきますね。我々のこの心の波長もそうなんですよ。私たちの出している波長と同じ波長のものと交流しあうんです。我々が憎む心を出しますと、やはり憎んでいるような悪い心の波長と電波が合って同調しちゃうんです。通じてしまうんです。

 人間の心は霊と通じ合う
  [TOP]


  それは具体的に言うとどういうことかと申しますと、人間は死んでも霊として生きているとさっき申しましたけど、死んだ人はみんな霊としてあの世で生きているんです。そういう人の中には良い人もいれば悪い人もおります。それで、例えば我々が怒ったり憎んだり悲しんだりして悪い波長を出しますと、同じような悪い心を持った霊と波長が合っちゃうんです。そうするとその霊が私たちに感応してくるんです。

  私がある人を憎むとします。「あいつ悪いやつだなあ。私にこんな悪い事した。憎らしいなあ」と思いますと、悪い波長、憎しみの波長が出ていきますでしょう。そうするとあの世におりますやっぱりそういう低級な心を持った霊に通じてしまって、私に感応してくるんです。

 人は「霊からのささやき」を「自分の心」と思う  [TOP]

  感応してくるとはどういうことかというと、私に通じまして「そうだ、もっと憎め憎め。もっとあいつに仕返しをしてやれ」というささやきをするんです。「ささやきをするなんて、私はそんなもの聞いたことない」って言いますけど、人間というのは面白いものでしてね。自分でものを考えますでしょう。それから感情を持ちますでしょう。

「嬉しいな」「悲しいな」「今日は良い気分だな」とか「今日は憂鬱な気分だな」「今日はあそこにちょっと行ってみようかしら」とか、「あの人嫌な人だ」「あれが欲しいな」とか思いますでしょう。全部それは自分の心、自分自身が持った感情だと思っているでしょう。とんでもないんです。電波を出しておりますから、その電波に合った、波長に合った霊からの通信が来ておりまして、あたかも自分の気持ち、考えのように思ってしまうんです。

  例えば今日皆さんはおいでになったでしょう。何か話を聞きに行こうかなと思われたでしょう。それは確かに自分の決断でおいでになったんですよ。ですけどその時にね、「行ってみようかな」と思った時に電波を出しておりますから、皆さんの後ろにいる霊がですね、「行ってごらんよ。さあ準備をして行きなさい。


どうしても今日行きなさい」と言うと、「どうしても今日行ってみよう」っていう気持ちになっちゃうんですね。こういうふうにですね、我々の考え、我々の気持ちは全部自分の心だと思っていますけども、霊からの影響を受けまして、それが強化・増幅されているんです。

  反対に、行こうかと思ったら、行きたくなくなったりもさせます。それは行くことを妨害しようとする霊からのテレパシーです。本人はそれを自分の心のように思い、「じゃ今日は止めとこう」と思って行くのを止めます。このように霊には人の心を変えさせる働きもあるんです。このことを今の科学は知らない。多少テレパシーとか何とかということで分かってきた。

  テレパシーの実在は今科学的に証明されているんですよ。超心理学といわれるもので、科学的にテレパシーはもう証明されでいるんです。心と心は通じるということが。
  ところが、人間のいろいろなものの考え方、心の持ち方は、霊からの影響が日常たくさんあるんだということがまだ分かっていないんです

 なぜ人間は鬼っ子になるか  [TOP]

  そこでね、人間が神の子供であるのに、なぜ似ても似つかぬ鬼っ子であるのか、悪いのか、といいいますと、私たちが少しでも憎む気持ちを持ちますと、すぐ同じような霊が感応してきまして「もっと憎め、もっと憎め、あいつに仕返しをしろ、恨みを忘れるなよ、こんなことやってあいつをやっつけろ」というようなことをささやくからです。それを私たちはいかにも自分の心だと思ってそうやっちゃうんですよ。だから我々はよけい鬼っ子になっちゃうんです。人間恐ろしいでしょう。だから悪い心は持てないっていうことなんです

 

2)大人の神のなるために人生がある

 宮沢賢治氏のでくぼうの生き方の昨日のつづきを下記に掲載します。読んで勉強してくださいね。御魂磨きの大切さが理解できると思います。今、どんどん終末に向かっています。私たちの大和の民の目覚めが少ないと弥勒の世に行ける人たちが少なくなります。御魂磨きの重要性を学んでください。大和の民の心の波動は、世界中に影響していきます。だから波動を高くする必要があるのです。

(昨日のつづきを掲載)
反対に良い心を持って、「ああ、あの人、気の毒だなあ」って思いますと、その心が細かい波長になってまして、良いことの手助けしてあげたいという霊がいっぱいおりますから、すぐに感応してきまして、「あの人の手助けをしてあげよう。親切な言葉をかけてあげよう。お金がなければあげよう」っていう気持ちにさせてくれるんです。

  それで、我々はいい気持ちになって、自分の気持ちだと思って奉仕を致しますね。もちろん奉仕の源は自分の心から出たんですよ、「ああ気の毒だなあ」って心は自分から出たんですよ。それに良い霊が感応してきて、その波長を倍加させてくれるんです。そこで奉仕の行為をしちゃうんです。善きにつけ悪しきにつけそうなんです。ラジオやテレビと同じで、波長が合うと声が出て来る。ボリュームを上げると声がウワーッと大きくなる。波長が合いますと、霊がボリュームを上げてくれるんですよ。

  だから我々は善きにつけ悪しきにつけ霊の働きによって大きな変化をしていくんですね。これが人間なんです。人間はそういう恐ろしい波長的な存在なんです。そういうわけで人間は鬼っ子になってしまっているというわけですね。

 鬼っ子は不幸のコース  [TOP]

  「ああそうか、まあ少しは分かってきた。鬼っ子だっていいじゃないの。憎まれっ子世にはばかるといって、鬼っ子の方が世の中を生きていくにはたくましくって良いんだ。むしろ人を押し退けてドンドン競争で勝っていくくらいの人間でないと、人生は勝てないんだから、少々鬼っ子の方が良いんだ。うんと鬼っ子なら、政治家みたいに偉くなれるんだ」っていうふうに常識では思うんですけどね。これがいけないんですよ。

  鬼っ子になったら必ず人生不幸になるんです。間違いなく不幸になる。大きな鬼っ子になれぱなるほど、悪くなればなるほど人生は破滅するんですそれから人間が善人になればなるほど、親切で愛情に富んだ人間になればなるほど、言い換えると、自分の持っている神の性質を外に出せば出すほど、現実の生活全部恵まれる。ですから鬼っ子で良いんだとか、少々鬼っ子でも構わないと思っていることが全然間違いなんです。もし幸福になりたいと思ったら、鬼っ子であることをやめて善人になっていかなきゃあいけないんです。

  何故かっていうことを申し上げます。さっきの波長の原理なんです。鬼っ子の意地悪な、あるいは欲望に長けた気持ちを持つと致しますね。「あいつ蹴とぱして出世してやろうか」とか、「お金貯めるためにあいつを少し騙してやろう」とか、「あの人悪い人だからひとつ失脚させてやろう」とか、考えますね。それはすぐ邪悪な霊に通じてしまうんです。波長が合ってしまうんです。そうするとさっき言ったように邪悪な霊が「やれ!やれ!」って手伝ってくるんです。憎らしい相手を失脚させる手伝いをしてくれるんです。お金を集めるのを手伝ってくれることもあります。

  けれども、そういう邪悪な霊と通じますと、後は必ず悪いんです。なぜかと申しますと、邪悪な霊というのは、人が滅亡すること、人がだめになること、不幸になることを願っております。それを目的にしているんですよ。人間でもそうでしょう。悪い人っていうのは人が幸せになるとひがんじゃって、人が不幸になると腹の底で喜んでいる、ということございますね。

  それと同じで、邪悪な霊もそうなんです。人が不幸になることを非常に望んでいる。自分が不幸ですからね。地獄にあって不幸ですからね。やっぱり人を地獄に引きずり込みたい。自分よりももっと不幸にさせてやりたい。それが楽しみなんです。ですから私が悪い心を持ちますと、すぐそういう地獄の霊に通じまして、そして最終的には私自身が滅亡させられてしまうんです。

 幸・不幸の背後に、霊の働きあり
  [TOP]


  例えば、よくテレビなんかでもやっておりますけど、霊媒が出てきて、「あなたが運が悪いのはこういう霊が憑いているからですよ」とか、「病気になるのはこういう霊が憑いているからですよ」「自殺したのはこういう霊にそそのかされたからですよ」とか、よく言いますでしょう。まあ当たっているか当たっていないかは別としまして、現実にこの世の中の幸福といい不幸といい、その背後にはその幸福や不幸を進めている霊があるんです。このことを今の科学は知らないんですね。人間が死んでも霊は生きているってことを知らないわけです。ましてやその霊が感応してくるっていうことを知らないんです。そしてその霊が、人間の幸福や不幸を動かす働きをするっていうことを全く知らないんです。

  病気なんていうのは7~8割は霊の働きと関係があるんです。調べてみるとすぐ分かります。例えば、胃癌になったのは胃癌にさせようとする霊、体を悪くさせようという恨みを持った霊が憑いている場合がしばしばあります。あるいは胃癌で死んだおじいさんの霊が本人を頼るつもりで憑いて、感応している場合がございます。

  癌に限りません。ノイローゼになった場合、まあ本人にいろんな心配事があってなったかも分かりませんけども、その心配事で憂鬱な気持ちになりますと、やっぱり悪い霊に、低級な霊に感応され、憑依されてしまいまして、その霊の災いでもって一層憂鬱にさせられてしまうんです。気がクシャクシャとさせられる。

  そして、いろんな身体の故障まで起こってきて精神的に破滅させられてしまいます。精神病に限らず病気の大部分は霊的なものの弊害で起こってくることが非常に多いんです。だからその霊を除きますとケロリと治っちゃうんですね。

  病気だけに限りません。事業の失敗や成功にも、背後に霊の働きがあるんです。例えば事業で人を騙して金儲けをしようとか、人を蹴落として金儲けしようとか、やればやれますよ。一時的にお金をつかみますよ。人を騙して金儲けをしようとすると、その時悪い霊が来て手伝ってくれるんです。「やれやれ! あいつ騙せ。やっちゃえ。金儲けをしろ!」と。それで「儲けた!」と思っていい気持ちになっていると、今度その霊はその人を滅ぼします。「いつまでもいい思いさせねえぞ」ってね。そして不渡り手形をつかまさせるような会社と取り引きをさせられてしまうんです。

  まあ色々な方法でもって邪悪霊は邪魔を致しましてね。うまいことを言って人から騙されるように仕向けたりしまして没落させてしまうんです。だから事業の成功失敗にもみんな背後に何らかの霊の働きがございます。
  そのほか家庭内のいざこざ、不和、夫婦仲が悪くて離婚したとか、子供がグレて駄目になったとか、全部と言ってもよいくらい、おおむねこういう霊が背後にあって災いをしているんです。

 自分の心がけが、自分の人生をつくる  [TOP]

  こういうわけで、結論から申しますと、私たちが善人になって良い心がけを持つと、良い霊と波長が合って、人生万事が幸福になります。健康にもなるし、家庭もうまくいくし、事業もうまくいきます。逆に悪い心を持って悪い生活をしますと、邪悪な霊と感応同交して健康も悪くなるし、事業も悪くなるし、家庭内のもめ事もできるし、人との関係も悪くなります。これは非常に単純な原理だけ申したんですよ。
  そうしますと、自分の人生が幸福になるか不幸になるかの源は、自分の心がけにあるんだってことになっちゃうんですね。

  自分が良い心がけを持てば良い霊と感応して現実生活も幸福になる。悪い心がけを持つと悪い霊と感応して結果的に人生全般悪くなるんです。簡単に申しますとそういうことなんです。そのことを覚えて下さいね。幸福とか不幸の現象の裏には霊の働きがあるっていうこと。そういう霊を働かせたのは、元はと言えば自分に原因があるんだ、自分の責任なんだということです。良い心を持つと良い霊が働いて幸福になる、悪い心を持つと悪い霊が働いて、現実生活全般が悪くなる、という原理です。

 病気になる人は、心がけが悪い人か?  [TOP]

  そうしますと、こういう人がいます。「ハハア、あの人病気しているな。あれは心がけが悪いんだ。よくない人なんだな」「あの人の家庭でイザコザがあるぞ。相当悪人なんだな。腹の中が悪いんだな」「あの人は何事も無いから良い人かな」――短絡的にすぐそう考えてしまう人です。

  それは必ずしも間違いじゃないんですよ。ある人が病気をしている、事業がうまくいかない、家庭がうまくいかないのは、やっぱりその人に原因があるのですよ。心に原因があるのですよ。その点では間違いじゃないんです。しかし、そこで心霊の勉強を止めちゃうと、なにもかもそこでおしまいになっちゃうんです。それでは中途半端なものの考え方なんです。

  確かにその原理は間違いないんです。その人が悪い心を持って悪い霊と感応同交しまして、病気になったり不幸になったりするのは、もちろんその人の心がけに何か問題があるのですね。だけれども、その人はもともと悪人でも何でもないんですよ。その人の本体は霊でしょう。霊は神の火花でしょう。神の子供でしょう。完全無欠で、もう珠のように光り輝いた善と愛の存在なんです。その人が何で悪い心がけを持ったかといいますと、神様がその霊を、神の火花を、四つの衣で包んじゃったからなんです。本体で包み、その上を霊体で包み、そのまた上を幽体で包み、最後に厚い厚い肉体で包んで隠しちゃったからです。神の子を隠しちゃったからです。それで鬼っ子になっちゃって、悪い心を持つようになったんです。

  だから、こう言いますと責任はむしろ神様にありますね。神様が余計なことせずに、私たちを「神の子」そのままで置いていてくれたら‥‥私たちは悪い心を持つこともないし、不幸になることもなかったんです。本当にそうなんです。神様がわざわざ余計なことをして四重の媒体で隠したから、悪い心を持って、悪い霊と感応して、結果的に悪くなっちゃった。神様の責任だ。私はちっとも悪くない。あれは神様が悪いんだって‥‥。本当にそうなんです。

  ですけども、なぜ神様はそういうことをなさったと思われますか? なぜわざわざ「神の子」である我々を、四つの衣で隠しちゃったのでしょうか。鬼っ子にさせちゃったんでしょうか。実は、それこそ神の愛なんです。

 キリストも赤ん坊では、何もできない
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  皆さんはあのラファエロという人が描いた聖母子像の絵を御覧になったことあるでしょうか。キリストが赤ん坊の時に聖母マリアに抱っこされている絵がございますね。優れた名画でございます。「神の子」っていうのはあのマリアに抱っこされているイエスの赤ん坊、これが「神の子」ですね。頭の上に光の輪なんかありまして、まさに「神の子」ですね。

 ですけども、抱っこされているイエスは赤ん坊でございますから説教することはできません。人を救うことは何も出来ない。立って歩くことさえできません。おっぱい飲ませてもらって、おむつを取り替えてもらわなきゃあいけない。面倒を全部みてもらわなきゃいけない。光り輝く神の子でありながら、何も出来ない。自分が神の子であるという意識も自覚も持っていない。何も良い事はできないんです。

  確かに悪い事は致しません。神の子で光り輝いておりますけれども現実には何も出来ない。自分が神の子だということも知らない。自分が神の子だっていうことを知らないから、別に嬉しくもない。歓喜に燃えてるわけでもない。自分の中に持っている神の能力を発揮することもできない、というわけですね。

 大人の神になるために、人生はある  [TOP]

  ところが33年、いや30年ですか、経ちますと、イエスは大人になります。大人になりますとどうなりますか? まったく神と同じような、神に近いような性質を表しまして、愛に燃えた大人になり、人に人間の道を説き、天に昇っていく進歩向上する道を説いてくれます。法を説き、人を助け、病人を癒します。まさに神と同じような大人になってしまいましたですね。

  あれはなぜかといいますと、30年の地上生活をしたからです、言い換えますと、神の子イエスもやっぱり肉体の衣を着まして、30年間地上でいろんな苦労をして、勉強をして、修業をして、悩みまわり、苦しみまわり、人との接触もあって、隠れていた神の子の能力が全部外に発揮されまして、大人のイエス・キリスト、神の如きイエス・キリストになったんです。私たちも全く同じです。私たちが神になるためには、地上生活で修業をして、苦しみにあったりいろんなことをして初めて自分の持っている神の性質を外に発現することができるんです。

  イエスは30年で発現しました。私たちはもう少し時間がかかるかもわかりませんけども、原理的には全く同じことなんです。要するに、なぜ神様がせっかく神の子である私達を四重の媒体でくるんで隠してしまったのかというと、私たちが地上生活をすることによって、いろんな苦労をし、経験をすることによって、自分が神の子だということを知り、自分が持っている神と同じ能力を発揮して、いろんな活躍をし、それから自分が神の子だという喜び、無上の歓喜を味わう。そして身も心も、現実の生活も、神と同じような至福の状態になる。

  神がわざわざ私達を四重の媒体でくるまれたのは、このようにして私達を神にするためです。神の子である我々を神と同じように光り輝く英知、愛、の幸福な存在にするためです。私達を幸福にするためなんです。私達を神にまで進歩させるためなんです。まあ余計なことをしてくれたと思う方もいるかもわかりませんけども、この神のような存在になった時の歓喜、神に近づいた時の歓喜、宇宙をも動かすことのできる能力を発揮することになった時の喜び、生きがい‥‥。


  そんなことができるんですよ、人間はやがて。神は神の子である私達を、神と同じような大人の神にするために、私達を地上に置かれ、四重の媒体でくるまれたんです。そして私達はいろんな苦しみを嘗め、悪い事をして、ああしまったと反省をしたり、後悔をしたり、努力をしたりすることによって、正しい道を知って、そして進歩をして、だんだんと神に近づき、一段一段と更に幸福なものになっていく、ということになるんですね。

 艱難は人が神になるための神の愛  [TOP]

  そこでもういっぺん申し上げます。私達の現実の生活が、病気をしたり、事業で失敗したり、家庭が不和であったり、不幸であるのは、その裏に霊が働いているからです。悪い霊が働いているからです。でも、それを働かせたのは私達の悪い心があったからで、当たり前なんですけども、これは本当に悪い事と言い切ってしまってはいけないんです。もともと私達は神の子であって、この神の子が本当の神になるためには、そのような苦しみや、いろんな体験をしなきやいけない。体験することによって初めて神になっていくわけです。ですからいろんな苦しみ、災いは、実は私達の魂の進歩向上のため、私達の幸福のためにあるんです。

  ですから人を見て「ああ、あの人は病気している。心がけが悪いんだ」と思うことは、単なる表面的な見方にすぎないんです。本当はそうじゃなくって、その人は神になるために勉強してるんです。その人は更に神のように幸福なものになるためにそうなっているんです。今病気をしたり、事業で失敗しているということは、もっと深い霊的な意味から言うと、本当は幸福なことなんです。その人に神に近づく資格ができたから、そうなっていることなんです。それは神の愛の現れなんです。そういうことです。まあそういうふうにお考え願いたいと思います。

転載以上