「ゲームばっかりやってないで、宿題やりなさい!」
この言葉が一度も飛ばない家庭はないといえるまでに、この手の指摘は常日頃から飛び交っている。
私もこの手の指摘を理由に何度殴られ、何度ゲーム機を取り上げられたことか。
しかしなぜ、私はなぜここまでされても宿題をやらないのか、宿題をやる気にならないのだろうか。
同時に、なぜ私たちはゲーム機を取り上げられてもなお、ゲームがやりたくなってしまうのだろうか。
私たちはなぜゲームは宿題よりも楽しいと感じるのか。
その理由を導き出すために、まず自己決定理論というものを説明させてほしい。
自己決定理論とは人間のやる気・モチベーションに関する理論であり、「どうすれば人間のやる気は湧くのか」を主に取り扱っているお話である。
この自己決定理論によると、個人がやる気を出すためには『自律性』『関連性』『能力』の3つの要素が必要だという。
自律性とは個人が持つ裁量権の度合いを指し、例えば勉強であればどれぐらいの範囲を、どういった手法で、どれだけの時間と体力を費やすか、その意思決定をどれだけ個人に委ねているかを示すステータスである。
自主学習のような意思決定がすべて個人に渡されているものは自主性が高いと言え、宿題のような範囲や分量もしくは手法も縛られているものは自主性が低いといえる。
関連性とは他者や社会的関与の度合いを指し、例えば勉強であれば成績の上下による親の反応や、成績を理由とした同級生との競争などが当てはまる、自身の行動がどれだけ周囲を揺さぶったかを示すステータスである。
良い成績をとったときに親が褒めてくれたり競争相手と充実した日々を送っている状態は関連性が高いと言え、親が成績に無関心で競う相手もいない状態が関連性が低いといえる。
能力とは自身が持つ力の発揮度合いとその自認を指し、例えば勉強であれば日々の努力の積み重ねがどう成績に反映されるか、その努力が赤点を回避するために有効だったかなどが当てはまる、自分の能力によって物事をどれだけ良くできたか、またはそれをどれだけ自覚できるかを示すステータスである。
勉強の積み重ねの結果がテストの点数に現れた時が能力が発揮されたと言え、努力の成果がテストに現れなかったりテストが行われず成果が自認できない状態は努力が果たされなかったといえる。
要約すると、個人がやる気を生み出すためには『取り組む物事に対してある程度の裁量権を与え』『努力の結果が目に見える形で現れ』『その結果が集団に影響を与える』という3つの要素が必要になる。
そして、やる気を発生させる要因は、そのまま楽しさを生み出す要因にもなる。
これが自己決定理論の主張の1つである。
で。
なぜゲームは勉強よりも楽しいと感じるのか、という問いは先ほど説明した主張の、特に『自律性』と『能力』を用いて答えることができる。
簡潔に言ってしまえば、ゲームは自分の思うままに行動ができ成果がわかりやすいからやる気が湧くのであり、宿題は決められた範囲を淡々とこなすだけなのでやる気が非常に湧きづらいのである。
ゲームは裁量権が最も大きくなる事象の1つと言い切ってもいい。
RPGを遊ぶか格ゲーを遊ぶか、どの日に何時間プレイするか、どれぐらいやりこむか、何処で誰と遊ぶか、半裸で遊ぶか全裸で遊ぶか……。
実験環境などのよほど特殊な環境でない限り、ゲームにかかわるあらゆる要素をすべて自分で選択できるからだ。
またレベルアップ要素やスキル要素、あるいはゲーム内拠点の発展などとても分かりやすい形で成長が確認できることも、ゲームへのやる気を上げる1つの要因だろう。
宿題は裁量権が最も小さくなく事象の1つとは言えないが。
少なくとも宿題ごとにやる科目や分量は決まっているし、提出期限が設けられることがほとんどで、宿題に集中できる場所はゲームに比べれば狭まるし、もし公共の場で消化するとなれば全裸はまずアウトだろう。
ゲームと比べた場合、宿題という課せられたものは選択の余地がほぼないものであり、ゆえに自主性を起点にしたやる気は非常に湧きづらいのである。
一応、回答の正誤率や「流ちょうに問題が解けたか」などの能力を起点としたやる気の湧く余地はあるのだが、ゲームに比べると……となってしまう。
自分の気の持ちようでいくらでも選択を変えられるゲーム。
自分の状態にかかわらず課せられる宿題。
この2つを比べた場合、99%がどっちを取るかは明白である。
それでも、どうしても子供に宿題をやらせたいのであれば、親自身の対応を改める必要がある。
例えば、宿題をやる子供に寄り添ったりとか、宿題の内容に沿った作問や知識を披露するとかだ。
え? 「それをやるだけの余裕はうちにはない」だって?
そんなんだから数十人数百人が己の熱意と人生を懸けて人を楽しませるために作った予算数千万円以上の産物に負けるんだよ。
ゲームと宿題じゃかかってるコストが段違いなんだよ。
参考文献
Wei Peng,Jih-Hsuan Lin et al. (2012) Need Satisfaction Supportive Game Features as Motivational Determinants: An Experimental Study of a Self-Determination Theory Guided Exergame.
Richard M. Ryan, C. Scott Rigby et al. (2006) The Motivational Pull of Video Games: A Self-Determination Theory Approach.
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