2001年に発表された論文によると、自己志向な内発的動機は決定権の少ない行動と、課題志向な内発的動機は決定権の大きい行動と関連していたという。
……いつものごとく「なにをいっているのかわからない発言」が出てきた。論文を主体としたブログだし、ちゃんと解説するから許してほしい。
自分は何をするのかを自分の意志を以て決定づける、いわゆる内発的動機と呼ばれるプロセスにはいくつか種類がある。
その中でも大きくあるのが『自己志向』と『課題志向』だ。
『自己志向』は自分がなりたいものや求められている姿を目的とした動機だ。「○○になりたい!」「○○がやりたい!」が主張の定型。評価を他人や対人関係、感情に依存しているものだ。
これを動機とした目標は、他人にも容易に理解できるようなもともとある指標を用いる(=目標を改変できる権利が小さい)ことが多い。
『課題志向』は自分にいまある課題や現状をどう解消していくかを目的とした動機だ。「○○をどうするべきか」「○○ができる」が主張の定型。評価を数字や事実に依存しているものだ。
これを動機とした目標は、自分にしか理解できないような添え書きや注釈だらけのものになる(=目標を改変できる権利が大きい)ことがおおい。
こう説明すると相反しているような動機どうしだが、実はこれらの動機は相互作用している。
というよりかは、自己志向と課題志向は内発的動機と言われるプロセスの中に同時に存在していることが多い。
どういうことか。
「テストでいい点とって自慢してぇなぁ。いい点とるためにどう勉強すっかなぁ……」
「かっわいいあの子落としてぇな。身だしなみとか、振る舞いとか考えっかなぁ……」
「国民がみんな平等なパラダイスみてぇな国作りてぇな。じゃぁまずは金持ちを粛清して[削除済み]」
句点を境に、左側は自己志向な、右側は課題志向な動機が生成されている。
自己志向で自分が何をしたいのかを決め、課題志向でそのためにはどうすればいいかを検討している。
目標と手段が連鎖的に生成された。どちらも自分の意に沿った決断である。
このように生成された内発的動機は目標への軸が成っており課題への対処で感情の齟齬を起こしずらい、いわば『とても良い』目標となるのだ。
自己志向と課題志向の関係は相互作用だ。
つまり、二者択一では語れない議題だ。
そういう議題はたいてい、非常に複雑怪奇でもある。今回述べた理論も正解ではなく、いくつかの論文を読み比べして私が導き出した適解に過ぎない。
まだまだ「なにいっているのかよくわからない発言」をしていくので、お覚悟。
参考文献
N Ntoumanis (2001)Empirical links between achievement goal theory and self-determination theory in sport.
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