2015年に発表された論文によると、夫婦円満である理由の1つである『関係に対する責任感』の発生にはそれぞれの性格特性が深くかかわってくるとのこと。
特に外向性と誠実性は正に強く、神経症的傾向と開放性は負に強くあるのだという。またこれらの性格は『関係に対する責任感』の変遷にもかかわっているとのこと。
要は義理堅くきちんと会話もできて、沸き上がった不安の赴くままに行動することがない人は恋愛関係や夫婦生活でも盤石であるという、当たり前のように聞こえるものだ。
で、実際にその当たり前はその通りだったということだ。
人間を大切にする人は、恋愛や夫婦での生活においてもきちんと成るという、ただそれだけ。
それだけのことを成すのに、いったいどれだけの時間が必要なのだろうか?
「若い頃に恋愛経験を積んでおかないと、人を愛することすら厳しくなる」なんていう主張を耳にした。
意図としては「恋愛経験は人を愛する能力を育むために必要である」ことを前提とした主張だとは思うが、真偽はわからない。
恋愛関係と人を愛する能力の関係を完全に調べ切ってはいないので、もしかしたら恋愛経験の欠けが引き起こす症状もあるかもしれないが。
個人的には「人を愛することができない人は恋愛関係も築けない」とするのが適解かなぁと。
ここからは人を愛する能力=『関係に対する責任感』として話を進める。
恋愛関係は対人関係の応用編だ。
どちらの関係でも『関係に対する責任感』は育まれるが、恋愛を継続させるためにはまずある程度の『関係に対する責任感』が必要となってくる。
身近な人との付き合いから、それを構築していく必要がある。
なければどうなる? 自分さえよければいいとつぶやける、自己中心的で配慮も知らぬ人間となる。彼らは1晩だけ異性を惑わせられたとしても、1か月だけ仲睦まじくできたとしても、続きはしない。
『関係に対する責任感』を必要としない恋愛は、それを恋愛と呼称しても良いものなのだろうか。
ここまで個人的な意見ばかりを並べてきたが、どうだろうか。
「○○できないとどうなるのか」という考察をしたいのであれば、「なぜ○○できないのか」という事実に目を向けるべきだ。大体は、そこに答えがある。
特に恋愛においては、なかなかに偏った事実が浮き上がってくるはずだ。
参考文献
Amin Hosseini Kianoosh Zahrakar et al. (2015) The Relationship between Marital Commitment with Personality Traits.
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