川口はいいところよ・・  ようこそ新潟へ

新潟県中越地震震源地から今年で早や12年。そげ落ちた信濃川の河岸段丘の表土も自然の力で草木が戻りました。

自転車通勤     修行僧

2007-06-12 21:35:54 | ワブログから引っ越しました
一念発起「自転車で通勤してみよう」と思い立った。

健康診断で「糖尿病の恐れがある」との恐ろしい診断をいただいたのがきっかけではある。



会社までは、最短コースを走っても26Kmはある。

標高差はたぶん30m位「往きは良いよい、帰りはこわい」である。

三日坊主の私だから、すぐいやになると考え、いつもの服で通勤してみた。それが自分でもびっくり。5回を超えた。



健康のためだけでなく、温暖化対策にも協力できる。

見知らぬ人の会釈や新しい風景に出会える喜びもある。



先日ゼビオで「父の日プレゼント」用のスポーツウェアを自分で買ってきた。



今日はそのウェアで出かけた。

往きは55分。平均時速は28Km位ということになる。

帰りは登りであることと、迂回ルートを走ることなどで70分かかった。



いつまで続くか分からないが、週2回位を目標に頑張ってみようと思っている。






年金問題

2007-06-09 22:53:32 | ワブログから引っ越しました
こんばんは

今日はお昼頃ばらばらっと通り雨が降りました。

週明けまでそんな天気が続きそうです。



5000万件の宙に浮いた年金記録のほかに新たに1430万件未入力が見つかったとニュースされて、少々心配になりました。

私の宝箱から年金に関する資料を取り出してみました。



調べましたら年金手帳と一緒に

【基礎年金番号のお知らせ】と【年金手帳の記号番号調査のお願い】が入っていました。

私の場合、転職が3回と会社の名称変更が1回で計4回加入記録が変わっています。

結婚で姓が変わり、住所(本籍も含めて)変更も4回ありました。

国民年金には加入したことがありませんので基礎年金番号の前の年金に関する番号は1つだけです。

自筆で年金手帳に正確に会社名と所在地、被保険者となった日、被保険者でなくなった日がきちんと記入してありました。

ずぼらな私がきちんと記入を怠らなかったのは、私が庶務厚生係でしたのと先輩にきっちり指導され年金に関してはある程度自分で管理するのが基本だとすり込みされたせいだと思います。



年金手帳の記号番号調査のお願いに記されていた日付と自分の手書きの内容が一致していましたので私は多分宙に浮いた記録が無いことを再確認できました。

その旨の連絡も社会保険庁に提出したらしい軌跡もありました。



娘達にも学生の頃から年金に関してはうるさいくらい加入の手続きを言ってましたので娘達もきちんと20歳を過ぎてからは加入しています。

主人も会社で一括して管理していただいているはずですから

我が家ではまったく不安が無いことを再認識することが出来ました。



TVで放送されたときも万が一自分の年金記録が宙に浮いてしまっても

大丈夫だと思っていました。

なぜかというと私は自分の給与明細を働き始めた時から捨てることが出来ずすべてとってあるからです。

嫁入りのときも婚礼ダンスの中に桐箱に入れて持参しました。



今もなんとなく1年ごとに給与明細が入っていた袋の中に源泉徴収票と一緒に入れて保存しています。



今は娘達の残した母の日の手紙やら絵、作文などと一緒に引き出しに入っています。娘達にはこの引き出しはお母さんの老後の楽しみが入っているのよと常に言っていました。

まさにその通りになってしまいました。

久しぶりに引き出しを開けてみると

私の青春時代が詰まっていました。

そして子育ての思いでもね&emojiface_glad;




凧合戦       修行僧

2007-06-03 22:06:42 | ワブログから引っ越しました
凧合戦を三条ではイカ合戦と呼んでいる。

江戸時代、「凧揚げ」を「イカのぼり」と呼んでいたらしい。

あまりにイカのぼりが盛ん過ぎて、幕府は「イカのぼり禁止令」を出したのだそうだ。

庶民は「イカのぼりではなく、凧揚げだ」といって続けたそうだ。



私はまだ江戸時代にはいったことがないので真偽のほどは分からないが、そう言い伝えられている。




自転車は登り坂が苦手     修行僧

2007-06-02 22:37:01 | ワブログから引っ越しました
弟から20年位前の自転車をもらった。

当時15万円もしたのだそうだ。外車だ。

弟はこの自転車で東京から大阪まで旅行した。



今日は一念発起。

大阪や東京までとはいかないが、午後3時にぶらりとその自転車で出かけてみた。

計画していたわけではないので、気の赴くまま。



魚沼市竜光から小千谷市十二平、塩谷、川口町峠、木沢とまわってきた。

塩谷に行くと「自転車でよく来たねぇ」とほめられた。



塩谷のあるお宅の前で、おばあちゃんが老人車に座っておられたので、私も切り株に腰掛けて話を聞かせてもらった。



地震のときは、家の前の道路に布団を敷いて寝たこと。

次の日トラックに乗って校庭に行き、ヘリコプターで避難所に行ったこと。

(今更ながら、わが町の対応は・・・・・)

40軒以上あった世帯が20軒になったことなどを話してくださった。



「私の子供の頃は80軒以上あったし、峠の子供たちは塩谷の学校に通って来たんだてぇ。冬は親たちが変わりばんこで送り迎えして」



「足が痛くて、家の周りしか動けなくての」というので、にわか先生になり、

足を揉ませていただいた。

「足が軽くなった」という言葉に元気付けられて、峠への坂を登った。



自転車は上り坂が大変だということが良~く分かった。