発表会の日、母が荷物運びを手伝ってくれたのでリハーサル時も居たんですけども、リハの時に後ろで動画を撮った後にティッシュを取りトイレに行っているのが視界の隅で見えて、ああ泣いてるなとは思ってましたが案の定、今日、昨日は涙出ちゃったと告白されました。音色で思わずと。自分で言うのもあれなんですが、傷ついてきた人や苦労や我慢して頑張ってきた人ほど私の音色を好む人が多い気がします。なんか分かり合えるのかな〜。それは嬉しいことだけど。
某国に親戚が住んでるんですが、親戚やら友達やらが聴きたいと言うので早速リハの動画を送ったみたいなんですが、皆癒し系だと絶賛してくれて、生で聴いたら泣く自信があるとまで言ってくれたので、某国人って日本人の社交辞令のようなお世辞はあまり言えない方なので、おや、私向こうで活動すべきかと思いましたね。
褒めようが無い時は「楽しそうに弾くね」「弾きっぷりが良いね」みたいな表現をします。
ドッペル弾いたもう1人の講師に、私某国の方がウケるかもと話したら、それって身内フィルター入ってるっしょと言われました。まあそれもあるっちゃあるし身内や派閥フィルター付くのは全世界共通だろうけど、日本ではあんまりそんな「あんた勿体無いわ」とまでは言われないからやっぱり向こうの方が?となっただけで。一応音大出た人と音大教授やってた人に言われる事ってまあ完全嘘とは思わないというか。
現在の師には、どこに出しても恥ずかしくないと言っていただけたけど、先日のドッペル聴かせたら即前言撤回されそう。
音色に関しては日本でも昔からどの楽器を使っても褒められてきた方ですが、今が1番音の作り方に関しては自信がある気がします。鳴らし方を鍛えながら技術は日々新しいものを取り入れてはいるけれど、音程など基礎的テクニックは年齢と共に落ちる一方です…やはり一線で活躍している方のように大勢の前で弾くという機会があまりありませんのでなかなか完成度がね…
リサイタルでもやればいいんですけど、自ら主催してまでやりたいかと言われると、うーん。なんていうか自己満足だけの行動はしたくないというか。いや楽器やり続けている以上それ自体自己満足なんだけど、リサイタルってなんかねえ。もう少し承認欲求というか、売れたい!という欲とか、知名度上げるためにやるとかいう目的があれば良いんですけどねえ。完全に引きこもり。
向こうで誰かにお願いしようかな。いや無理ですけどね、肩書きが無いからなあ。身内会なら出来るか。向こうの方が聴きたいって言ってくれる人いるわ。
まあこればっかりは仕方がない。環境が悪かったし自分の能力も足らなかったということだし嫌がらせにも屈したのだから。勝ち負けとか勝負しに大学入ったわけではないのに、負けは負けなんですよね世間的にも結果的にも。負け犬らしく自分のテリトリーで音楽やってますよ私は。何も知らない人から見ればそう判断するよねと理解している私もいるだけで、負け犬のレッテルを自分では貼ってはないので、負け犬扱いされたら普通に縁切りますけどね、そんな基準で音楽やってないし👋
まあそんなのでもマイナスな場所からよくここまで走って、いや歩いてきたなって感じですよ、楽器売る気だった時期を考えれば、こうやって発表会やって失敗したー!🫨とか言ってる自分、全く想像してなかったですもん。それもまた多少自信になっているかな。ちゃんと自分なりに行動してみたという自信。失敗も沢山して、山ほど恥かいたりかかされたりしたけど。
良い意味で泣かせるって、それだけでまあ発表会やって良かったかなと思ってます。昨年は教室を辞めた生徒さんが泣いてたな。過去の泣いてしまった人たちを思い出しても、雰囲気が皆繊細で人にも優しくて、色々考えて生きている人たちだったのかなあ。
優しい人は常に我慢しがちだから、生き辛いですよね。人に対等に立とうとするから、真面目に向き合っちゃうんですよね。適当に受け流すということが出来ない。表面的にはいはいと出来る人は何とも思わずに上手く取り繕えるんだけど、優しい人は精神で繋がろうとしちゃうというか。それって意味の無い事なんですよね、人は完全には絶対に分かり合えないし、自分とは違う生命体でしかない。
私も人のためにと情で動きがちなので、逆に制御してます。普段は他人に冷酷にいきましょう。冷酷さって人を下げる行為でも利用する行為でも身勝手で我儘な発言行動をすることでもなく、ただ自分の気持ちを優先するだけです。それでごちゃごちゃ人格否定でも言われたら、その人が身勝手なんです。人が自分の思い通りに動かない時にその人の器ってわかりますよね。
人が集まる場所で余計な事を何も言わない何もしない人って稀にいますが、そういう人をお見かけすると、お、優しい人だなと思います。安心感半端ない。勿論全員が全員そうというわけではないけど、人に依存するようなタイプに見えないし、空気感が安定しているというか。まあこれも私のフィルターとも言えます。決めつけてはないから簡単取り外し可能フィルターです。
いつものように脱線しましたが、話は戻り、以前から内輪で話していたのですが、日本ではパリッと明るい系?わかりやすいはっきりとした音の出し方や映えているものが好まれる気がします。例えば最近若者に人気な韓国は、どちらかと言うと韓ドラの挿入歌など見てもらったらわかりやすいかもしれないですが、綺麗な癒し系の曲って多いので、歌うような音色のまろやかさって割と重要視してくれる気がします。歌い方も、韓国は会話の時点で発声の仕方が違うのか一枚纏ってたりするけど、日本人は喉からでカラカラした歌声が多いって感じしませんか?
はっきりしないことって不安と感じる要素なのかも。人を見る時も、この人はこうであるはずだと自分でカテゴリー分けする日本人と、この人は良くも悪くもこんな人で終わる韓国人みたいな。
それと、日本歌曲のような音の出し方やリズム感(発音の流れというか)がやはり安心するのだと思います。幼い頃からずっと聴くわけだし。音も母音のみでずっと進んでいく感じ。ちょっと説明が難しい。
日本はピアノでもそうですが、音色を探求する人よりも指がどれだけ回るか、どれだけ音程やリズムを完璧に弾くかみたいな方に意識がいっている気がします、それも大事だし若いうちは良いでしょうし、音色だけ良く何の音楽性も無いとなるとまた違いますが。
合奏なんかも、まず揃っているかどうか。総合的な流れや要所要所の重要なクオリティを上げるというよりも、どこかが合う合わない、多少のズレの方が気になる。後は皆で集まって何かやることがメインとなっている団体とか。中身は何でもいい。そういうところが多いのかなという印象です。私が見てきた団体の話で言えばですが。
🎻は楽器の個体差があるから若干変わるけど、ピアノって型が決まっていて種類も限られるし、音色に関してはほとんど皆同じというか、音楽性抜きで音色の話で言ったらですよ、それほど劇的な差は無い気がします。なので演奏を聴くだけであの人だ!となんとなくでもわかるのは🎻よりももっと限られるんじゃないかなと。
一つの見解として。
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