「浦嶋神社縁起書」
浦嶋子は雄略天皇の御世二十二年(西暦478年)七月七日に美女に誘われて常世の国に行き、その後三百年を経て淳和天皇の天長二年(西暦825年)に帰って来た。
常世の国に住んでいた年数は三百四十七年間で、淳和天皇はこの話を聞いて浦嶋子を筒川大明神と名付け、小野篁を勅使として、勅宣を述べたうえ勅命を承って宮殿を御造営し、ここの筒川大明神に鎮座された
続・竹林の宮愚人
・・浦嶋明神縁起絵巻
浦島太郎伝説
「水江浦嶋子」
当時この物語の主人公は「水江浦嶋子」つまり、「水江の浦」に住む「しまこ」という人物だったようです。「丹後国風土記」は彼の住所を丹後国与謝郡日置里筒川村、「日本書紀」は丹波国余社郡管川、と記しています。
「丹後国」は和銅六年(七一三)丹後の五郡を割いたものであり、「日本書紀」はそれ以前の形を留めているだけで同一の地名、現在の伊根町が浦嶋の故郷だったのです。
「亀を助けなかった浦嶋」
亀を助けた話が初めて出てくるのは、近世を過ぎてからのことで、「丹後国風土記」では、次のように記しています。
浦嶋子はひとり小舟に乗って釣りをしていました。
しかし、三日三晩たっても魚は一匹もつれません。あきらめていた矢先のこと、浦嶋子は五色の亀を釣り上げました。
舟の中で居眠りをしている間に、亀は美しい乙女の姿になっていました。
乙女は、目を覚ました浦嶋子を蓬莢の島に誘います。
蓬莢の島に着いた浦嶋子は、乙女が彼を門前に待たせて内に入っている間に七人づれ、八人づれの子供たちに会います。
その子たちが、亀姫の夫だと囁きあっているのを耳にした浦嶋子は、乙女が亀姫(神女)だと知ったのです。
古くは、亀は乙姫の遣いではなく乙姫自身だったのです。
「浦嶋子は常世の国で-神婚物語の結末-」
亀に姿を変え、美しい女性の姿をした神に誘われ、浦嶋は神の国を訪れました。
この訪れた先のことを「万葉集」では「わたつみの神の宮」また「常世」と呼んでいます。
一方「日本書紀」は「蓬莱山」(とこよ)、「丹後国風土記」は「蓬山」(とこよ)と呼び、龍宮城の名前が見られるのは中世のお伽草子以降です。
浦嶋子は神の女性を妻にして、きらびやかな大宮殿で暮らしていましたが、三年が過ぎた頃故郷を思い出します。亀姫は開けることを禁じて自分の玉櫛笥(=玉手箱)を手渡し、見送りました。
櫛を入れる玉櫛笥は霊力を持つもの、己の分身と考えられました。
つまり、浦嶋子は亀姫(おとひめ)の分け御霊を手渡されたのでした。
やがて故郷に戻った浦嶋子は変わり果てた風景に驚き、出会った老女に尋ねてみると「三百年も昔、嶋子という人が海に出たまま帰ってこなかったという言い伝えがある」と告げられ、途方に暮れます。
そして、寂しさがつのり亀姫を想うあまり、玉櫛笥の蓋を開けてしまいます。すると中から白煙がたち昇り、年老いて死んでしまいました。
浦島 太郎の物語はこの様なものです、現実離れしたお話ですが現在に伝わっていることは・・何か想いがあった事だと思います。