旧・鎮西村の地域と歴史

福岡県飯塚市に昭和38年の市町村合併によって無くなった、旧・鎮西村がありました。
昔話や伝説が沢山あります。

言霊(素晴らしい言葉)

2013年05月10日 08時11分22秒 | 言霊
最近、普段使っている言葉について、大切だと思うようになった。
なぜか、それは、よき言葉は人を生かし、悪い言葉は人の人格を壊したりすることがあるということです。

普段から、心して良き言葉を使うようにしたいものだと思うようになりました。
今回は歴史と違い、人の心を豊かにできる言葉に関して、以前から集めていた良き言霊を掲載してみたくなりました。

補足で面白くないかも知れませんがお付き合いください・・宜しくお願いします。

明るい未来を築くのは、明るい心と言葉です・・

「明るい未来」を作るには、先ず明るい心になり、明るく積極的な言葉を使うようにしたらよいだろう。
人間及び生きとし生ける者の限りない力、生命力、叡智と愛とに心の焦点を合わせ、たよりないこの世の利益や収入ばかりにアクセスせず、限りない未来があることに思いをはせるのです。

「必ずよくなる」という希望があなたを成功に導く

ヘレン・ケラー女史は「楽天主義こそ一切を成功にみちびくところの信仰である」と云いました。
楽天主義とは、ものの明るい方面ばかりを見て、つねに「よくなる」と云う希望を失わない「考え方」です。暗いところでは大きな樹はそだちません。
人間でも同じです。心に日の光をもつことです。

朝の時間はもっとも大切な、いのちの宝石である

たとえば十分間の朝の時間を生かして何かをやるとしよう。
すると一日には十分でも、 朝の時間はとても気持ちがよく能率が上がるから、それは大切な時間になる。
一見こま切れのような時間だが、実に充実した時間だから、これを活用しないという手はない。
朝の時間は、いのちの宝石だと思って頂きたい。

これは、是非実践してください・・朝の1~2時間は1日分に匹敵すると思います。

愛の言葉は、相手を生かし自分も生かす

柔かく温かい感じのする言葉は、相手を生かすとともに自分自身をも生かすのである。
言葉は創造主であるから、柔かく温かい感じのする言葉を使うように心掛けていると、
次第に自分自身に温かく柔かい性格が養成されるようになり、容貌までにも温かく柔かい感じがあらわれて来るのである。

先祖を大切にしよう、その家は栄える

親と子と孫と祖父母とご先祖とは「命の樹」のようなものである。
ご祖先は根っこにあたり、子供や孫は枝葉や果実に当たる。
だから仏壇や神棚などに毎日お経をあげ、線香やお花等をお供えするのはとても良いことで、こうして「命の樹」が栄え、良い果実(子供や仕事などの成果)が実ることになる。

「命の樹」は育てればキット大きく育つものです、1日5分でも10分でも・・遣るといいですよ。

人に献げること最も多き者が、最も多くの幸せを得る

世の中で偉人と言われる人は皆ひとに愛行をほどこし、親切をし、奉仕した人です。
いたずらに功名心にかられ、富や地位を追いかけ廻したものは、皆最後には没落して悲惨な運命を辿っているのです。
多くの人に奉仕し、多くの人々の幸福のために働く事ほど貴いことはありません。

最近、韓国の時代劇を良く見るのですが、民の為に捧げたペーハーは尊く民から愛される人となっている・・見ていて喜ばしい。

内なる心を支配する者が、外なる環境を支配する

外なる環境は、すべて内なる心によってつくり出されたのであり、「環境は心の影」 であります。
自己の心を自由自在に処理しうる人のみ、あらゆる環境に処して、それを自由に変化することができるのです。
環境を変化するというよりも、むしろ、自分の欲する環境がそのままあらわれて来るのです。

自分の心のおき方で、状況や環境が変わっていくこと、これも実証済みです・・一度遣ってみたら!!!

「善くしてやろう」ではなく、「すでに善いのだ」と思え

善くしてやろう、という想念は相手を害し、すでに善いとの想念は相手をよくするのです。
決して相手を縛って導こうとしてはなりません。相手の「神の子たる善さ」を信じてその自由にまかせておくのです。
かくて人は本当の自由にまかせられるとき、正しく生きるようになるのであります。

今度のオリンピックでボクシングのチャンピョンになった人が「優勝して遣ろう」ではなく、すでに優勝した姿を想い、チャンピョンになったと聞きました・・これがだいじです。

本当の幸福は心の平安から生まれる

幸福は常に内より来る。外に百万の富があろうとも、心の中に平和がなければ何の幸福だろう。
外に何の富がなくとも、心の平和ありて、人を愛することができるとき、それが本当の幸福なのである。
心の中の平和は神との一体感によって得られるのである。
神様から遠ざかるから淋しくなって来るのである。

私自身、なかなかできないことですが・・これが実践できたら素晴らしいと思います。

他人の成功を祝福する者は無限の祝福を受ける

人間は一人ではない。自他一体である。だから他人の成功を祝福して、共に喜んであげられる。その広い愛の心が、自分をも高め上げ、他からの無限の祝福をうけるのである。
人は、自分のやった結果を、自分で受け取る者だ。人を憎めば、自分も憎まれるし、人を尊敬すれば、自分も尊敬される。

家族を見たとき、家族の喜怒哀楽に同調している姿・・このことが大切なのか知れません。

全てを有難く思う者は人生の勝利者となる

明るい心持はすべてのものの基礎になるものなのです。
太陽を見ても有難い、空気を 吸っても有難い、御飯をたべても有難い、仕事をしても有難い、自分の行くところ、見るもの聞くもの、皆な有難くなるような人こそ出世する人であり、病気にかからぬ人であり、長生する人であります。

すべてのことに感謝できる自分でありたい。

目前の困難は、大いなる飛躍のチャンスである

冬は春への準備の時である。植物は花をつけ、動物は活動を強化し、生命を躍動させる。
それまでにまず「冬に耐える」ことが必要である。一時的には屈するようでも、その力をもって、高く強く飛躍するのである。外は暗いようでも、春の日ざしは、もうすでに今ここに射しはじめているのである。

特に、若者にこの言霊を捧げたい、今の現状がいかに悪くとも、それは準備期間で、きっと素晴らしい未来が目の前にあることを悟れる心のゆとりをもって、頑張ってほしい。

すべての人間に天性と使命とが与えられている

人間は、何かの目的をもって「作られた」ものである。それは「神のみこころ」といっても よい心によってであり、決して偶然ではない。
心には目的というか意志というようなものがある。
だから、人間には「使命」がある。特別の役割があり、その人でなければできない仕事があるのです。

自分自身を過信してもいけないが、自分自身の持つ天性がきっとあるはず・・見つけ出すのも大変だが・・キット持っているのだから!!!

よい事は「今」すぐ、思い切ってやろうではないか

新しく、有意義なことを、やり始めよう。人は誰でもやりたいことが一杯ある。
それらを すぐやり始めよう。
「やっても、三日坊主だから」と、最初からやらないよりも、三日坊主でもよいからやり出せ。するともしかしたら四日、五日と続くのである。
そこから、必ず新しい人生が開けてくる。

「与え切る」生活をする者に、無限の富は流れ入る

もし私たちが「与え切る」生活になるならば、真空のところを、空気が自然に埋めるように、宇宙に満つる富が、自然に埋めてくれることになるのである。
富を造ろうと思うならば、先ず「与える」ことによって、「富」の流れ入るための真空状態を造らなければならないのである。

なかなか難しいが、実践できれば・・・

幸せになるには、小さな善の積み重ねが必要である

人はとかく小さなことをないがしろにする。ちょっとした言葉でも、人の心を傷つけることがある。
それを続けていると、ちょっとが大事件にまで発展する。だから小事をあなどり、「これくらいはいいや」で日々を過ごしてはいけない。幸せになるためには、小さな善いことの積み重ねが必要である。

実践課程として、1日1善を心がけてみよう。


あなたの出発点は常に「今」である

今があなたの時なのだ。今!実に今だ!今のほかに時はない!今あなたに与えられているすべてのことを今段々乎として敢行せよ。今あなたに可能であると見えることを何のためらいもなしに今実行せよ。
今できることは今できるのであって、ほかの時にできるかどうかはわからない。今が懸命だ。

最近、ゼミなーの講師がよく言っていますね・・・“今”を大事に・・・

他に尽くすために働く人は人々をひきつける

関心と興味とが自分自身のみに集中している人は人をひきつける力はないのである。
もし諸君が自分自身以外のことに、人々のために関心をもち、愛をもち、善意をもち、
しかもそれを実践し、人々のために尽さずにおれないような親切さを発揮すれば、諸君はたちまち大勢の人々を集め得る一大磁石となるのである

喜んで働くと人はみな健康になる

あなたの勤めている仕事場で「たのしく働く」のはとてもよい事で、それでこそ仕事 もうまく行く。
そのあなたの明るさは、単にあなただけにとどまらず、あなたの部下や上司にも拡大するからだ。
あなたの家庭にもひろがり、妻や子が生きいきとする。
夫や父の明るさは一家の運命に関わる一大事である。

実践あるのみ・・・

人は誰でも「真心」によって動かされる

真心というものは目には見えないが、必ず大きな働きをするのである。
真心のこもった 看病によって、多くの人々は死の床から立ち上がっている。
真心のこもった仕事は、愛がなくてはできないのである。
仕事を愛し、人を愛し、国を愛しているとき、なすことに真心がこもるのである。

困難やスランプや失敗は、すべて進歩向上のチャンスである

ただ向上あるのみである。丑三時が来たならば、もう夜明けは間近に近いのだ。
うす暗い、 そして寒々とした冬に、既に春の準備が着々として行なわれている。
一見困難とみえるものは、全て飛躍への尊い跳躍台である。
我々はそれを勇敢にふみこえて、明るいすばらしい「いのち」の世界へと超出しよう。

依頼心を捨てると、無限の生命力が湧いてくる

依頼心を起こしただけ、われわれの生命力は小さくしか発現せず、われわれの健康も 小さくしか発現しないのであります。依頼心を起こさないで、どこどこまでも自分の生命力を掘り下げてゆくものはついに無限の生命力の噴湧する「大生命」から豊かな健康の供給を受けることができるのであります。

われらは種を蒔く人である。常に善行の種を蒔け

われわれは、言葉の種や想いの種を蒔くのです。それは眼に見えぬ小さい種ですが、 それが段々生長して、眼に見える形にまであらわれて来るのです。
だから、言葉に出すことや、心に思うことは出来るだけ善いことばかりを思うようにしなければなりません。
健康ばかり、繁昌ばかりを思うことです。

感謝して働くものには無限の力が湧いて来る

心配や、取越苦労や、持越苦労や、悲しみや、恐怖心や、嫌う心や、嫉妬心や、疑う心 などは、我々に疲れを与えるものであります。
この反対に、愛する心、誉める心、調和する心、感謝する心は神様と波長が合う心でありますから、神様の無限の力が、こんこんと湧き出て来て疲れぬのであります。

今与えられている仕事に感謝せよ

本当に偉い人達は、いつも一見、卑しい、つまらない、小さい、目だたないように 見える仕事を喜んでして、自分を、自分の「心」を磨いて行かれたのです。
何もかも、みんな神様のお仕事なのです。神様のお仕事には、小さいも卑しいもない。
どれもこれもみんな大きい、輝かな、偉いお仕事なのです。

人はみな「言葉」によって「運命」をつくる

我々は、自分の「言葉」によって自分の「運命」をつくるのだ。「私は不幸だ」 とつぶやく者は、いくらでも不幸になるし、「私は幸福だ、有難い」と口癖のように言う者は、その言葉の通り、幸福な人間になることができるのである。
我々はもっと明るい言葉を使わなければならない。

穏やかに暮らしてゆくことは難しくはないと思います。・・・日々実践で楽しく人生をお過ごしください。