旧・鎮西村の地域と歴史

福岡県飯塚市に昭和38年の市町村合併によって無くなった、旧・鎮西村がありました。
昔話や伝説が沢山あります。

鎮西村宗教史(仏教編)

2013年07月05日 18時50分52秒 | 鎮西村の仏教史
第6話 鎮西上人略歴




聖光坊弁長(鎮西国師(上人)・聖光上人)1162(応報2)~1238(暦仁1)

1、応保2年(1162) 筑前の国、香月の吉祥寺に生れる。

2、仁安3年(l168) 7才の時,嘉穂郡鎮西村の大日寺の妙法禅師の室に入り学問を受ける。

3、嘉応2年(1170) 剃度の式をあげ,聖光房弁長と名のる。

4、承安5年(1175) 香月庄の白岩寺に帰る。

5、治承2年(1178) 再び鎮西村明星寺で常寂法師に師事する。

6、寿永2卸(1183) 叡山に登り観叡法僑の門に入る。

7、建久元年(l190) 鎮西村明星寺に帰る。

8、建久2年(1191) 油山の学頭となる。
明星寺五重塔再建の議おこる,再建の勧進を行なう。

9、建久8年(l197) 五重塔が新装麗しく明星寺の境内に聳える。
五重塔本尊を迎えるため上洛する。
法然上人に会い師と仰ぐに至る。
五重塔本尊を迎え大法会を行なう。

10、建久9年(l198) 四国路の教化を行なう。

11、正治元年(l199) 再度上洛して法然上人に師事する。
土御門天皇より鎮西禅師聖光上人大和筒と禅師号を賜わる。

12 元久元年(1204) 九州に帰り浄土の布教をする。
以来35年間、善導寺を中心に東奔西走、席温まる暇もなく伝導教化) に専念しその範囲は筑後・筑豊・肥後におよび,48寺の寺院建設をする。

13、嘉禎4年(1238)  正月病気となり,同2月29日77才にて入減(善導寺にて)

14、文政10年(1278) 仁孝天皇より大紹正宗国師と国師号を追贈される。

(青柳英珊著 鎮西上人)



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