縄文人の志葉楽さんのブログ

日記や趣味を書く

●教養について

2021年05月31日 03時04分28秒 | 文化
●教養について
教養(きょうよう)とは個人の人格に結びついた知識や行いのこと。これに関連した学問や芸術、および精神修養などの教育、文化的諸活動を含める場合もある。
一般に、独立した人間が持っているべきと考えられる一定レベルの様々な分野にわたる知識や常識と、古典文学や芸術など質の高い文化に対する幅広い造詣が、品位や人格および、物事に対する理解力や創造力に結びついている状態を指す。
「教養」に相当するギリシア語は“パイデイア”であり、意味は「子供が教育係に指導されて身についたもの」のことである。英語ではcultureで「粗野な状態から耕された、人の手を経たもの」、ドイツ語ではBildungであって「つくられたもの」のこと。それぞれに教養の捉え方に対する文化的な温度差がある。
また、「教養」は、伝統的に、西欧の高等教育で扱われてきているリベラル・アーツに相当するものとしてもとらえられる。この起源もギリシア時代の自由人のための学問に起源を発する。しかし、現代の日本では「パンキョウ」(一“般教”養)という語に代表されるように、大学の専門課程よりも前の課程で習得されるべき広範な一般的基礎知識を指すに終始することが多い。
「あの人は教養がある」というように口語的に用いられる場合は、人付き合いや社交の場において、洗練された会話や身のこなしができる能力を示すことが多い。これには多分に人間的評価の意味が含まれており、逆に、「教養がない」という表現で「常識のない人間」や「品位や人格に問題のある人間」をそしることがある。
しかし、これらは必ずしも正確なものではない。「教養ある人間」、すなわち、教養人が相応の尊敬を得るのは、単に知識が豊富な状態(博識)に留まらず、人間性という実を伴うためである。仮に、現状の知識が乏しいからといって、その状況は非難される性質ではない。知識を求めて学ぶことで品位と人格を高めようとする心構えが重要と考えられる。
教養の変遷
教養の内容は、時代・社会とともに変化する。また、教養が成立するには社会の一定の範囲に共通の価値観が存在していることが必要である。以下に近代以前の伝統的な教養の例を挙げる。
ヨーロッパ
ヨーロッパの伝統的教養観は、上流階級同士の社交界において洗練された振る舞いや会話を楽しむ能力、および、それに必要な知識や文化的素養であった。
バルダサーレ・カスティリオーネの『宮廷人』がその規範とされている。
中国
中国では、科挙の権威を軸として、四書五経を学ぶことや漢詩に通じることが教養とされていた。
日本
古代中国の影響を強く受ける形で、日本でも四書五経や漢詩は伝統的に重要視されてきている。やがて、日本独特の諸文芸や和歌がこれらと並ぶようになった。文人画などの絵画を自ら描く事も教養の一部を担っている。
上記のように、古典に通じ、ハイカルチャーを身につけることが伝統的な教養の重要な要素であったといえる。これらは、主に社会の指導的階級、知識人あるいはエリートによって人格向上の一助とされてきた。
近代以降は、出版技術の発達に始まり、大衆の地位・経済力向上などによる普通教育制度の確立、マスメディアなどの普及により大衆が教養を身につける機会は増加していった。
Wikipediaより

人それぞれ違う尺度で物事考える。
私はこれが教養の度合いで計っていると思う。
世界には色んな人が居る。
女だからとかいい年してとか言う人が多い。

昔は娼妓と言われる娼婦などは花魁の様に源氏物語読んだり
出雲の阿国のように歌舞伎の発症者にもなって居る。

いい年してと年寄りを窘める人はソノ人のモットいるモノを
見てない人が多いのでは無いかな。
確かに変な人もいるけれども生きて行くための計りを確立している人が多い。
責めるのも大切な時が有るけれども年寄りの持っている
知識という財産を受け継ぐのは大事な事では無いかな。
今の時代 どこへ行っても年よりは排除。
これは日本人の歴史の中では余り無かったこと。
平均寿命が延びてこの世にいる人が多くなっている。
ある意味 うっとうしさを感じている人が多いのでは無いかな。
モット交流していけばこれから先生きて行くための
素材材料が見つかるかも知れない。
この日本はソウ言うモノは沢山含んでいる国である。
毎日 酒飲み パチンコに浸りテンションの高い音楽聞いて
落ち着かない生活は辞めた方が良いと思う。
日本人だけの教養を大切にして。
知らないと財産にも何にもならない。

コメントを投稿