●★相撲の呼び方
浅学広知 頭の中を 駆け巡り 自由律
派生して 何処へ行くやら 当て知らず
一捻りしてみた。対した句ではないけど。
面白い言葉がドンドン生えてくる。
頭の中で次から次へと。
時々 ど忘れして思い出すのに一苦労。
「スマヰ」→「すまひ」→「すまふ」→「すもう」
コレは何となく判るけれども「スマヰ」は何処から来たのか。
「スマヰ」と言う言葉が初めから有りそれから派生したのなら解る。
でも何も無いものに名前を最初から「スマヰ」と付けているのはどうも腑に落ちない。
調べても答えは出てこなかった。
「捔力」「角觝」「角力」までは何となく判るけれども 手乞(てごい)これは何か。
●大東流合気柔術 / 大東流の歴史 / 幕末まで
http://www.daito-ryu.org/jp/bakumatsu-made.html
合気の源流をさかのぼれば、古来の手乞(てごい)に行き着きます。 日本最古の書の一つである『古事記』に出てくる建御雷神(たけみかづちのかみ)が建御名方神(たけみなかたのかみ)の手をとって 「葦を取るように、つかみひしいで投げた」という話がそれです。
この手乞は、相撲の始めともいわれ、『日本書紀』に出てくる野見宿禰(のみのすくね)、当麻蹴速(たいまのけはや)の伝説から、 さらに平安時代の宮中での相撲節会(すまいのせちえ)、鎌倉時代の武士の相撲にまで伝承されたものです。相撲節会は全国から力士を集め、 天皇の御前で相撲をとるものですが、今日の相撲とは異なり、土俵もなく、手乞から発した武技の要素が強いものでした。仁明天皇(810-850) の詔勅にも「相撲節は単に娯遊に非ず。武力を簡練する、最もこの中にあり」とあることからもうかがえます。
日本の古武道の総元締めのようである。
縄文ではほとんどが争い事が無くて過ぎ去っていた。
弥生になると貧富の差も少しずつ出て来てトラブルも増え欲も増えてきたのだろう。
其処に手乞(てごい)が登場してきたのだろうね。
何時の時代も欲とトラブルは付いて来る。
手乞(てごい)の奉納が相撲や他の武術に別れていった。
「花道」というものもそのあたりで出てきたのではないだろうか。
相撲と歌舞伎
全然違う道で 今でも使用されている。
色んな物の「捔力」を辿るのも当事者なれば良いけど傍で見ている分には存分 ツマラナイ部分も有るけど。
昔を夢想してみるのもタマには良いのでは無かろうか。
日本を愉しむために。
●かつてあった いにしえの捔力 相撲 - NAVER まとめ
https://matome.naver.jp/odai/2144586653443338701
2018/04/23
●安岳3号墳相撲図
https://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_pre104.html
向き合って対戦する手搏(しゅはく)の図
https://www.kyuhaku.jp/exhibition/images/topic/104/p02.jpg
向き合って対戦する手搏(しゅはく)の図。相撲のルーツに当たるものか?
●高句麗の古墳壁画
https://twitter.com/i/web/status/818813202481823744
黄海南道 安岳3号墳
中国集安 舞踊塚
集安 長川1号墳
集安 角抵塚
東京城出土「陶製八角壺」の小児角抵図
『遼史』には酒宴の際に契丹人が角抵をした記述がある
鳥居龍蔵「契丹の角抵」『燕京学報』29(1941年)『鳥居龍蔵全集』に再録
塞外民族にも存在した。
https://twitter.com/i/web/status/818813202481823744
★相撲の呼び方 http://bit.ly/zLBgiN
・「すもう」の呼び方は、古代の「スマヰ」から「すまひ」→「すまふ」→「すもう」に訛った。
・「捔力」(『日本書紀』)、「角觝」(江戸時代において一部で使用)、さらに漢字制限(当用漢字、常用漢字、教育漢字)により前者の用字を一部改めた「角力」という表記も有る(いずれも読みは「すもう」)。
・古代には手乞(てごい)とも呼ばれていたと言う説も有る。(手乞とは、相撲の別名とされ、相手の手を掴む事の意、または、素手で勝負をする事を意味する。)
・大相撲を取る人は「力士」(りきし)や「相撲取り」といい、会話では「お相撲さん」とも呼ばれ、英語圏では「相撲レスラー」と呼ばれる事もある。
★古武道 - Wikipedia http://bit.ly/zobimK
『日本書紀』に捔力で相手を蹴り殺したとの記述があり、この時代の捔力が相撲の起源とする説もある。これは蹴り技など用いていたと推測され、現代の相撲(大相撲・ アマチュア相撲)とは異なるものである。
★相撲捔力(かくりき)起源神話?http://bit.ly/yaNwpP
相撲(捔力)の起源は約2000年前です
日本初の正史『日本書紀』の中の垂仁天皇紀に書かれています
日本書紀は681年天武天皇の命で編纂が始まり40年後に完成
当時の国際語?であった漢文で記され中国王朝を意識しています
★角界の源流を探る(1)「久延毘古」考 - 記紀雑考シリア語の残像
http://bit.ly/wPUCXV
日本書紀の垂仁天皇七年「秋七月己巳朔乙亥」(7月7日)の箇所に、今日の相撲のルーツに当たる事柄が載るが、ここで「相撲」が「捔力」に作られるのは、いわゆる月宿傍通暦(http://d.hatena.ne.jp/ywrqa/20090821/1250811501)において、「7月7日」が【角】に当たることと無関係ではないだろう(今日も相撲界のことを角界と言う)。
四方に求めむに、豈我が力に比ぶ者有らむや。
何して強力者に遇ひて、死生を期はずして、頓に争力せむ。 (日本書紀)
誰ぞ、我が国に来て、忍ぶ忍ぶ如此物言ふ。
然らば、力競べせむ。故、我先ず其の御手を取らむ。 (古事記)
★「相撲の起源」と「花道」について http://bit.ly/y0qOYt
今日は相撲の起源について調べてみました。
「相撲の起源」
相撲は日本で一番古い格闘技で、弥生時代にはその原型があったといわれています。
「すもう」は古くは「すまひ(い)」と言い、日本書紀には「争・捔力・相撲」などの漢字が当てられています。
「すもう」の名前は、「相手の力に負けまいとして抵抗する」と言う意味の動詞「争ふ(すまう)」の名詞で「力や技を争うこと」を「すまい」といったところから「すもう」に
なったようです。
★花道 - Wikipedia http://bit.ly/y17ZwN
花道(はなみち)は、歌舞伎等が行われる劇場で、舞台から客席を縦断するように張り出した部分。
舞台から一続きの廊下のように見える。
役者が舞台上に出入りするために使い、下手(しもて=客席から向かって左側)よりにあるものを本花道、上手(かみて)よりを仮花道という。
仮花道は臨時に設置されることが多く、常設の劇場はまれである。
起源は能楽の橋懸に由来するとされる。
歌舞伎では花道から登場する人物は、七三の位置(花道を十等分して舞台から三分目と四分目の間)で一旦動きを止め、短い演技(長いこともある)を見せるのが定石である。
本格的な花道には七三にすっぽんと呼ばれる小型のせりがあり、脚本・演出にあわせて使用される。
観客から見て二次元的な存在の舞台上から、役者が客席側に出ることで三次元的な演出を可能にしている点で、演劇史上特筆すべき装置といえる。
・相撲で、力士が土俵に向かい、また控え室に戻るための道も花道という。
・転じて、華々しい去り際を言う言葉。ある分野で活躍した人物が、華々しく見送られるときなどに言う。
・去り際以外にも、華々しい人生の歩み方を言うこともある。
★相撲節会 - Wikipedia http://bit.ly/yHcWAH
相撲節会(すまひのせちえ)とは、奈良・平安時代にかけて行われた宮中の年中行事。
射礼や騎射(後に競馬)と並んで「三度節」とも呼ばれた。
記紀にも相撲に関する記事が多く見られ、相撲自体は古くから行われていることは確実 であるが、相撲節会の最古の記録は『宮中行事秘事』などに伝えられる聖武天皇の神亀 3年(726年)に諸国より相撲人(今日の力士)が貢進されというものである。
★相撲節(前) http://tsubotaa.la.coocan.jp/shis/ss03.html
★相撲節(後) http://tsubotaa.la.coocan.jp/shis/ss04.html
日本の史書に「相撲」という文字が最初に出てくるのは、「日本書紀」雄略天皇13年( 469) 9月の記事である。
韋那部真根という木工の達人がいて、石を土台にして斧で木を削っていた。その達人は日がな一日削っても、斧の刃を欠くことがなかった。 天皇がそこに御幸して、韋那部真根に(怪訝そうに)聞いてみる。「どんなときも間違って石にぶつけることはないのか」と。韋那部真根は「絶対にありません」と答えた。 天皇は、采女を呼び集め、衣裙を脱がせて犢鼻をつけさせ、人の見ているところで「相撲(すまひ)とらしむ」(日本書紀・敬語の助動詞がないのは、 いくら天皇の行為でも感心できぬ場合を記す際には敬語をつけないという語法が平安時代にあるためという)。 案の定韋那部真根はそれを見ながら木を削り、ついつい誤って刃を破損してしまった。 天皇はこれを責め、「不逞の輩め、軽々しくも豪語しよって」と、物部(刑吏)に委ねて処刑させようとした。 この時、同僚の工匠が「あたらしき 韋那部の工匠(たくみ) 懸けし墨縄 其(し)が無けば 誰か懸けむよ あたら墨縄」と歌ってその才能を惜しむ。 天皇がこの歌を聞き、後悔して刑を止めて許した。
ここに出てくる相撲は「女相撲」であるが、この記事の主題は相撲そのものではない。見るべきは、「褌一丁」の恰好であろう。 但しこのことは、前々項での話題に関連することであるので、これ以上は触れない。
★すまいのせち【相撲の節】
奈良・平安時代、毎年7月に天皇が相撲を観覧し、そのあとで宴を催す年中行事。26日仁寿殿じじゆうでんで下稽古げいこの内取りがあり、28日紫宸殿ししんでんで召し合わせが行われ、そこで選抜された者が翌29日に「抜き出」という決勝戦を行なった。相撲の節会せちえ。相撲の会え。
★骨法 (格闘技) - Wikipedia http://bit.ly/w984HJ
伝承について
奈良時代の神亀3年に志賀清林によって「突く・殴る・蹴る」の三手が禁じ手にされたといわれ、一般的には古代の相撲の異称とされる「手乞」は禁じ手制定以前の、この武術の呼称であるとしている。
純粋な武術を「手乞」・武術を応用した医療行為が「骨法」とする。
★大東流合気柔術の起源の謎: 合気道ブログ|稽古日記 2013年01月15日
http://aikidoblog777.seesaa.net/article/313612978.html
大東流合気柔術は、武田惣角が世に広めました。
そして、合気道は、植芝盛平 翁が創始しました。
つまり、武田惣角が合気道開祖の師匠で、
大東流合気柔術は合気道の源流となった武術ということです。
★忍之者と武術 http://bit.ly/ylm9bp
その壱:武士と礼節
・礼式
・神前
・目上/部下/同輩
・立礼/蹲踞礼/座礼
・陣中
・武器類の取り扱い
その弐:徒手格闘(小武器使用を含む)
・一乗法骨法術
*技法名は、登録字体が無い為に正式な文字でないものも使用している。
手木 強方
古代には、角力、拳打、手返、手乞等と称されていた、徒手格闘の武術を淵源とされており、従って他の古流柔術や拳法の様に、種々の武器は使用しない。
急所の名称も独特なものであり、柔術によく採用されている揚心流系の名称は皆無である。
★力士 - Wikipedia http://bit.ly/x9u798
力士(りきし・ちからひと)とは、相撲をする人間のこと。
厳密には、相撲部屋に所属して四股名を持ち、番付に関わらず大相撲に参加する選手の総称。
相撲取り(すもうとり)とも呼ばれる。
しばしば関取(せきとり)と呼ばれることもあるが、元来は大関のことを指す異称であり、現代では十両以上の力士のことを指す。
幕下以下の力士は力士養成員(りきしようせいいん)と呼ばれる。
また、本来は神事に関わる者であるため、日常会話では親愛と尊敬をこめてお相撲さんとも呼ばれる。
わんぱく相撲や大学の相撲部などのアマチュア相撲で相撲を取る者は四股名を持たないため厳密には力士ではない。
★関取(せきとり)http://bit.ly/xtZaWE
大相撲の番付で、幕内、十両の力士を指す。
これに対し、幕下以下の力士は取的(正しくは力士養成員)という。
★廻し(化粧廻しを)http://bit.ly/vZl88D
廻し(まわし)は相撲競技で用いられる用具である。ふんどしの一種。
絹で作られ、相撲競技者の腰部を覆い、重心部となる腰や腹を固めて身を護り、更に力を出すために用いられる。
まわし、回し、締め込み、相撲褌とも表記され、 稽古廻しや幕下以下の力士、アマチュア競技者が締める廻しは雲斎木綿または帆布と呼ばれる硬い木綿布で出来ている。
これは転倒時の怪我の防止と身体の保護や取組みでの技を掛けることを目的としている。
★土俵入り(どひょういり)http://bit.ly/ypDgcb
大相撲の十両以上の力士(関取)が土俵の上で行う儀式のことである。
横綱が行うものは横綱土俵入りとして区別される。
★大銀杏(おおいちょう)http://bit.ly/vZ4vaB
大相撲において、十両(十枚目)以上の関取が結うことができる髪形である。
また、幕下以下の力士でも、十両との取組がある場合や、弓取式、初っ切り、断髪式を行う際には結うことができる。
髷(まげ)の先端が銀杏の葉に似ていることからこの名がある。
関取でも大銀杏は正式なときにのみ結うものとされており、稽古時など普段の髪形は丁髷である。
力士の大銀杏は江戸時代に武士の間で見られたものとは異なり、前頭部は剃られず月代(さかやき)にはなっていない。
★付き人(付け人から転送)http://bit.ly/vZrK4C
付き人(つきびと)とは、一般的に、徒弟制度やその流れを汲む育成システムが存在する組織の中にあって、序列・位・格などが上位の者の側について、雑用・下働きを務める者のことである。
いわゆる「かばん持ち」などがこれにあたる。
付け人(つけびと)、内弟子(うちでし)とも呼ばれる。
徒弟制度で人材育成が行われている職種の多くにおいては、“師匠”“先輩”“上司”などの上位の立場にある人間が、“弟子”(直弟子、孫弟子、弟弟子、練習生)または“部下”などの後進の育成を行い、“弟子”は付き人として“師匠”の仕事の補助や身の回りの世話をしながら、その仕事の手順・技法・作法・慣習などといったものを習得し、師弟関係を築き上げてゆく。また、“師匠”が所用で外出したりそもそも外を回る仕事では、“弟子”もそれに付いてゆき、現地でも雑用や下働きなどをこなす。
付き人の仕事については職種によって大きく異なるが、仕事中の一般的な業務補助から私的な小間使いや雑用、移動時の自動車の運転手、ごく簡単なレベルの身辺警護、自宅に住み込んでの身の回りの世話など多岐にわたる。
●師弟(してい)とは、師匠(ししょう)と弟子(でし)のことを指す。
●部屋子(へやご)
https://ja.wikipedia.org/wiki/部屋子
1.部屋住み。親がかりの人。子供が自立できないで親に養われながら親元で暮らしている状態を指す。
2.江戸時代、大奥や大名屋敷などの御殿の奥女中に仕えた召使い。部屋方。
3.武家屋敷の奉公人の部屋にいる居候。
部屋子(へやご)は、日本の伝統芸能において師匠の楽屋に入り必要なことを学ぶ見習いの立場、またその制度。歌舞伎の場合は、子役の時分から幹部俳優の楽屋にあずけられ、鏡台を並べて楽屋での行儀から舞台での芸など、役者として必要なことを仕込まれる立場を指す語である[3][4]。
さらに養子となり本来世襲される家の芸を継がせる場合には芸養子と呼ばれる。
現代における部屋子の代表的な例として、三代目市川猿之助(現・猿翁)の部屋子として頭角を現し、関西の大名跡を継ぐに至った三代目市川右團次や市川弘太郎といった澤瀉屋の門人。一般家庭から十三代目片岡仁左衛門の部屋子となり、その後二代目片岡秀太郎の養子となった六代目片岡愛之助などが挙げられる。近年では、子役タレント事務所から歌舞伎公演出演を経たのちに特定の幹部俳優に入門して部屋子となるケースが増加している
●破門(はもん)は
1.仏教において、僧が所属する教団や宗派から追放されること。僧として受ける最も重い罰とされる。波羅夷(はらい)にあたる。大乗仏教ではあまり聞かず、上座部仏教ではさかんに行使された。
2.キリスト教の一部教派およびユダヤ教において、異端的信仰をもつ信者になされる措置である教会戒規のひとつ。いわゆる中世暗黒時代には、さかんに行われた。
3.芸道や武道の世界で、弟子が師匠、宗家、家元などによってその流派を追放されること。仏教の破門からの転用。
4.ヤクザ世界において、組の構成員がその組織から追放となる処分の一種。
各業界においてもこのような役割の人々が存在する。
浅学広知 頭の中を 駆け巡り 自由律
派生して 何処へ行くやら 当て知らず
一捻りしてみた。対した句ではないけど。
面白い言葉がドンドン生えてくる。
頭の中で次から次へと。
時々 ど忘れして思い出すのに一苦労。
「スマヰ」→「すまひ」→「すまふ」→「すもう」
コレは何となく判るけれども「スマヰ」は何処から来たのか。
「スマヰ」と言う言葉が初めから有りそれから派生したのなら解る。
でも何も無いものに名前を最初から「スマヰ」と付けているのはどうも腑に落ちない。
調べても答えは出てこなかった。
「捔力」「角觝」「角力」までは何となく判るけれども 手乞(てごい)これは何か。
●大東流合気柔術 / 大東流の歴史 / 幕末まで
http://www.daito-ryu.org/jp/bakumatsu-made.html
合気の源流をさかのぼれば、古来の手乞(てごい)に行き着きます。 日本最古の書の一つである『古事記』に出てくる建御雷神(たけみかづちのかみ)が建御名方神(たけみなかたのかみ)の手をとって 「葦を取るように、つかみひしいで投げた」という話がそれです。
この手乞は、相撲の始めともいわれ、『日本書紀』に出てくる野見宿禰(のみのすくね)、当麻蹴速(たいまのけはや)の伝説から、 さらに平安時代の宮中での相撲節会(すまいのせちえ)、鎌倉時代の武士の相撲にまで伝承されたものです。相撲節会は全国から力士を集め、 天皇の御前で相撲をとるものですが、今日の相撲とは異なり、土俵もなく、手乞から発した武技の要素が強いものでした。仁明天皇(810-850) の詔勅にも「相撲節は単に娯遊に非ず。武力を簡練する、最もこの中にあり」とあることからもうかがえます。
日本の古武道の総元締めのようである。
縄文ではほとんどが争い事が無くて過ぎ去っていた。
弥生になると貧富の差も少しずつ出て来てトラブルも増え欲も増えてきたのだろう。
其処に手乞(てごい)が登場してきたのだろうね。
何時の時代も欲とトラブルは付いて来る。
手乞(てごい)の奉納が相撲や他の武術に別れていった。
「花道」というものもそのあたりで出てきたのではないだろうか。
相撲と歌舞伎
全然違う道で 今でも使用されている。
色んな物の「捔力」を辿るのも当事者なれば良いけど傍で見ている分には存分 ツマラナイ部分も有るけど。
昔を夢想してみるのもタマには良いのでは無かろうか。
日本を愉しむために。
●かつてあった いにしえの捔力 相撲 - NAVER まとめ
https://matome.naver.jp/odai/2144586653443338701
2018/04/23
●安岳3号墳相撲図
https://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_pre104.html
向き合って対戦する手搏(しゅはく)の図
https://www.kyuhaku.jp/exhibition/images/topic/104/p02.jpg
向き合って対戦する手搏(しゅはく)の図。相撲のルーツに当たるものか?
●高句麗の古墳壁画
https://twitter.com/i/web/status/818813202481823744
黄海南道 安岳3号墳
中国集安 舞踊塚
集安 長川1号墳
集安 角抵塚
東京城出土「陶製八角壺」の小児角抵図
『遼史』には酒宴の際に契丹人が角抵をした記述がある
鳥居龍蔵「契丹の角抵」『燕京学報』29(1941年)『鳥居龍蔵全集』に再録
塞外民族にも存在した。
https://twitter.com/i/web/status/818813202481823744
★相撲の呼び方 http://bit.ly/zLBgiN
・「すもう」の呼び方は、古代の「スマヰ」から「すまひ」→「すまふ」→「すもう」に訛った。
・「捔力」(『日本書紀』)、「角觝」(江戸時代において一部で使用)、さらに漢字制限(当用漢字、常用漢字、教育漢字)により前者の用字を一部改めた「角力」という表記も有る(いずれも読みは「すもう」)。
・古代には手乞(てごい)とも呼ばれていたと言う説も有る。(手乞とは、相撲の別名とされ、相手の手を掴む事の意、または、素手で勝負をする事を意味する。)
・大相撲を取る人は「力士」(りきし)や「相撲取り」といい、会話では「お相撲さん」とも呼ばれ、英語圏では「相撲レスラー」と呼ばれる事もある。
★古武道 - Wikipedia http://bit.ly/zobimK
『日本書紀』に捔力で相手を蹴り殺したとの記述があり、この時代の捔力が相撲の起源とする説もある。これは蹴り技など用いていたと推測され、現代の相撲(大相撲・ アマチュア相撲)とは異なるものである。
★相撲捔力(かくりき)起源神話?http://bit.ly/yaNwpP
相撲(捔力)の起源は約2000年前です
日本初の正史『日本書紀』の中の垂仁天皇紀に書かれています
日本書紀は681年天武天皇の命で編纂が始まり40年後に完成
当時の国際語?であった漢文で記され中国王朝を意識しています
★角界の源流を探る(1)「久延毘古」考 - 記紀雑考シリア語の残像
http://bit.ly/wPUCXV
日本書紀の垂仁天皇七年「秋七月己巳朔乙亥」(7月7日)の箇所に、今日の相撲のルーツに当たる事柄が載るが、ここで「相撲」が「捔力」に作られるのは、いわゆる月宿傍通暦(http://d.hatena.ne.jp/ywrqa/20090821/1250811501)において、「7月7日」が【角】に当たることと無関係ではないだろう(今日も相撲界のことを角界と言う)。
四方に求めむに、豈我が力に比ぶ者有らむや。
何して強力者に遇ひて、死生を期はずして、頓に争力せむ。 (日本書紀)
誰ぞ、我が国に来て、忍ぶ忍ぶ如此物言ふ。
然らば、力競べせむ。故、我先ず其の御手を取らむ。 (古事記)
★「相撲の起源」と「花道」について http://bit.ly/y0qOYt
今日は相撲の起源について調べてみました。
「相撲の起源」
相撲は日本で一番古い格闘技で、弥生時代にはその原型があったといわれています。
「すもう」は古くは「すまひ(い)」と言い、日本書紀には「争・捔力・相撲」などの漢字が当てられています。
「すもう」の名前は、「相手の力に負けまいとして抵抗する」と言う意味の動詞「争ふ(すまう)」の名詞で「力や技を争うこと」を「すまい」といったところから「すもう」に
なったようです。
★花道 - Wikipedia http://bit.ly/y17ZwN
花道(はなみち)は、歌舞伎等が行われる劇場で、舞台から客席を縦断するように張り出した部分。
舞台から一続きの廊下のように見える。
役者が舞台上に出入りするために使い、下手(しもて=客席から向かって左側)よりにあるものを本花道、上手(かみて)よりを仮花道という。
仮花道は臨時に設置されることが多く、常設の劇場はまれである。
起源は能楽の橋懸に由来するとされる。
歌舞伎では花道から登場する人物は、七三の位置(花道を十等分して舞台から三分目と四分目の間)で一旦動きを止め、短い演技(長いこともある)を見せるのが定石である。
本格的な花道には七三にすっぽんと呼ばれる小型のせりがあり、脚本・演出にあわせて使用される。
観客から見て二次元的な存在の舞台上から、役者が客席側に出ることで三次元的な演出を可能にしている点で、演劇史上特筆すべき装置といえる。
・相撲で、力士が土俵に向かい、また控え室に戻るための道も花道という。
・転じて、華々しい去り際を言う言葉。ある分野で活躍した人物が、華々しく見送られるときなどに言う。
・去り際以外にも、華々しい人生の歩み方を言うこともある。
★相撲節会 - Wikipedia http://bit.ly/yHcWAH
相撲節会(すまひのせちえ)とは、奈良・平安時代にかけて行われた宮中の年中行事。
射礼や騎射(後に競馬)と並んで「三度節」とも呼ばれた。
記紀にも相撲に関する記事が多く見られ、相撲自体は古くから行われていることは確実 であるが、相撲節会の最古の記録は『宮中行事秘事』などに伝えられる聖武天皇の神亀 3年(726年)に諸国より相撲人(今日の力士)が貢進されというものである。
★相撲節(前) http://tsubotaa.la.coocan.jp/shis/ss03.html
★相撲節(後) http://tsubotaa.la.coocan.jp/shis/ss04.html
日本の史書に「相撲」という文字が最初に出てくるのは、「日本書紀」雄略天皇13年( 469) 9月の記事である。
韋那部真根という木工の達人がいて、石を土台にして斧で木を削っていた。その達人は日がな一日削っても、斧の刃を欠くことがなかった。 天皇がそこに御幸して、韋那部真根に(怪訝そうに)聞いてみる。「どんなときも間違って石にぶつけることはないのか」と。韋那部真根は「絶対にありません」と答えた。 天皇は、采女を呼び集め、衣裙を脱がせて犢鼻をつけさせ、人の見ているところで「相撲(すまひ)とらしむ」(日本書紀・敬語の助動詞がないのは、 いくら天皇の行為でも感心できぬ場合を記す際には敬語をつけないという語法が平安時代にあるためという)。 案の定韋那部真根はそれを見ながら木を削り、ついつい誤って刃を破損してしまった。 天皇はこれを責め、「不逞の輩め、軽々しくも豪語しよって」と、物部(刑吏)に委ねて処刑させようとした。 この時、同僚の工匠が「あたらしき 韋那部の工匠(たくみ) 懸けし墨縄 其(し)が無けば 誰か懸けむよ あたら墨縄」と歌ってその才能を惜しむ。 天皇がこの歌を聞き、後悔して刑を止めて許した。
ここに出てくる相撲は「女相撲」であるが、この記事の主題は相撲そのものではない。見るべきは、「褌一丁」の恰好であろう。 但しこのことは、前々項での話題に関連することであるので、これ以上は触れない。
★すまいのせち【相撲の節】
奈良・平安時代、毎年7月に天皇が相撲を観覧し、そのあとで宴を催す年中行事。26日仁寿殿じじゆうでんで下稽古げいこの内取りがあり、28日紫宸殿ししんでんで召し合わせが行われ、そこで選抜された者が翌29日に「抜き出」という決勝戦を行なった。相撲の節会せちえ。相撲の会え。
★骨法 (格闘技) - Wikipedia http://bit.ly/w984HJ
伝承について
奈良時代の神亀3年に志賀清林によって「突く・殴る・蹴る」の三手が禁じ手にされたといわれ、一般的には古代の相撲の異称とされる「手乞」は禁じ手制定以前の、この武術の呼称であるとしている。
純粋な武術を「手乞」・武術を応用した医療行為が「骨法」とする。
★大東流合気柔術の起源の謎: 合気道ブログ|稽古日記 2013年01月15日
http://aikidoblog777.seesaa.net/article/313612978.html
大東流合気柔術は、武田惣角が世に広めました。
そして、合気道は、植芝盛平 翁が創始しました。
つまり、武田惣角が合気道開祖の師匠で、
大東流合気柔術は合気道の源流となった武術ということです。
★忍之者と武術 http://bit.ly/ylm9bp
その壱:武士と礼節
・礼式
・神前
・目上/部下/同輩
・立礼/蹲踞礼/座礼
・陣中
・武器類の取り扱い
その弐:徒手格闘(小武器使用を含む)
・一乗法骨法術
*技法名は、登録字体が無い為に正式な文字でないものも使用している。
手木 強方
古代には、角力、拳打、手返、手乞等と称されていた、徒手格闘の武術を淵源とされており、従って他の古流柔術や拳法の様に、種々の武器は使用しない。
急所の名称も独特なものであり、柔術によく採用されている揚心流系の名称は皆無である。
★力士 - Wikipedia http://bit.ly/x9u798
力士(りきし・ちからひと)とは、相撲をする人間のこと。
厳密には、相撲部屋に所属して四股名を持ち、番付に関わらず大相撲に参加する選手の総称。
相撲取り(すもうとり)とも呼ばれる。
しばしば関取(せきとり)と呼ばれることもあるが、元来は大関のことを指す異称であり、現代では十両以上の力士のことを指す。
幕下以下の力士は力士養成員(りきしようせいいん)と呼ばれる。
また、本来は神事に関わる者であるため、日常会話では親愛と尊敬をこめてお相撲さんとも呼ばれる。
わんぱく相撲や大学の相撲部などのアマチュア相撲で相撲を取る者は四股名を持たないため厳密には力士ではない。
★関取(せきとり)http://bit.ly/xtZaWE
大相撲の番付で、幕内、十両の力士を指す。
これに対し、幕下以下の力士は取的(正しくは力士養成員)という。
★廻し(化粧廻しを)http://bit.ly/vZl88D
廻し(まわし)は相撲競技で用いられる用具である。ふんどしの一種。
絹で作られ、相撲競技者の腰部を覆い、重心部となる腰や腹を固めて身を護り、更に力を出すために用いられる。
まわし、回し、締め込み、相撲褌とも表記され、 稽古廻しや幕下以下の力士、アマチュア競技者が締める廻しは雲斎木綿または帆布と呼ばれる硬い木綿布で出来ている。
これは転倒時の怪我の防止と身体の保護や取組みでの技を掛けることを目的としている。
★土俵入り(どひょういり)http://bit.ly/ypDgcb
大相撲の十両以上の力士(関取)が土俵の上で行う儀式のことである。
横綱が行うものは横綱土俵入りとして区別される。
★大銀杏(おおいちょう)http://bit.ly/vZ4vaB
大相撲において、十両(十枚目)以上の関取が結うことができる髪形である。
また、幕下以下の力士でも、十両との取組がある場合や、弓取式、初っ切り、断髪式を行う際には結うことができる。
髷(まげ)の先端が銀杏の葉に似ていることからこの名がある。
関取でも大銀杏は正式なときにのみ結うものとされており、稽古時など普段の髪形は丁髷である。
力士の大銀杏は江戸時代に武士の間で見られたものとは異なり、前頭部は剃られず月代(さかやき)にはなっていない。
★付き人(付け人から転送)http://bit.ly/vZrK4C
付き人(つきびと)とは、一般的に、徒弟制度やその流れを汲む育成システムが存在する組織の中にあって、序列・位・格などが上位の者の側について、雑用・下働きを務める者のことである。
いわゆる「かばん持ち」などがこれにあたる。
付け人(つけびと)、内弟子(うちでし)とも呼ばれる。
徒弟制度で人材育成が行われている職種の多くにおいては、“師匠”“先輩”“上司”などの上位の立場にある人間が、“弟子”(直弟子、孫弟子、弟弟子、練習生)または“部下”などの後進の育成を行い、“弟子”は付き人として“師匠”の仕事の補助や身の回りの世話をしながら、その仕事の手順・技法・作法・慣習などといったものを習得し、師弟関係を築き上げてゆく。また、“師匠”が所用で外出したりそもそも外を回る仕事では、“弟子”もそれに付いてゆき、現地でも雑用や下働きなどをこなす。
付き人の仕事については職種によって大きく異なるが、仕事中の一般的な業務補助から私的な小間使いや雑用、移動時の自動車の運転手、ごく簡単なレベルの身辺警護、自宅に住み込んでの身の回りの世話など多岐にわたる。
●師弟(してい)とは、師匠(ししょう)と弟子(でし)のことを指す。
●部屋子(へやご)
https://ja.wikipedia.org/wiki/部屋子
1.部屋住み。親がかりの人。子供が自立できないで親に養われながら親元で暮らしている状態を指す。
2.江戸時代、大奥や大名屋敷などの御殿の奥女中に仕えた召使い。部屋方。
3.武家屋敷の奉公人の部屋にいる居候。
部屋子(へやご)は、日本の伝統芸能において師匠の楽屋に入り必要なことを学ぶ見習いの立場、またその制度。歌舞伎の場合は、子役の時分から幹部俳優の楽屋にあずけられ、鏡台を並べて楽屋での行儀から舞台での芸など、役者として必要なことを仕込まれる立場を指す語である[3][4]。
さらに養子となり本来世襲される家の芸を継がせる場合には芸養子と呼ばれる。
現代における部屋子の代表的な例として、三代目市川猿之助(現・猿翁)の部屋子として頭角を現し、関西の大名跡を継ぐに至った三代目市川右團次や市川弘太郎といった澤瀉屋の門人。一般家庭から十三代目片岡仁左衛門の部屋子となり、その後二代目片岡秀太郎の養子となった六代目片岡愛之助などが挙げられる。近年では、子役タレント事務所から歌舞伎公演出演を経たのちに特定の幹部俳優に入門して部屋子となるケースが増加している
●破門(はもん)は
1.仏教において、僧が所属する教団や宗派から追放されること。僧として受ける最も重い罰とされる。波羅夷(はらい)にあたる。大乗仏教ではあまり聞かず、上座部仏教ではさかんに行使された。
2.キリスト教の一部教派およびユダヤ教において、異端的信仰をもつ信者になされる措置である教会戒規のひとつ。いわゆる中世暗黒時代には、さかんに行われた。
3.芸道や武道の世界で、弟子が師匠、宗家、家元などによってその流派を追放されること。仏教の破門からの転用。
4.ヤクザ世界において、組の構成員がその組織から追放となる処分の一種。
各業界においてもこのような役割の人々が存在する。
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