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『三行半(みくだりはん)』の意味  離縁状(りえんじょう)

2019年10月21日 13時22分57秒 | 文化

『三行半(みくだりはん)』の意味  離縁状(りえんじょう)
●日本語俗語辞書
『三行半(みくだりはん)』の意味
http://zokugo-dict.com/32mi/mikudarihan.htm
三行半とは、夫婦や恋人の関係を絶つこと。
【年代】 江戸時代~
『三行半』の解説
三行半とは夫婦の縁を絶つという意味で使われるが、もともとは離縁の際、夫が妻の家族に出した離別状のことである。
この離別状には離婚を決めたという宣言と、妻の再婚許可が3行半にまとめられていたことから三行半と呼ばれた。
夫婦連名による離婚届になってからも、離婚することを意味して三行半という言葉だけが残った。
なお、三行半といった場合、どちらか一方が愛想をつかすなど一方的な離縁に使われる。後に恋人関係でも使われるようになり、離縁まではしなくても、愛想をつかしたという意思表示程度でも「三行半をつきつけた」といわれるようになる。



●離縁状 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/離縁状
離縁状(りえんじょう)とは、江戸時代に庶民が離婚する際、妻から夫、夫から妻(または妻の父兄)に宛てて交付する、離婚を確認する文書である。
公事方御定書では離別状と称した。あるいは去状(さりじょう)、暇状(いとまじょう)とも呼ばれた。また、文書の内容を3行半で書く慣習があったため、俗に三行り半(みくだりはん。三行半、三下り半。)とも言う。
現代の離婚届が夫婦連名で国に対して行う確認的届出の文書であるのと異なり、離縁状は夫の単独行為である離縁を証する文書である。
女性の労働力によって支えられている養蚕や製糸・織物業が主体となっている地域では離婚後も女性の収入源が確保されているため、離縁状は養蚕地帯において多く残されていることが指摘されている。

●江戸時代の離婚制度
離縁状を夫や妻(または妻の父兄)に交付することで離婚は成立する。妻が離婚を望んでいるにもかかわらず離縁状を書かないのは夫の恥とされ、また、夫が離縁状を書いても親類や媒酌人(仲人)が預かることも多かった。さらに、夫からの勝手な一方的離婚の場合には相当量の金銭を妻に持たせてあげることもあった。このように、必ずしも夫が好き勝手に易々と離婚できる制度ではなかったとされる。
公事方御定書の規定によれば、離別状を受領せずに再婚した妻は髪を剃って親元へ帰され、また、離別状を交付せずに再婚した夫は所払(ところばらい。追放。)の刑に処された。

当時は字が書けない人もいたがその場合は3本の線とその半分の長さの線を1本書くことにより、離縁状の文言を書いた取扱がされていた。
3行半の文面にはいくつか種類があるが、多くは前段で離婚文言を述べ、後段で再婚許可文言を述べる(帝大教授・穂積重遠の研究による)。

   離別一札の事
一、今般双方勝手合を以及離
  縁 然ル上者其元儀 何方縁組
  いたし候共 私方に二心無
  依之離別一札如件

亥十一月廿四日    長吉

      おせいとの

読み下し:離別一札のこと。一つ、今般双方勝手合を以て離縁に及び、然る上は其の元儀、何方に縁組み致し候とも、私方に二心無く、これにより離別一札くだんの如し。亥十一月二十四日。長吉。おせい殿。

意訳:離別状。この度、双方協議の上、離縁いたします。したがって、今後あなたが誰と縁組みしようとも、私に異議はなく、翻意することもありません。以上、本状を以て離別状と致します。亥年11月24日。長吉。おせい殿。

●三行半
http://www.union-net.or.jp/cu-cap/mikudarihan.htm
江戸時代、妻の側から離縁(離婚)するには、縁切寺に駆け込み、その理由を吟味してもらい夫に離縁状を出すように請求するとか、妻の衣類を夫が同意なしに質入れしたら妻の父が離婚させるという具合。妻が直接的に離縁を申し出るということが原則として出来ず、夫の離縁状、通称「三行半(みくだりはん)」によって離婚が成立、とされていた。
三行半というのは、文字通り離縁状が3行半で書かれる事が多かったからついた呼び方。その内容は場合によって違うが、一般的には離縁する旨、離縁の理由、再婚の許可を簡潔に書いたもの。
もちろん、延々と何十行にもわたる離縁状が無かったというわけではないが。
3行半で書く理由ははっきりしていない。江戸時代の契約書や、結婚する時に妻の実家に出す「娘をもらいうける旨」の文章が7行だったため、離婚時にはそれが半分に分かれるという意味で3行半にした、などと言われている。

●三行半 みくだりはん (一般)
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BB%B0%B9%D4%C8%BE
夫婦
江戸時代に書かれた夫が妻に渡す離縁状には、離婚の宣言と妻への再婚の許可が3行半で記され、「三行半」と呼ばれたことに由来する。当時は「離婚」を表す言葉であったが、現代では、男女の関係のみならず一方的な離縁の宣言や愛想を尽かした状態を言い表すことも多い。

用例
「三行半をつきつける」

●三行半 みくだりはん
http://kotobaknow.com/mikudarihan
目次
1 基礎
1.1 意味
1.2 正しく使うには
1.3 言葉の由来
2 使い方・例文
2.1 三行半を突きつける側
2.2 三行半を突きつけられる側

意味
夫婦や恋人の仲を絶つことを言います。
または、その文言や書面のことを指します。

言葉の由来
江戸時代に、夫が妻の家族宛に出す離縁状が
3行半で書かれていたことから来ています。
その内容は、離婚を決めたということと、妻の再婚を許可するというものでした。
ちなみに、妻から夫への離縁は認められていませんでした。


いずれにせよ、円満な離婚や別れと言った意味合いは含まれてはおらず、
絶縁の啖呵やメール等の文章、と言った怒りや憎しみのこもった言葉なので、
この言葉が出るということは、少なからず2人の間には波乱があったのだな、という風に
察することができます。


現代では、むしろ女性から男性を絶縁する時の言葉となっている節がありますが
元は男性から女性への離縁状を表す言葉でした。



●「三行半(みくだりはん)」
「お前となんか別れてやるー!」人がそう絶叫するときを、俗に三行半を突きつける、と申します。

1行目は、離婚します! という宣言。2行目は、どうして別れるのか。残りの3行目と半分で、別れたら何をしようと口出ししません再婚してもオッケーです、と許可を出していたのですね。

基本的に妻のほうから離婚を切り出すことは出来ません。しかし、実家や仲人のほうから書け、といわれたり、縁切り寺(鎌倉の東慶寺なんかが有名です)に駆け込んだ女房からそうしたいと告げられた場合、三行半を書くのが常識でした。

なにげ、お江戸は女性上位の世界でした。オンナの数が、少なかったからね。初期の江戸は庶民の全人口の2/3~3/4が男。それに単身赴任の地方大名の家来衆(とーぜんほとんど男)が加わって、江戸はものすごい男性社会でした。おまけに荒っぽい新興都市ですから、人の気が強く、もちろん女性たちもはっきりものを言い、文句言われれば言い返す、たくましい人たちだったわけです。働いてる女性もたくさんいたし。

ともあれ、離婚したら再婚する可能性はほぼゼロに近かったそうです。ですから、男にとって、女房に逃げられるというのは、大変な恥でした。逆に結婚していた女性は、経験豊富ということで、再婚の口に困ることはほとんどありませんでした。


●三行半(離縁状1-2 解説) - 古文書ネット
https://komonjyo.net › rienjyou02
史料. 三行半(離縁状). ※無断転載禁止
解読文
因縁薄によつて今 離別候、自今以後 再縁・改嫁随意たる へき事
和十郎㊞/天保五年 甲午七月/たみ江
読み下し文
因縁薄(いんねんぱく)によって今、離別候、自今(じこん)以後、再縁・改嫁(かいか)随意たるへきこと
和十郎㊞/天保五年甲午七月/たみへ
読み下し文
因縁薄(いんねんぱく)によって今、離別候、自今(じこん)以後、再縁・改嫁(かいか)随意たるへきこと
和十郎㊞/天保五年甲午七月/たみへ
現代語訳
縁が薄かったことにより今、離別します。このあと再婚等、思いのままにどうぞ。和十郎より/天保五年甲午年(1829・江戸後期)七月/たみへ



●三行半(離縁状1-2 解説) - 古文書ネット
https://komonjyo.net › rienjyou02
史料. 三行半(離縁状). ※無断転載禁止.
離縁状の書式.
往来物(江戸時代の教科書)の中には、下記のように離縁状の書式を収録しているものがあり、離縁状の多くは実際、これらを参考にして書かれました。
りゑん状.
一、其方我等(われら)勝手(かつて)二付、
此度離縁(りえん)致候、然ル上ハ、向
後(こうご)何方(いづかた)江、縁付(えんつき)候共、差構(さしかまへ)
無之(これなく)、仍(よつて)如件

 誰
たれどの
出典:高木 侃『三くだり半からはじめる古文書入門 』(柏書房、2011年)142項


●三行半の意味や由来とは?江戸時代の結婚・離婚について | 歴史 ...
http://zatugaku1128.com/mikudarihan/
2017/02/01
「三行半を突き付けられた」
夫婦の離縁などの際に、一方がもう一方に愛想を尽かしたとして使われる慣用表現ですね。時代劇などでは夫婦喧嘩のもつれから夫が妻に「三行半を突きつける」という場面がたまにあります。
この「三行半」とは一体どういう意味が込められているのでしょうか?
普通に生活していれば「三行半」とは縁がないのがほとんどです。なので、あえてこの言葉の意味を知らなくとも暮らしていけるとは思いますが、気になったので調べてお伝えしていきたいと思います。
目次
三行半の意味や由来とは
三下り半を一方的に突きつけることはできない


●江戸時代の離縁状「三行半」について。文字の書けない者は三本半 ...
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000171262
2015/04/20
江戸時代の離縁状「三行半」について。文字の書けない者は三本半の線をひいて押印するだけでよかったらしい。その現物が掲載された資料はあるか? 回答 (Answer). 該当なし。 相模原国鎌倉郡では、『三本半の縦線を書いて爪印を押す』だけでもよいとする慣行があったとされる(「全国民事慣例類集」司法省 明治13年より)。
しかし、研究者の間でも三本半の線がひかれた離縁状の実物は確認されていないようだ。

【参考資料】
「三くだり半 江戸の離婚と女性たち」高木侃∥著 平凡社 1999年 194、254頁
「三くだり半と縁切寺」高木侃∥著 講談社 1992年 64頁
「江戸の離婚」石井良助∥著 明石書店 1991年 82頁


●「子供いない」理由に三行半 異例の理由記載 江戸時代の離縁状、群馬で発見 
https://www.sankei.com/life/news/170129/lif1701290011-n1.html
子供がいないことを理由にした離縁状(群馬県立文書館提供)
https://www.sankei.com/life/photos/170129/lif1701290011-p1.html
 江戸時代、子供がいないことを理由に夫が妻に渡した「三行半(みくだりはん)」(離縁状)が、三行半研究の第一人者の群馬県太田市立縁切寺満徳寺資料館名誉館長、高木侃(ただし)さん(75)の調査で初めて見つかった。三行半は離縁理由を記載しない例が多く、高木さんは「極めて貴重な史料だ」と驚いている。

 この三行半は安政5(1858)年7月、道之助がおげんに宛てたもの。文中「未ダ一子もこれなく(中略)今般利(離)縁致候」と記載されている。

 高木さんの研究によると、江戸時代の離縁状は離縁する理由を書いていないものが最も多く、次いで、現代の一身上の都合に当たる「我等勝手」など抽象的表現にとどまっているのが一般的。親権の所在が記載されているケースはまれにあるという。

 この三行半は高木さんが調査中に太田市内の旧家で偶然見つけたもので、群馬県立文書館(前橋市)に寄託された。

 高木さんはこれまで、約1300通の三行半を調査している。

 「夫がよほど、子供を欲しかったのかもしれない」と話している。
 
 
●江戸の離婚「三行半」に関する大きな誤解【江戸03】|荒川和久@「ソロエコノミーの襲来」著者
https://comemo.nikkei.com/n/nea2d3eb18165
2018/07/06
今でも多くの人が勘違いしていますが、町人も農民も有配偶率は50%程度で生涯結婚しない未婚者も多かった。一方で、結婚した人は、何度も離婚と再婚を繰り返し、生涯添い遂げるなんていう概念は日本人にはそもそもなかったのです。
「三行半(みくだりはん)」という言葉があります。

離縁状の俗称で、正式には離別状、あるいは去状(さりじょう)、暇状(いとまじょう)などと言っていました。

また、三行半の機能についても誤解があります。「離縁状」という単一機能ではありません。離縁状でもありながら、実は重要なのは「再婚許可証」としての機能でした。

江戸時代、重婚は重罪です。だからこそ、再婚したいのであれば、その証拠がないとできないのです。夫から妻に出すのが「三行半」で、その離縁状を受けて「返し一礼」なるものを妻から提出。元夫婦ともこれでお互いに再婚許可証を手にすることができ、これにてめでたく?二人の離婚が成立ということです。
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すこしずつ違う説があり諸説あるようです。

信長からの起源とは面白いですね。

「娘をもらいうける旨」の文章が7行だったため、離婚時にはそれが半分に分かれるという意味で3行半にしたなんてのは洒落のようで日本人を表している。

もう一つ 識字率の関係で文字の代わりに三本と半分の縦棒を引き渡したとされる説にも日本人らしさが伺えるのでは。


こんなことにも遊び心が満載なようで調べていてほくそ笑んでしまった。
私も離婚経験者だから笑っているような不謹慎では行けないね。


生活を豊かにしていたように思えるけどみなさんはどうですか。

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