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環島

2024-08-13 18:11:01 | 臺灣

環島

初めての仕事が始まり、忙しい毎日。

そんな中、「かつて留学でお世話になった土地をもう少し探索したい。」という思いを掬い上げる。

計画は不十分。

荷造りも半端。

でも行きたい。挑戦したい。自転車による「環島」の旅。

 

Day0

8/1(木) 0日目準備

自転車は現地でレンタル。

「MathewBike」さん。装備一式を拝借。有難い。

計画は、下記URLのガイドブックを参考にした。

 

http://211.79.207.171/ebook/A10008711.pdf

 

https://jp.taiwan.net.tw/att/files/自行車手冊-單車騎士夢想國境-日文_2.pdf

 

Day1

8/2(金) 1日目台北〜新竹

出発。三峽を経て大溪へ。大溪老街「乾麵居」でお昼ご飯。乾麵と魯肉飯でエネルギー補給。

初日の問題は2つ。暑さと自転車慣れ。8月の台湾、あまりの暑さに頭痛がした。木陰や冷気のあるお店で休憩しながらゆっくり進んだ。保冷水筒も購入。冷水を飲むだけでなく、頭から流した。また、自転車慣れ不足で思うように進めなかった。

新竹の宿「The Lane Backpackers」。ぐっすり眠る。

 

Day2

8/3(土) 2日目新竹〜台中

☆新竹駅

海沿いの道。自転車専用道路があった。木々に囲まれ、木陰の中を進み、体温の上昇を抑えることができた。後龍鎮「台灣越南美食」でお昼ご飯。排骨の旨味が胃に染みる。

2日目の問題は、臀部の痛みと左折。臀部の痛みは、長時間運転により生じる。サドルパッドで痛みを和らげる。自転車による左折は危険。2段階左折をするよう注意。

台中の宿「逢甲旅人inn」。逢甲夜市のすぐ近く。

☆台中近くの田んぼ

 

Day3

8/4(日) 3日目台中〜嘉義

☆鳥日警察官吏派出所

道は平坦。北斗鎮「范氏肉圓」でいただいた肉圓がとても美味しかった。その他、濁水溪を渡ったことぐらいしか覚えていない。疲れていたのだろう。

腹減る前に食べる!喉渇く前に飲む!

嘉義の宿「Little House」。嘉義といえば雞肉飯!

 

Day4

8/5(月) 4日目嘉義〜高雄

☆五妃廟

この日の道のりは長かった。台南「五妃廟」へ。「國榮肉燥飯」でお昼ご飯。虱目魚肚汁は美味しい。

高雄の宿、「D'well Hostel」。オーナー(?)が日本語を話してくれて嬉しかった。こちらも全力で拙い中国語を話した。

 

Day5

8/6(火) 5日目高雄〜車城

この日は今まで1番楽だった。ただ、大雨に遭った。屏東縣佳冬鄉「日月牛肉麵」でお昼ご飯。ここの牛肉麺は目が覚めるほど美味しかった。雨が強く、お寺に逃げ込むと、管理人さんに声をかけていただいた。ここで一泊できるよと。また飲み物までいただいた。本当に感謝しかない。私もこの方のように他人に親切にできる大人になりたいと思った。

5日目の問題は雨と犬。急な土砂降りは通り雨の可能性があるので、焦らず待つのが大事。もう一つの犬とは。車城までの海沿いの道を走行中、道路脇の家?から犬に吠えられる。よくあることと思っていたら、その犬がものすごい勢いで追いかけてきた。反射的に逃げようとして少し車道にはみ出してしまった。もし車が来ていたら危険であった。対策は思いつかない。逃げるから追いかけてくるのであって、逆に止まればいいのか、そうすれば噛まれるかもしれない。

車城に到着、「南北飯店」の虱目魚ご飯は素晴らしい味わい。

☆南北飯店、虱目魚ご飯

車城の宿「車城背包客棧」。この日になってやっと自転車慣れを実感した。

 

Day6

8/7(水) 6日目車城〜台東

今日は大変な日になるだろう。台湾を西から東へ、峠を越える。

台湾の西側は平地でこれまで登坂をしてこなかった。気合を入れて。

峠越えの場所はちょうど「牡丹」と呼ばれていた。「牡丹社事件」は聞き覚えがある。ここらの集落の人々は「加油!」と声をかけてくれた。峠越えに苦心するこちらの気持ちが見え透いているようだ。

しかし、本番は登坂の後、東海岸沿い台東までの道であった。地味なアップダウンの繰り返し。崖と海の間の道路。自分の走っている道路が遥か遠くまで続いているように見える。これが心理的ダメージとなる。

この日の課題は登坂。ギアチェンジは無論他にコツなどあるのか。

それでもなんとか台東着。「光明頂蚵仔煎」で炒麺と豚肝湯をいただく。豚肝厚く多く。

この日の宿は「履舍民宿Footinn」。おやすみなさい。

 

Day7

8/8(木) 7日目台東〜玉里

この日も余裕があった。花東縦谷と呼ばれる山間の谷の平野を走る。車城を訪れた時からずっと午後は通り雨の日が続く。

「星馬茶餐廳」は東南アジア料理のお店。迷いに迷って、肉骨茶飯(バクテー飯)をいただく。これがまた美味しい。

☆星馬茶餐廳、肉骨茶飯(バクテー飯)

「910Hostel」で素敵な出会い。部屋は韓国、台湾、イングランド、日本と国際色豊か。熱く語り合って、新しいアイデアを吸収した。

 

Day8

8/9(金) 8日目玉里〜羅東

この日の朝ごはんは最高であった。玉里の朝ごはん屋さん「美一天早餐店」の気さくな店員さん。

楽しい会話とともにサービスをいっぱいしてもらった。朝良いスタートを切れたのでこの日は本当に調子が良かった。ありがとうございます、また来ます。

この日も犬に追いかけられる。勘弁してくれ。前回の反省を生かして、道路状況を確認してから逃走した。今振り返ると本当に確認できてたか疑わしいが。

一気に花蓮まで行きそこから羅東まで電車に乗る。花蓮からの道は危険らしい。動画で見たトンネルの道はとても狭そうだった。

電車にそのまま自転車を持ち込めるのは新鮮。自転車分の切符を買えば、後は躊躇うことは無い。

「知足豚脚」で晩御飯。豚足はやっぱり美味しい。

この日の宿、「天河行旅」。近未来的なデザインのカプセルホテル。気分は宇宙旅行だ。

 

Day9

8/10(土) 9日目羅東〜台北

最終日。一気に台北へ。この日も登坂が多く大変であった。途中、補給にしくじる。ここでご飯を食べたいんだ!という執着心を時には捨てなければならない。道中、十份瀑布に寄ることができた。

☆十份瀑布

雨に打たれながらの台北ゴール。ところが、この日最大の事件が発生、宿がない。台北の宿がなく、あっても2万円以上。ネットカフェも満席。野宿の覚悟を決めつつあったその時、宿サイトに現れた希望の光「日初青旅」。速攻予約。最終日もなんとか安眠できそうだ。ありがとうございます。

 

(^^)まとめ

あっという間の9日間。点の旅ではなく、線の旅。でも目指すは点と線の旅。もう少し心に余裕を持って、寄り道をしたかった。
無事で何より、お疲れ様でした。

 

\(^o^)/おまけ\(^o^)/

台北の建築

☆西門紅楼

 

☆納豆劇場

 

☆迪化街の一角

 

☆台北市立美術館

 

☆監察院

 

☆林安泰古厝

 

☆台北北門郵便局

 

☆北門

 

☆国立台湾博物館鉄道部園区

 

〜完〜


臺灣探索~一府~

2023-10-10 15:33:02 | 臺灣

 一府二鹿三艋舺。

清代に栄えた台湾の街をこう呼ぶ。

They are cities which flourished in Qing dynasty.

「高鐵」に乗って台南へ。

I went to Tainan by 高鐵。

高鐵台南駅から台南の中心街へは、無料バスがあるから便利だ。

It was convenient to go central Tainan city from Tainan Station by free shuttle bus.

安平古堡(熱蘭遮城、Fort Zeelandia)へ。

I went to Fort Zeelandia.

「Zeelandia」とは「海と陸の間」という意味。かつてこの地は半島であった。

Zeelandia means it is between sea and land. In those days, this place was a peninsula.

1624年、オランダ東インド会社が東アジアに進出し、この台南の地に拠点を置いた。

In 1624, Verenigde Oost-Indische Compagnie(VOC) set its home in this place.

鄭成功に会う。彼がオランダ東インド会社を追い払うのである。

I met Koxinga. He drove away VOC.

鄭成功は長崎平戸の生まれである。

Koxinga was born in Hirado.

少し歩く。

I walked a little.

やはり感動するのである。

I was definitely impressed with old castle remains.

Gate of Xie-Die

説明書の通り、春秋時代の鄭国の門に由来すると。場所は小さく野望は大きく。

Koxinga named it. The place is small, but the ambitions are great.

模様?

Patterns?

少し気になったので。

I was interested in a stele.

安平にて、英国船の砲撃により、軍の施設が破壊され、海軍副司令官が自殺をしてしまった。

British gunboats shelled the military bureau in Anping, and the deputy head of the navy committed suicide.

その後、次の海軍副司令官が碑を建てたということだと思われる。

After that, the latter deputy head of the navy erected this stele.

砲撃の原因は樟脳の密輸をしていたイギリス人が捕まったこと?かな。

The cause of the attack was that British who smuggle camphor were seized.

こちらは赤崁楼、普羅民遮城、プロヴィンシャ城。

This is Fort Provintia.

こちらもオランダ政府によって築かれた。地震で壊されたのち清朝政府が再建している。

This castle was also built by Netherlands. It had been broken because of earthquake, but Qing rebuilt it. 

現在は陸続きになっているが、17世紀の地図を見るとゼーランジャ城が半島上にあり、海を挟んでプロヴィンシャ城がある。

We can go bwtween these two castles by land. However, in 17th century there is sea between them.

地図を描いたが下手すぎたので載せるのはやめた。調べてみてほしい。

I drew the bad map, so I gave up uploading. Please check it, if you have interest.

ではまた!

See you again!