わんこ問題 愛犬の身になって考えてみよう

間違った風説風評で愛犬たちが泣いています。白衣を着た妖怪の治療でも被害を受けています。ご自分の頭で考えてみましょう。

成人の犬恐怖症は完治困難な精神疾患の一種! 子供は高校を卒業する前に治すことが肝要だ

2013-05-20 08:29:30 | ペット
 犬恐怖症は精神的な病気の一種だ。飛行機に乗れない強度の高所恐怖症、電車やエレベータに乗れない強度の閉所恐怖症と同じ心の病だ。人を怖がる対人恐怖症も同じ系統の病気だ。重度になると、自宅に閉じこもって外出を極端に嫌うような引きこもりになる。
これらの恐怖症は社会適応性を低下させる病気だ。その中でも犬恐怖症の人の数は圧倒的に多いと見ている。

 太古の昔、人は強い動物から、逃げ回っていたので、人の遺伝子のDNAには動物恐怖症の因子が組み込まれている。
現在の人は2~3才の時に62%の人が犬を、56%の人がヘビを怖がるようだ。 一般に9~18才までには、その犬恐怖症は減少し普通になる。
しかし、その犬恐怖症の遺伝子の減少期に、つまり、成人になる前に、犬とのトラブルがあると、ショックを受け、それがトラウマ(心の傷)となり、いわゆるPTSD(心的外傷後ストレス障害)になる。

 そのような心の病を治す治療法は一つしかない。
その怖いものにできるだけ多く接することだ。怖いものから逃げ回っていては決して治らない。生涯逃げ回ることになる。
その治療法を専門家は暴露療法という。患者をその怖がるものに徐々にさらして慣らすのだ。その詳細は犬恐怖症の人への配慮とその治し方に記述した。暴露療法以外に良い治療法はない。
怖いものから逃げ回って成人になると、もはや完治はできない強度の恐怖症になる。

 我が家の近隣に軽度の犬恐怖症の子供たちがいる。男児二人、女児二人だ。その子供たちの中には、愛犬のパロが遊ぼうよと近寄ると立ち止まって動かなくなる子供もいる。飼い主がパロを呼び寄せると、安心したように無言で去っていく。
 
 その他に、強度の犬恐怖症の中年女性が一人いる。3年ほど前にまだ新しい中古の戸建住宅を購入して移ってきた人だ。その女性は、おとなしい小犬を見ただけでおどおどして道を通りすぎることができない。引き返す。
 小犬が道端にマーキングのおしっこをするのを見ただけで大きな奇声を出して大騒ぎする。今回の随想を書く切っ掛けになった。

 マーキングは犬の習性だ。つまり、オオカミから受け継いだ本能だ。その習性を止めさせろというのは住宅街では犬を飼うなということと同じだ。地球は人間のためだけのものだ盲信している傲慢な偏屈者の考えと同じだ。動物との共存共栄が大切だ。

 
 今回の随想は、その4人の子供たちの将来の幸せのために書く。日本全国には軽度の犬恐怖症の子供たちが何十万人もいるだろう。この随想が楽しい人生を享受する一助ともなれば幸いだ。

 結論を先に書く。
軽度の犬恐怖症の子供は、成人する前に、つまり、高校を卒業する前に、犬恐怖症を完全に治しておいたほうが良い。成人後では完治できないからだ。
 現状のように、犬に対する恐怖心が心の奥にある状態で、犬に吠えられたり、最悪の場合、噛まれたら、その恐怖心が膨張して、強度の犬恐怖症になるおそれがある。

 おとなしい犬に接する機会を増やして、犬は怖い動物ではないと心で思うことが大切だ。つまり、理性で判断するのではなく、感覚的に判断できるように日ごろから心がけることが大切だ。犬は怖くない動物だと心の奥で思うことだ。つまり、犬に慣れることだ。
 犬を撫でまわしてかわいがる必要はないが、犬を見ても無意識に無視できるほどの心のゆとりが大切だ。

 両親の犬に対する考えもその子供に大きな影響を与える。親が犬を怖がったり、蔑視したりするようでは、その子供が犬を怖がったり、蔑視するのは当たり前だ。

 犬には重病の老人を元気づける力さえある。セラピー犬は老人介護ホームなどを訪問して重宝されている。特別な犬ではない。ただ、おとなしく、人懐こい犬だ。それだけの犬なのに、犬好きな老人だと、犬を見たり、撫でたりするだけで、元気になる。病気も回復する。
 一方、犬嫌いの老人だと、犬を見るだけで、心が委縮して元気が無くなり、病気も良くならないだろう。

 人と犬とは何万年の長い共生の歴史がある。犬がいるというだけで人々は心を癒され、楽しく暮らしてきた。特に、現在は、使役犬として飼われている犬の数よりも、心を癒す愛玩犬として飼われている犬の数のほうが圧倒的に多い。
 特にパピヨンは、使役犬としての歴史はなく、人の心を癒す愛玩犬として重宝されてきた。
欧州の宮廷の愛玩犬としての何百年の歴史がある犬種だ。フランス革命で断頭台の露と消えたマリー・アントワネット王妃はパピヨンの愛好者だったとのこと。
パピヨンは容姿が端麗の上に人懐こく、頭が良いのでしつけもしやすい。パピヨンとはフランス語で蝶の意味だ。その耳が蝶に似ている。

 犬恐怖症も含め、いろんな恐怖症の原因は、その人の生まれ育ちに原因がある。
一言でいうと、その親に原因がある。つまり、遺伝子のDNAの問題と育った環境の問題だ。子供の育て方に問題があるということだ。
 
 人は皆、生まれながらに動物恐怖症の遺伝子を受け継いで生まれてくる。人によって、その強弱に差があるだけだ。動物恐怖症の強い遺伝子を受け継いだ子供は、その育て方に注意を払わないと、犬恐怖症になる。

 私は恐怖症だ。 
山が好きで、関東の山々を200回以上も愛犬と一緒に高山登山を楽しんだが、野山で蛇を見ると、ドッギとして足が止まる。怖い。瞬時に毒蛇かどうかを判断する。頭が三角形の蛇は毒蛇(マムシ)だ。頭が細く楕円形の蛇は毒を持ってない。青大将だ。画像参照。
毒蛇でなくても、怖いというか、不快な気持ちは長く心に残る。
ただし、私の蛇恐怖症の原因は蛇にあるとは思ってない。蛇には何の責任もない。

 一度、登山道に生まれて間もないような数センチほどの赤い蛇を見つけた。
蛇もびっくりしたらしく、鎌首をもたげてこちらを見ている。逃げようとはしない。他の登山者に踏み殺されてはかわいそうだと思い、登山用のステッキの先でお尻の部分を軽く突いて、藪の中に追いやった。成長して立派な蛇になってくれるとよいと思った。

 私は、ゴキブリよりもナメクジのほうが気持ちが悪い。
ゴキブリは、人類誕生以前から、あの姿で生き延びてきた昆虫だ。一種の生きた化石だ。人類が滅亡しても、ゴキブリは地球上に生き延びているだろうと思っている。つまり、その生命力には敬意の念さえ持っている。

 その私も幼児期には大のゴキブリ嫌いだったようだ。あまりにもゴキブリを怖がるので、父がゴキブリを捕まえて、生きたまま糸に結んで、ゴキブリは怖くないと私を訓練したようだ。記憶にはないが、ほんとのことのようだ。訓練を受けた幼児は相当嫌がっただろう。

 親とは、現在、子供が嫌がることを避けるのではなく、常に子供の将来を考えて、子供を育てることが大切だ。父の死後年十年も経て、ゴキブリ慣らしのことを知った。

 大の男の中にも犬恐怖症の人がいる。
拙宅前を通行中の中年男性が大声を上げて一人で騒いでいる。振り向くと、愛犬のパピヨンは無言でその男のそばで遊んでいた。その男が一人で大騒ぎしている。一人相撲ならぬ一人騒ぎだ。実にみっともない。大の男のすることではない。
大声で小犬を追い払おうとするだけでなく、しまいには足で小犬を蹴飛ばそうとした。
その愚行を見て、「バカ~」と大声でどなりつけたら、逃げるように足早に去って行った。

 その当日は、その男が犬恐怖症だとは思わなかった。
その手には数十センチほどの棒を持っていたので、意地悪な偏屈者だろうくらいに思っていた。

 良く考えると、その男は強度の犬恐怖症だろう。棒を持ち歩いているのは、犬から自分を守るためだ。それほど犬が怖いのだ。
「バカ~」と怒鳴るのではなく、愛犬のパピヨンを直ちに呼び戻すべきだったと反省した。

 ここで言いたいことは、犬恐怖症の人にとっては、理屈抜きに犬はほんとに怖いのだ。理性ではどうすることもできない。感情的に感覚的に怖いものは怖いのだ。
 幽霊は怖いと信じ込んでいる子供に、幽霊はいない、怖くないと言っても、何の意味も効果もないことと同じだ。
 だから、その男に、外出時に棒を持ち歩くのはみっともないから止めたほうが良いと言っても受け入れないだろう。棒を持たないと安心して散歩もできない。
 そのような強度の犬恐怖症になると、その病気を治せる方法はない。生涯、小犬にさえおびえて生活せざるを得ない。
その中年男性のように、何時も棒を持ち歩くなどの異常な生活行動をせざるを得なくなる。

 犬恐怖症の責任はすべての犬にあるわけではない。責任のないものに責任をとれというのは理不尽だ。不合理だ。
動物恐怖症の原因は、その動物にあるのではなく、人間側にある。
犬恐怖症は、その人の遺伝子とその人の育ちに起因している。
そのことを理解しないで、犬を悪者にしている日本社会や、犬に関する正しい教育をしてない親にその責任がある。

 その悪い一例をあげる。
公園でのノーリード禁止だ。法律にも条例にもすべての犬のノーリードを禁止する規定はない。条例に他人に危害を加えるおそれのある犬の禁止規定があるだけだ。
だから、警察は犬のノーリードは取り締まりの対象にしてない。愛犬のパロの写真集を見ればわかる。

 公園管理の小役人は法律条例に無知蒙昧なので、ノーリードは法律で禁止されていると思い込んでいる。愚劣だ。詳細は公園犬ノーリード禁止は条例の曲解だねにある。
 小役人は何でも禁止して自分を偉く見せようとする自己顕示欲が強すぎる。コンプライアンス(法令順守)の意識も欠如している。小役人根性のなせる業だ。

 国際的にも日本の犬の文化は後進国だ。犬の文化先進国はノーリード(off lead)が基本だ。
日本の公園管理の小役人は、ノーリード禁止で子供たちが犬に接する機会を減らし、それが日本に犬恐怖症が多い原因の一つになっていることを理解してない。
小役人は、「犬嫌いな人もいるから、ノーリード禁止だ」と言っているが、逆効果だ。
即ち、犬恐怖症の責任は地方自治体の小役人にもある。
 


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