人村です!

舞台と結婚したと公言する「人村朱美」が綴る舞台生活 毎週火曜日更新・・・したいなぁ

花粉症再発

2018年03月13日 | 東京
 帰省で一旦完治したのに、ここ数年ささやかながら再発傾向にあった魔の花粉症が、今日の爆発的陽気で目を直撃。
 外出から帰宅した私の両眼は真っ赤で、下まぶたに圧迫されて細くなってしまった。

 きな臭い歴史が繰り返すように、花粉症もまた繰り返すらしい。

 田舎もどんどん都会化して複合的に環境は悪化している。
 金になるならと自然を破壊し続けてきた人間への、意志ある復讐のように感じてしまうのは私だけか?

 夜にも花粉は飛ぶらしいし、カテキン効果はお茶の質に大きく左右されるから、緑茶を毎日飲んでいても当てには出来ない。

 税申告がスムーズに終わり、僅かながら返ってくる源泉分を当てにして 今夜はズボ蟹でも食べるか
なんて思っていたが、鏡に映る“お岩さん”が「やめとくれ~、外出は一日一度でたくさん!」と言っている。

 4月8日の京都ライヴまでには治まってくれ!!!と祈るばかりだ。


 <開花を待つ我が家の桜 この時間この方角から俯瞰するのが好きだ>

 
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冬よ来い

2017年10月03日 | 東京
 本日午前中、意外な蒸し暑さに思わず薄着で出かけた。
 小ぬか雨の中をチャリで出かけて、途中からザーザーぶりになり、ずぶぬれで2時間後に帰宅。

 寒気がして、正午過ぎに帰宅し倒れ込むように14時まで眠った。

 夕方晴れる事はわかっていたのに何故無理して出かけたか?
 忘れ物の大事な書類を取りに行ったのだ。

 夕べ寝る直前に「無い?」とわかり、何處へ忘れたか考えてなかなか寝付けなかった。
 で、今朝起き抜けに「 あそこに違いない 」と当たりをつけて電話したら、ビンゴー。

 こんなことを何度も繰り返している自分が情けない。

 あー、早くスッキリ冷たい冬よ来たれ!
 頭寒足熱の季節が私を癒し、鍛えてくれる。

<庭で見つけた美味しそうなベリー?猛毒のイヌホウズキと分かりガッカリ>

 
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三寒四温

2017年04月01日 | 東京
 あわただしく母の十七回忌を終えた明くる日、風邪か花粉症か判然としない体調のまま上京。
 最初は長兄宅に泊まるはずが兄のインフル感染で、急きょ友人宅へ。
 持つべきは友、快く「お帰りなさ~い」とご夫婦で歓待してくれた。

 南青山291での夏のライヴ打ち合わせを無事追え、会場近くのホテル予約まで万端済ませた。
 あとは中身だけ(冷汗)

 世田谷区立平和資料館の企画展へ足を延ばした。
 会期中に予定されている上澤氏による「太平洋戦争で海に沈んだ民間船と海員たち」の講演には来られないので、展示だけでもと思ったのだ。

 上澤氏とは昨年夏の敦賀人会で知り合った。
 戦死なさったお父様は満州丸の船長。
 商船だった満州丸は国に徴用され、その任務中に撃沈されたのだ。

 狭い会場でDVD上映が始まり、そのナレーションの素晴らしさに耳を奪われた。
 全く息が混じらず、底辺に深い慈しみの心を感じる。
 それでいて淡々と、しかも力強い。

 無謀としか言いようのない海戦の顛末、軍人ではない一般海員たちの犠牲の大きさに、怒りがこみ上げた。
 生き残った彼らは更に、戦後の4年間、この呆れるほど策無しの戦争のツケを払わされた。

 終わりのテロップでナレーターを確認した。
 私が唯一“所属”していると云える新劇俳優協会の新会長:佐々木愛(劇団文化座座長)さんだった。
 深く納得・・・今日が一段と好き日になった。

 夜、久しぶりに新宿紀伊国屋ホールで、松元ヒロさんの「ひとり立ち」公演を観た。
 籠池、安倍ら首脳陣の無能さを笑いで罵倒し、沖縄、原発、トランプ大統領まで網羅して喋りまくり、隣の中学生!も身をよじって笑っていた。
 ほんの少しだけ、違和感が残ったが、確実に松元ヒロだった事に満足した。

 本日東京は三寒二日目の真冬日。
 明日は懐かしい人たちとの再会が待っている。

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東京生活その一

2015年08月18日 | 東京
 11日に家主さんから部屋を引き継いで1週間。最初は風がなく冷房に頼って眠ったが、
さすがの東京も13日(金)辺りから少しずつ過ごし易くなってきた。土曜日にはようやく
網戸を全開して眠れるようになり安心した。睡眠さえ取れれば後はドンと来いなのである。

 最初は地理がよく分かっていなかったり部屋での自炊手順も安定してなかったが、 アレ
コレ生活の基本体制を整えて、17日(月)からの立ち稽古に備えた。

 そのアレコレの中でとんでもない事が!
 稽古日数が足りないからと演出が用意した二日間の本読み稽古初日、携帯に電話が
入った。敦賀で図書館に勤める友人からだ。休み時間に連絡してみると、

 「図書カードと御守りと保険証落としてませんか?」

 何をおっしゃるウサギさん!?

 しかし心当たりがあった。
 高井戸商店街をウラウラと散策がてらお買い物していた時、自転車置き場でパサっと何かが
落ちる音がした。見るとウエストバックのチャックが全開、財布ごと落ちていた。拾ってヤレヤレ
と帰宅したのだが・・・。

 「高井戸警察へ急ぎ電話してください。保管しているそうです。」

 行ってきました高井戸警察。永福町の部屋からチャリで20分。
途中、高井戸郵便局本局を見つけたり、東京ではお馴染みの大手スーパー、サミットストア
で“美し水”なる浄化水(敦賀にもあるが、ボトルを700円ほどで買うと以後無料で4リットル
ずつもらえるシステム)を補充したり、無料氷を山ほどもらったりしたので往復1時間。
 なかなか有意義な朝のサイクリングになった。と、負け惜しみ(笑)

 木金の二日間は内容の濃い本読みになった。役の疑問点をほぼ解消できたし、新しい男優さん
達三人は個性的で、特に長男役のHさんはナレーションの仕事で稼いでいるだけあって上手い。
触発されるモノを沢山持っていそうだ。風貌がジョン・ボン・ジョヴィ(米のミュージシャン・俳優)
そっくり!なのが気に入った、ハハ。夫役のNさんも男前、ハッハ。次男役のY君は野球青年で
かわゆい、ハッハッハ、笑いが止まらん。しかし全員子持ち。えらい!私の世代はこの若さで
子供を持つガッツのある仲間は殆ど居なかったなぁ。

 実の娘役のMちゃんとは昨年もご一緒したが、格段に面白い役者さんになっていて、とにかく
立稽古が楽しみだ。

 という具合に公私共にガタつきながらも好調といえようか。9月27日の故郷でのライヴ準備も
視野に入れながら健康第一で乗り切りたいと念じている。

 さて、立稽古が二日過ぎた。安穏とはしていられない状況。最善を尽くすのみ・・・。


北海道積丹半島の美国の海
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伊勢で稽古尽くしのGW

2010年05月06日 | 東京
 GWは4日間伊勢での稽古に終始した。
 
 京都からの近鉄特急は全席指定だ。わかってはいたが予約を入れないまま
どうにかなるさと京都に着いた。

 京都近鉄改札付近は、予想をはるかに上回る人の山!
 誰がどこに並んでいるのかも定かでない。ほとんどの人がフラリと奈良観光
に向かう家族連れのようだ。みな困惑した表情で、確信なく列ともいえない塊の
後ろに並んでいて、整理する駅員自身も態度がハッキリしない。まさかこんなに
押し寄せるとは、といった感じなのだ。イラついて怒鳴る客も出始めていた。
お昼前で空腹な人が多いのもいけない。

 このままでは1時間はかかると判断した私は,券売機やチケットカウンターに
群がる人々を後ろに改札へ直行して言った。「一駅乗るだけなんだけど」
 すると責任を感じていたのか、駅員はアッサリと「じゃあ、降りた駅で京都から
乗ったと言ってください、どうぞ」と通してくれたのである。
 さもありなん。あれだけ“平城遷都1300年、せんとくん!”で宣伝しまくって
いたのに、GWへの備えが無さ過ぎたことは明白だ。

 私は全席指定の特急に無賃乗車し、自由席がないのを知らなかった振りをして
無事目的地までの切符をゲット。最初の駅で降りろと言われた時のシナリオは頭の
中に出来ていたが、幸いなことに没になった。
 しかし乗ってからわかったのだが、そんな人は結構いた。なら最初からGW中
は自由席車両を作っておけば、あの混乱は特設乗車券売り場を設けることでかなり
整理出来たのではないか。

 連結車両に置いた三脚に坐り鯖寿司をほおばりながら、晩春から初夏へと移り
変わる山々の美しい景色に見とれ、読みそこなった大量の新聞を次々に読み飛ば
した。世界はどんどん二極化している。報復と破壊、祈りと再生・・。
 
 劇団伊勢ではGW初日とあって、家族サービスなどで昼間は団員が集まらず、
子役の子供たちと夕方まで、伊勢神宮の歴史を勉強しに徴古館(ちょうこかん)へ
行ったり、何十年ぶりかでクリームソーダを飲んだり、公約数の宿題を一緒に
やったりして過ごした。

 二日目に団長がひどいギックリ腰になり、大変なことになったと心配したが、
仲間や子供達に支えられて、4日目には何とか歩けるようになり、ホッとした。

 後半の2日間は狭い稽古場を出て、集会ホールの客席側に仮のセットを組んで
稽古した。実寸で稽古したことで様々な課題も見え、本番(6月19,20日)が
射程距離に入ったようだ。

 4日間の稽古の締めくくりは、どうやって文化不毛へと向かう行政と人心を、
本来の姿・・・人は互いに支えあわねば生きていけない、という事実に目を向け
させる事が出来るのか、の話に。

 芝居創りはまさに支え合い。大道具、小道具作りに始まり、衣装調達から代役、
稽古場の掃除、買い物、事務その他、すべて皆で分業して成り立ってゆく。会社
組織とさして変わらない。お金ではなく観客と仲間の笑顔が、目指す成果である
ところが大きく違うだけだ。

 帰敦車中の雑誌で、養老孟司さんの愛猫まるちゃんの写真を見た。
 養老氏の言うように、人間は頭の中で創りあげたややこしい問題に振り回されて、
無駄で意味のない事ばかりに右往左往しているのかも知れない。猫になりたいね~。

 そういえば昔、「人類の作り出した最悪の文明、それは貨幣じゃ!」と怒っていた
老人もいたな・・・。
  
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本番間近

2009年04月22日 | 東京
 稽古現場が変更続きでバタつき、役者もスタッフも何が何やらの状態で
明日京都入りする事となった。日記を書く暇も余裕もない。

 次回は京都のホテルから「京都便り」をお送りします。
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そして二週間が過ぎ・・・

2009年04月14日 | 東京
 伊勢の稽古は、波乱含みながら流れが出来始め、詰めの段階に入った。

 東京の方も、稽古場が渋谷に落ち着いて集中しやすくなり、詰めの作業に
入り始めた。とはいえ、今だに台本を直しながらなので、大道具や衣裳プラン
も確定はしていない。不安だ。

 新しい稽古場は、ケイタリングに暖かい飲み物があるので有り難い。2時間
に一度の10分休みにケイタリング・ブースに出ると、新たな差し入れの菓子や
果物にホッとする。今日からは専属の制作助手がブースの世話をしてくれる。

 私は主に 六道(天上界・人間界・修羅道・餓鬼道・畜生道・地獄道)の交差
点に出没する妖魔(=迷う心の鏡として現れる)と、修羅道の眷属(けんぞく)
(傭兵ようへい)役である。低い姿勢でうごめいたり、勇壮に戦ったりするので
膝にかなりの無理がかかり、そろそろ危なくなってきた。特に右膝が変だ。でも、
弱音は禁物。

 今日から久々に全キャストが揃った。膝をかばいながら、演出の萬斎氏の
イメージへ、挑戦あるのみ。
 稽古場での結果は演出が決め、本番の結果は観客が決める。
 その二つが一つになる舞台を目指して、明日も精一杯生きるとしよう。

 ちなみに、居候先のUFOさんちは、とっても居心地が良い。
 三食の支度は早いものがする。今日の夕飯は、早終わりだった私が作った。
 二人ともアルコールが好きなので、夕飯には酒の肴と軽い食事の二種を作る。
そして彼女は主に赤ワイン、私は明日を考えて焼酎ロックを飲む。

 会話が弾み、互いにエネルギーを発散し蓄積する。やがて片付け上戸に変身
した私は突然あれこれ分類を始めたり、掃除を始めたり・・・。

 馬が合う二人の夜は、ついつい深くなってゆくのである。
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そして1週間が・・・

2009年04月09日 | 東京
 あっという間に過ぎた。
 横浜中華街の友人宅に居候し、池袋駅前の東京芸術劇場に通う日々である。
 昼夜稽古があるので、11時頃出かけ、帰りは夜の11時過ぎ。東横線は
いつもながら混んでいるが、半分くらいからドッと降りて坐れるので、渋谷駅
では頑張って、1本でも早い電車に駆け込む。

 昼の稽古は、待ち時間が長くて疲れる。とはいえ、萬斎氏の演出を学ぶのが
目的の一つなので気は抜けないが、慣れてくるとついウツラウツラしてしまう。

 制作は、さる宗教維持財団なので、芝居創りのやり方は素人。だから信じられ
ない事が起こっている。

 毎回のように稽古場が変わる。
これだけのスターを集めたプロデュース公演なら、一ヶ月間稽古場を借り切る
のは常識だ。忙しい役者たちが出入りするには、稽古着や各自の小道具、そして
仮大道具を据え置きにするものだ。

 ところがである。毎回、ケータリング(お茶やお菓子のテーブル=普通は制作者
が稽古前に用意する)から小道具・大道具に至るまで、稽古場に早く着いた役者や
演出部、大道具方が用意するのである。これでは敦賀の市民劇団と同じである。
 稽古終わりも15分早めに切り上げて、皆で稽古場を空にせねばならない・・・非効率の極み。ただでさえ稽古時間が異常に少ない舞台なので、皆不安がいっぱいだ。

 劇場ではない場所で初日を迎える為、大道具なども、かなり規制があり、演出の
萬歳氏の苦労を思う。
 毎日のように花形狂言師としての本番舞台を務めながら、演出として細部の詰めを
考え続ける姿は、時に痛々しい。

 しかしこれは、主催者の責任ではない。専門の制作会社に一任すべしと教え
なかった発案者の責任ではないだろうか。

 で、本日ようやく責任者が動き、今週末から一箇所の稽古場に移動する事に
決まった。これで、稽古場ロビーに稽古着のまま2時間近くも、次の稽古場が
空くのを待たずに済むわけだ。

 というような状態の中、私は今日伊勢へと発つ。 
 稽古場通いで疲弊(ひへい)し、日記も滞(とどこお)った。

 東京は、心身ともに、疲れる街だ。
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長浜

2009年03月18日 | 東京
 過日、二年ぶりに叔父に会いに、長浜の盆梅展に行ってきた。
 久々に叔父の娘たち、即ち従妹たちにも会えて、楽しい半日を過ごした。
 叔父は既に90歳を越え、昨年会えなかったので、もしや病みついて
いまいかと心配したが、とても元気でホッとした。

 昼食の後、黒壁の館街でお茶をした時、そのオシャレな店がアンティーク・
ショップと知って店内を散策、イギリス製のチェストを衝動買いしてしまった。

 先週初めに運搬されてきたので、この忙しいのに居間を整理してチェストを
入れた。もちろん酔っ払った勢いで・・・。
 自称片付け上戸の私である、夜遅くとも酒が入ると何処かを整理したい虫が
ウズウズしてくるのだ。

 三日ほどチマチマと楽しみながら片付けた結果、居間は私的にはこれ以上ない
程スッキリした!
 暮れ以来(ギャ~)掃除機もあてて、気持ち好い事この上なしになった。
 すると、やる気も全開。あれこれ仕事上の雑用をこなす毎日である。

 無理して寸暇を見つけ、叔父に会いに行って善かったと、しみじみ思う。

 次回は、敬愛する文ちゃん(私の舞台衣装の半分は彼女の作品)に会いに、
長浜を訪れるとしよう。近くの異空間・長浜は、私にとって再会の街である。

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源氏舞日記3

2008年12月10日 | 東京
 上京5日目、明日は本番である。
 一日中ユーホーさんちで自主稽古の後、桜木町のホテルへチェックイン。すぐに井土ヶ谷の甥の家へ。
 今年のお盆に、待望の次世代の命が、我が広瀬家に生まれたので、そのお祝いに行ったのだ。

 長い間待ち望んだその子は、玉のような男の子。ひいき目かとも思うが、送ってもらった写真は、明らかに我が広瀬家の顔立ち。が、生後4ヶ月近く経って、ママにも似てきていた。
 私が抱くとすぐに泣き出す。子供は苦手だという思いが伝わるのだろう。
 この無垢な命が、健やかに愛情深くて育ってくれますように。

 初日―「夢(蜻蛉・手習・夢浮橋)」。
 ロス(米)から前日帰国したばかりの松木氏が描く素晴らしいCG(コンピューターで創った絵)が、能楽堂の壁二面を同時に染める。彼は二日前ロスから、カーテンコール用のCGを作る為の電話をユーホーさんに入れている。とにかくプロフェッショナルな入れ込み様なのだ。

 彼と名コンビの、音響・谷崎氏の絶妙な音が場を彩り、観客を夢の世界に誘う。そして私たち出演者(波紋音・笛・琵琶・語り)が能舞台に揃い出て、8年間の集大成第一部「夢」が始まった。

 説明するのはよそう。現場に居た者にしかライヴの面白さは伝わらない。まして、私の稚拙な筆では著(あらわ)し様もない。

 無論いつものように評価は様々。殊に、古典中心の実験劇場である『源氏舞』には賛否両論ある。
 今回も、全体をみる演出家を置かない事に批判は集中した。が、それこそが主催者ユーホー氏等創始メンバーの心意気なのだ。

 たとえ見世物として未完成な舞台になろうと、夫々が主張し合い、ぶつかり合う事を避けずに創る。そうする事でジャンルを超えた発見をし、強く触発されたい。この魅力があるからこそ、ギャラを度外視して皆がやり続けてきたのだろう。
 演出が入れば、どうしても一人の感性に集約せざるを得ない。それが演出の使命でもあり、削ぎ落とされた統一感と高い完成度を目指すには、演出の存在は欠く事の出来ない要素だ。

 しかし、批判は受けつつも、今回の評判は悪くない。内側にいる私にも、8年の進化を感じさせてくれた『源氏舞』だった。

 二日目・大千秋楽「幻(夕顔・葵・野宮)」
 初日に比べて圧倒的に言葉が少ない台本を創った。象徴的な舞台は、あくまで理解より印象を狙ったものなので、全体を通して、女の悲しみ・情念・苛立ち・怖れ・そして深い悔恨を感じて頂けたなら幸いだ。

 会場は、心配したにもかかわらず二日とも満杯。個人的には嬉しい評価が多く、といっても悪い評価は本人の耳にはなかなか届かないが、来春の仕事のオファー(申し込み)も来て、あくる日意気揚々と帰敦した。

 帰宅したあくる日は、町内のゴミ当番の日。1週間私と交代して下さったお向かいのお母さんに感謝!
 過去二度当番を忘れて玄関を叩かれた経験がある私は、目覚ましを遠くに置き、緊張して眠りについた。

 朝起きて庭を見てみると、桜の葉が散った後きれいに紅葉していたモミジが、サッパリ裸になっていた。イチジクも同様である。時間が突然進んだ気がする。

 ノラ猫たちが玄関に飛びついて餌をねだる日常が、早くも戻った。そういえばバネ指も手術跡が瘡蓋(かさぶた)になって、ほとんど治っている。時間は偉大だ。

 今日は少し休んで、明日からは12日の気比中『シゲル』公演の準備に集中しよう、などと思いつつ鏡を見て愕然。白髪が一気に増えているではないか!

 時間は待った無し・・・残酷でもある。

               12月9日(火) 了。

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源氏舞日記2

2008年12月09日 | 東京
 初顔合わせは無事に過ぎ、一日間をおいて試し稽古が昼から夜まで続いた。
 私には二年ぶりの『源氏舞』である。間近で聞く古典楽器の音色や謡がとっても新鮮で、さらにイメージが膨らんだ。

 台本を直し、深夜まで主催者ユーホー氏と語る。私が眠った後も、彼女は連日朝までかかって、パソコンに台本の直しを打ち込んでいた。8年続けてきた『源氏舞』最後の公演に賭ける彼女の粘りと体力に脱帽。
 
 が、私は完成台本を待ってはいられない。敦賀でパソコンから印刷して持ってきた台本に、京都弁のイントネーションを書き込み、進行直しの書き込みも満載したまま拡大して本番用を作り、稽古した。

 京都弁で詠むのは古典文のみとはいえ、かなりの量である上、暗唱する部分のイントネーションがなかなか体に入らない。危ないところは、その場で標準のイントネーションに変えて詠むしかあるまい。
 現代文や謡の暗唱部分もかなりあり、おまけに二回目の稽古で突然、謡の朗読が大幅に増えた。謡は全て標準のイントネーションでいく事にしたが、何やかやで冷や汗ものの自主稽古が続く。

 上京二日目の休みには、35年来の友人達3人と旧交を温めた。皆本当に変わらない。青春時代からの長い長い友人たちだ。夫々の勤め先を考えて、銀座で会うことにした。

 久々の銀座は有楽町駅前が一新。新しいビルITOCIA(イトシア)のワインバーで食前酒を いただいてから、同じビル内のベトナム料理店へと移動。野菜中心で香辛料が効いている春巻きが美味しかった。

 いつものようにささやかなプレゼント交換をし合い、「え、恋人出来たの?」「え、息子さんもう大学?」「え、あなたの息子はオーストラリア留学?」「え、旦那、あのテロ騒ぎの中、間一髪でラオスから3年ぶりに帰国!?」などなど、近況を話し合う。彼女らも元は舞台俳優だからか、話のツボが合う。
 あっという間に時は過ぎ、23時頃、朝の早い彼らと別れて横浜への帰途についた。

 東京の交通網はさらに進化し、一つのパスカードがほぼ全ての交通機関に使える。ものすごく便利に、そして所要時間もグンと短縮されていた。元町中華街から渋谷まで特急で37分!慣れない私は時間の予想がつかず、毎日ヤキモキしたりホッとしたりした。

 4日目は朝からダウン。起き上がれないほど体がだるく節々が痛い。またしても押さえ込んでいた風邪か?いずれにせよ上京以来、睡眠時間が決定的に足りないのである。
 本番まで間がないので大事をとり、その日の約束を二つドタキャンした。その一つ、築地でのランチはとっても楽しみにしていたので、布団の中で泣いた。

 ギリまで寝ていて、昼過ぎユーホー氏と青山能楽堂へ本番の照明打ち合わせに。舞台に関する事は徐々に体を回復させてくれる。
 4時頃終えて、いざ今回メインの飲み会へ。

 ややふらついているが、今夜は大好きなスーパーモデル・アッコさんと、不思議人Mr.時広氏のアトリエで三人の会をするのだ。これだけは多少無理しても外したくなかった私は、シャンパンとチーズを手土産にアトリエに早めに着き、図々しくも床に座布団を敷いてもらい、アッコさんがいらっしゃるまで仮眠をとった。

 以前お邪魔した時とは全く違う、夜のムードにセットアップされたアトリエは、美しい三人にピッタリ?
 時さんとアッコさん手作りの美味しいお料理に舌鼓を打ちながら、静かに話が弾み、シャンパン、ワインが次々に空いてゆく。

 アッコさんは酒豪である。4月、大阪中ノ島公会堂での美の祭典『世界』でご一緒した時も、打ち上げで「強さ」を発揮していたアッコさん。飲んでも乱れても優雅一筋・・・本当に美しい、女神のような人だ。
 もちろん私は途中熟睡派。椅子に坐ったままで何分くらい眠ったのか、情けない。

 起きたところで恒例の?撮影会開始。皆で時さんの豪奢な衣装にお着替えして、たくさん撮って頂いたが、私はどれも絵にならない。容姿へのコンプレックスが表情に出てしまうのだ。  
 比べてアッコさんはドンピシャでかっこいい!!早速パソコンに取り込んでもらい、選んだ物を印刷して頂いた。ブログに載せたいが、私の技量では携帯で撮ったものしか、まだ載せられないのが残念だ。

                      
つづきは また明日。
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源氏舞日記

2008年12月03日 | 東京
 12月1日午後上京。一週間とはいえ久々の長逗留だ。二公演分のきもの衣装も用意せねばならず、荷物は膨大。大きなダンボールを1個、逗留先のお家元・古澤侑峯氏(今回の舞台『源氏舞』主催者)に送りつけ、パソコン、土産、着替えなどを詰め込んだ、超重いキャリーを引きずって敦賀を後にした。
 舞台監督と笛の方お一人以外は初手合わせの今回、どんな方達がどんな音色を聞かせて下さるか楽しみだ。

 天気晴朗。
 富士の山が、真っ白に雪を被った頭を雲上に浮かべている。その、ため息が出るほどの美しさに出会えたことが、舞台の充実を約束してくれたように思えた。

 古澤氏のイメージから私がおこした構成台本は、私と彼女の共同作業で間際まで調整、変更してゆくので今も書き変え中である。本番ギリギリまで、この詰めの作業は続く。

 琵琶・笛(二人)・小鼓・舞・語りと、夫々がプロフェッショナルで心優しく寛容な方ばかり。とはいえ、これだけの個性をうまく活かすには、流れを細部にわたって想像する力が必要だ。音色を知らない私も、勝手にあれこれ既存の音でイメージしながら、通称UFO氏の主導で作業を進めていく。
 そして今日からは、その想像を実際に稽古場で試してゆく作業に切り替わる。

 今年になって、ご主人とお母様を次々亡くされたお家元UFO氏は、小さな女性である。悲しみをエネルギーに換えて前を見つめている。
 普段はすっぴんで出歩き、バリバリ遠慮なく毒舌を吐く豪傑な面があるが、舞台では大変身。まさに“絵に描いたような、ふるいつきたい美女”となる。

 多彩な顔ぶれが出揃って・・・。
 さて、仕上げがどうなりますか・・・幕が上がるまでは気の許せない緊張の日々が続く。
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神様!?

2008年09月23日 | 東京
 夕べの星空はきれいだった!久々に、たくさんの星を見て目が休まった。

 このところ、朝起きると、体より目が疲れていてスッキリしない日が続いている。そこで、中学・高校時代、晴れた日の夜は欠かさずやっていた「天体観測型近眼防止法・中国式」(遠くと近くを交互に眺める事で近眼強制する)を復活。
 最近は恥もなくパジャマ姿で門の外まで出て、星を眺めている。

 高校時代、同じく星を眺めに出てきた次兄に、
 「兄ちゃん、銀河系の外にも星はあるんか?」
 と聞いて、
 「わからんなあ。ほやけど無いはずはないやろ」
 と言われ、少なからずショックを受けた事を思い出した。それは好い方のショックで、
 「あ~、宇宙は広い、私は小さい!」
 と知って癒された印象があるのだ。何か思い悩む事でもあったのだろう。
 
 そう、宇宙は広い。「波動」や「気」の存在も信じている。人間の脳は80パーセントが眠っているから、テレパシーや、瞬間移動なんて事も可能な能力があるかも知れない、とも思っている。
 
 だが、「神」の存在は全く信じていない。自分の中に神なる存在=大いなる自己がある、と信じているからだ。
 その「大いなる自己」と出会うための旅が、人生だと信じている。

 だから、「神様ありがとう! 」なんていう台詞は、どうもシックリこない。子供などが無心にその台詞を吐いたりすると、意味分かってんのかなあ、と心が痛む。 子供の芝居だからこそ、土台骨としての台本の力が大切だと思う。

 来月の祇園ライヴでの一人芝居『ぼくの人生・・・シゲルの場合』は、児童文学が原作だが、大人の腹の底にずしりと響く普遍性を持っている。
 作者・丘修三氏の、稀有で豊かな経験と人格から生まれた傑作だ。この本に出会えた事に感謝。
 
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東京日記<『蔵のある家』千秋楽>

2008年02月18日 | 東京
 約1ヶ月にわたる公演最終地の船橋では、4千人近い会員(NPO法人ふなばし演劇鑑賞会)の方々が、4日間に分けて『蔵のある家』を観てくださり、二日目の昼公演後には、出演者全員がロビーに出て、300人もの観客が埋め尽くす中、交流会が行われた。私は初体験だったので驚いて当たり前だが、他の方々も「通常は百人前後なのに」と目を丸くしていた。ロビーに出るなり、幹事の方に「カマさん(役名)良かったあ!」と抱きつかれ、とても嬉しかった。新演出と、毎公演後に出されるきめ細かな駄目出しが、この芝居を豊かに作り変えた結果だろう。何といっても主演の有馬稲子さんの存在感と魅力が大きいが、周りを固める個性豊かな俳優たちも、若い演出家・森新太郎氏に刺激されて、毎回新鮮に舞台に立ったのだ。
 有馬さんもカーテンコールを待つ袖中で、「駄目だわ、私の演技は安定しなくて・・・」と毎回つぶやいておられたが、真摯で地味な努力の繰り返しが日々新しい発見をもたらすからこそ、昨日とは微妙に違う演技を生むのだと思う。それでも悔しそうにうつむく大女優。が、カーテンコールに登場する時、その表情は満面の笑顔に一変する。まさに大輪の花!しかも少女のように瑞々(みずみず)しい。この旅公演の間中、その笑顔を観るのが皆とても楽しみだったはずだ。

 千秋楽の日、その大輪の笑顔に胸を熱くしながら最後のカーテンコールを終え、舞台上で手打ちをした。音頭は作者でありプロデューサーでもある俳優・平野稔氏。この芝居は彼のお母さんや家族の実話を元に創られたもの、万感込めて手を打つ平野氏。生まれ変わったこの芝居を、是非ふるさとの人たちにも観てもらおうと、改めて思った。

                           続きは また明日
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東京日記<ひばり時代劇>

2008年02月06日 | 東京
 タイガーマスクマンは、最前列かぶりつきのドセンターで映画を観ていた。さすがに上映中はマスクをはずしていた。

 さて、ひばりちゃんの時代劇『振袖侠艶録』は、惚れ惚れする歌声と懐かしさに満ちて、期待通りだった。相手役は東千代之介。御殿女中を中心に描くお家騒動もので、千原しのぶという細面の女優さんが要の役をやっていて、とにかく出てくる役者が皆「そうそう、いたいた!」と懐かしい。あの小さな堺駿二が脇役でちょこっと出ていて、今やっている舞台と同じ名古屋弁で「やっとかめだなもー、だちゃかん、だちゃかん(とうとう会えたな。もうどうにもならんぞ)」と言ったのには吹き出してしまった。

 2本目は、ひばりちゃんは出ないが、東映スター勢揃いのちょっと変わった時代劇『新諸国物語七つの誓い・黒水仙の巻』。新たに役者が出て来る度に客席が「わっ」「アハッ」「ぎゃっ」と小さくさざめく。キャーキャー言う年代ではないのだ。皆静かに、心から懐かしんで観ている。

 設定が凄い。「ここは地球のどこかの国。例えばヒマラヤの山中にある・・・」とナレーションが入って、(画面はさっき観た映画の山中とさして変わりはない)いきなりモンゴル風の悪人兵士たちが馬を駆って登場し、小型の幌馬車に乗ってやって来た主人公、即ち、羽飾り付きアルプスハットを被った、ザンギリ頭の中村錦之助を拉致していくのだ。これには静かに観入ってていた観客も、さすがに笑った。

 しかし、CG(コンピューター・グラフィック=機械で描いた絵)のない時代に、創意工夫で石の要塞や噴水広場を造り、何とかかんとか体裁を保っている様子が・・・味わい深い。モンゴル人らしき盗賊たちが、日本の侍と混じってくる後半、互いに難なく日本語で会話しているのも変だが、巻紙の密書を手にした盗賊の頭が突然、「日本語は読めない」と言ったのには皆のけぞった。

 最後にエンドマークが「つづく」と出て初めて、あら一話完結じゃないんだと知りガックリ。タイガーおじさんは最前列でゆっくり立ち上がり、モソモソとマスクをつけていた。なんだかヨレヨレな感じ。おじさんもガッカリだったんかなあ・・・。でも内容には皆満足げで、ロビーのチラシに見入ったり、完結編までの破天荒・荒唐無稽なストーリーを読んだりしてなかなか去らない。そんなお客を追い立てるでもないスタッフの温かい眼差しに後ろ髪引かれつつ、一人帰宅の途についた。
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