人村です!

舞台と結婚したと公言する「人村朱美」が綴る舞台生活 毎週火曜日更新・・・したいなぁ

東京日記<東京グラフィティ2>

2008年02月05日 | 東京
『再会』
 過日、20数年ぶりで大学時代の親友に会った。彼女の住まい近くで公演があったからだ。これまでも何度かチャンスがあったのだが、その都度上手く時間が合わず、会えないままに月日が経った。
 連絡してみると、珍しく「会える」という返事が来たので、ホテルロビーで待ち合わせた。劇場入りまでの2時間、様々互いの近況について語り合い、最後はやはり病の事、そしてお墓の事。「年取った証拠だねえ」と笑い合ったが、久々に顔を合わせた瞬間に、二人に流れた時間の深さを知ったのは事実だ。
 韓国ドラマや映画の話にも花が咲き、「やっぱり趣味合うねえ! いずれ一緒に住もうよ」と、学生時代から言い合ってきた同居を、また口にして別れた。二人とも親の介護を終え、独り暮らしの良さも淋しさも知っている。遠慮なく空気のように一緒に居られる二人が、黙々と老老介護するのも一興だが、今度会えるのはいつの日かとも思う。ましてや、これからの年月は重い。元気でいてくれと念じた。

『ひばり映画』
 昼公演の舞台を終えて、夕飯の弁当と缶ビールを買い、7分遅れで映画館に。今回は珍しく途中入場しようと決めていた。2本目を見終わってから、また1本目を途中まで見るのだ。昔はこんな見方が普通だったなあと、逆に懐かしい。さて、弁当を食べたが何だか足りない。よし、フランスパンもかじるか、と食べ始めたらあまりに美味しくて完食。気が付くと開演から30分が経っていた。腰を上げたのと、従業員が立て札を客席入り口に立てたのが同時だった。「開演30分経ってからのご入場は出来ません」と書いてあった。
 さすが池袋新文芸座である。映画を愛するスタッフたちは、観客が映画に没入し、かつそこから観たのでは内容についていけまいという限界ラインを“開演後30分”に決めたのだ。映画制作者への敬意も込められたこの配慮には感心した。
 で、次の開演までの50分間(この時代の映画の上演時間はだいたいい1時間10分平均と短い。そして各回毎に10分の休憩が入る)本を読みながらカップ・コーヒーを飲み、くるみパンを食べた。何という食欲。しかし体重はいまだに50キロをちょいと出た程度。
 ふと、目の前を派手な色が行き来したなあと顔を上げてビックリ!なんと“タイガーマスクマン”が目の前の壁チラシに見入っているではないか。色とりどりのパッチワークのマントに白い羽飾り満載の帽子を被り、脚にはピッタリした色タイツ、顔にはタイガー(虎)のマスクを付けたタイガーマスクマンは、確か新宿の名物おじさんだったはず。ラジカセ抱えてチャリに跨(またが)り、大音響で音楽を聞きながら、というより自分自身のBGMとして聞かせながら、新聞を配っていた。さすがに往年の時代劇映画が懐かしくて池袋にやって来たか・・・。                                        
 続きは明日。
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東京日記<東京グラフィティ>

2008年01月28日 | 東京
 『蔵のある家』関東公演4日目が過ぎた。松戸では、カーテンコール時の花束が、赤ワインに変身! まさに“花より団子”。しかもメインの役者さんだけでなく、全員に頂けたので嬉しかった。知名度序列の他に、キャスティング(配役)序列もあって、予算が限られる花束を誰々に渡すかは、主催者も頭の痛いところだろう。しかし3つの花束分で13人分のフルボトルワインが賄(まかな)えるならグッドアイデアではないか。花束というのは、舞台上で数人だけもらっても、実は気が引けるもので、主演の有馬さんもいつも「あら、私たちだけ?」と困った顔をなさる。ここら辺が、舞台で育った役者の「同じ釜」意識の強いところ。華やかな花束贈呈も捨てがたい演出だから悩むわけだが、たまには、こういう粋なはからいも好いもんである。

 森氏の新演出は、少なくとも全出演者のやる気を一つにしたようだ。再演消化試合としてではなく、新しい作品として、皆誠実に全力投球している。私はといえば、初日にようやくカマエ役に演出からOKが出てヤレヤレ・・・。が、慣れるという余裕はもちろんなく、毎回新鮮な高揚感の中で演じている。

 4日目の昼公演が終わった日、池袋に戻ったのが夕方5時半。西武線に乗り換えようとして、ふと新文芸座で何やってるかなと思いついた。新文芸座は、映画に対するスタッフの篤い心を随所に感じられる嬉しい映画館だ。アジア・欧州・ハリウッドなど国内外の新旧の名画を、なんと今時2本立てで上映してくれる。この日の作品は、最近面白く感じないハリウッド映画だったが、1本は大好きなK・ゼタ・ジョーンズ主演の最新作だったので、夕飯をデパ地下で買い込み、観に行った。
 地味に温かい雰囲気のスタッフたち、ポスターやチラシの整然と見やすい配置、会員制度も導入して安価な代金(2本で大人1300円・会員なら千円)、クリーンなトイレ、喫煙室付きロビーなど、全てが居心地好い。そして来月の特集は時代劇!
 まずは「東映オールスター時代劇映画特集:佐々木康監督生誕100年祭」と銘打って、片岡千恵蔵、中村錦之助、東千之助、美空ひばり等の顔が踊るポスター・チラシがカラーで飾られている。懐かしいことこの上なし。しかも連日、東映お姫様女優・高千穂ひづるのトークショー付きである。「やっぱ東京やなあ・・・」と実感。この日も土曜日だったので、終映後は松岡錠司監督作品のオールナイト。『バタアシ金魚』は是非観たい作品だったが、無論体力を考えて帰宅した。

 思い起こせば、ひばりちゃん映画から始まったとも言える、我が舞台人生。最近では福井の若者でさえ、「宇野重吉?誰!?」という時代に、「東映時代劇?チンプンカンプン!?」の方もおいでかと思うが、団塊世代の末子としては見逃せない青春グラフィティなのである。必ず観に行こうと心に誓った。ハハ。
 洋画の話題作も満載の新文芸座に、是非一度おいであれ。
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東京日記<休日堪能>

2008年01月22日 | 東京
 本番前最後の休みが二日あったので、平塚の長兄夫婦宅へ転がり込み、温泉に連れて行ってもらった。まずは沼津漁市場で、美味しくてしかも安いお寿司をたらふくご馳走になり、テレビ番組で2年連続チャンピオンに輝いたというパティシエのお店に寄ってケーキを買い(お義姉さんはパン・和洋菓子の先生なのだ!)御殿場へ。公の施設と違って、お金をかけた工夫いっぱいの温泉は居心地満点。無料のマッサージ機で熟睡してしまった。2時間たっぷり遊んで、すっかりリフレッシュ。ありがとさんでした。
 
 二日目は、敦賀高校後輩のグラフィック・デザイナー辻下浩二氏が、漫画家さんたちと合同で展覧会をやっているというので銀座へ。彼は、花キューピットやタイヤマンのキャラクター・デザインで、業界では有名だが、実は漫画家協会にも推薦で入ったというユーモアセンスの持ち主。(普段は、おじんギャグで周りを疲れさせる困ったチャン)
 この展覧会「シャリバリ2008年展」は12人の漫画家が漫画絵を出品。ホンワカと包み込むような人柄の漫画家たちが集う会場はのどかで親しみやすく、絵画展とは全く違ったムードで楽しかった。辻下氏に何人かの漫画家さんに紹介して頂き、敦賀のT氏がファンだというオダ・シゲ氏と写真撮影。驚いた事に彼は元ニコン社員。鯖江にも何度か行ったとおっしゃる。聞いてみると皆さん夫々別の生業(なりわい)をお持ちなのである。いずれの世界も、好きな事を貫くのは厳しいのだなあと感嘆。まだ作品が届かないで空きスペースになったままの“ちば・てつや”氏のネーム・プレート前で、今年の名刺用写真を辻下氏に撮ってもらって、銀座を後にした。漫画家の世界の、愉快な力の抜け具合に大いに励まされた一時だった。
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東京日記<芸能花伝舎>

2008年01月15日 | 東京
 芸能花伝舎というのは、今私が稽古している西新宿の稽古場の名称である。ここを知らないタクシー運転手はいない程有名な場所だ。小学校跡を改造し芸団協が経営する稽古場で、各種芸能団体が入り乱れ、10の部屋と体育館一つを使用している。
 1~2ヶ月あるいは1週間単位で一部屋を借り切り、大道具をセットしっ放しで稽古する場合と、一つの部屋を午前・午後・夜間に分けて様々なグループが使う場合がある。
 一昨年の私たちは自主公演で予算がなかったので、使わない時間帯まで借り切る力がなかった。それで毎日、先に使っているグループが終わるのを待って、道具や着替えを倉庫から出してセットし、終わると急いで片付け、次に使うグループに部屋を明け渡していた。  
 今回は関東の演劇鑑賞団体が作品を買い取ってくれているので予算は心配ない。1ヶ月借り切っている部屋に行きさえすれば、セットに入って稽古開始となる。役者三昧の贅沢な日々なのである。
 ここでは、舞台は言うに及ばず、映画・テレビ・クラシックバレー・落語など、実に様々な芸能関係者と出会う。よくテレビで見るジャニーズ系の歌手や某有名プロデューサーなどと、初対面ながら「お早うございます」と声を掛け合うのは妙な感じだ。先日は、「あれ、この組み合わせって・・・?」と思う顔ぶれに出会い、「ああ、去年敦賀で観たあの芝居のメンバーだ!」と気がついた。その芝居には家政婦さん役で知人が出ているので、出番待機をしている彼女と、トイレに行く度におしゃべりしてしまう。彼らの部屋はトイレ前にあるからだ。「これからまた3ヶ月、旅公演なの」と、昨日早くも旅立っていった。
 トイレの中も社交の場である。思いがけない知人友人とバッタリ出会うので、話が弾む。この間も古い知り合いの女優さんと会ったら、「私結婚したの、一回り下の男優さんと! いつまで続くか分からないけど、うふふ」・・・何と勇気ある選択。「おめでとう!凄いねえ」と言ったら「あなたは経験あるからいいじゃない。私この歳で初婚だもの、うふふ」・・・よく覚えてらっしゃる・・・言葉に詰まってしまった。
 昨日は、トイレに入った途端「人村さん、お久しぶりです!」と、若い子に声をかけられた。10年程前にやった芝居に脇役で出ていた子だ。隣の部屋の芝居にヒロインとして出ていると言う。頑張ったんだなあと嬉しくなった。その時の劇団はもう今はなく、リーダーの作・演出家はミュージカルの仕事で名前を時々見かけるが、他のメンバーは殆ど芝居の世界を去り、転職・結婚・出産・店舗経営などで頑張っている。リーダーも結婚・出産したと聞き、今月中に赤ちゃんを拝見しに行く予定だ。時の経つ早さを思うと同時に、皆それぞれに人生を積み重ねてきたんだなあと感慨深い。

 そんなこんなで、私たちの芝居『蔵のある家』再演初日も近い。昨日から通し稽古に入った。新演出のお陰で稽古場は活気づき、私も一味違うカマエ役の感触をつかめたようだ。私たちも後5日で、再会花盛りのこの“芸能花伝舎”から、本番舞台へと旅立つ。
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東京日記<リセット>

2008年01月08日 | 東京
 トラを入院させ再び上京。自由にさせたままで逝かせてやりたかった。別れが辛い。何とか2月半ばに帰るまで生きていてくれと、心から願って先生に託した。
 敦賀では新年会が連日昼夜と続き、飲み過ぎたようで胃腸の具合が悪いが、東京で稽古を再開すれば吹き飛んでしまうだろう。
 新年早々の、朗読なぎの会の立ち稽古は、少し希望が見える結果で、本番の3月15日までに面白い舞台に仕上がりそうだ。能楽堂という静謐な空間を活かせれば、目標は半分達成である。不在の間に皆さんが稽古に励んで下さる事を期待している。今は、23日の『蔵のある家』再演初日に向けて集中あるのみ。

 東京初日の朝、まずはコタツの配置を微妙に変えて空間を増やし、ストレッチと拭き掃除から始めた。規則正しく暮らそうと決めたのだ。起きたら体操と掃除をしてから緑茶。「ちりとてちん」を見ながら朝食の後は、机上の仕事をし、出かける前に筋トレと決めた。下半身はチャリで否応無く鍛えられるが、上半身がいけない。特にこの“♪神田川の世界”は、部屋の中が全て和式なので腰にくるのである。家具(と言える程の物はないが)は全て畳に直置きだから、自然と腰をかがめる事になる。気がつくと腰がいやーな感じに・・・。年末にやったギックリ腰のために、正月を半病人で過ごしたT氏のようにはなりたくない。やはり膝同様、筋トレで鍛えるのが一番なのである。

 住めば都とはよく言ったもので、辛いと思っていたこの部屋も、居座るゾと決めてからは我が城となり、かえって懐かしい空間になった。気持ちが落ち着くのである。
 この部屋には工夫の余地がいっぱいだ。牛乳パックも、100円ショップ商品の背に付いていた台紙も、プリンのカップも捨ててはいけない。全て有効利用して、鉛筆立て・化粧品分類箱・うがい用カップなどに変身してゆく。
 「人体は、少ない栄養(血糖)を上手く利用する仕組みは持っているが、多すぎる栄養を捨てるメカニズムは持っていないから病気になる。脳もまた同じで、少ない情報量を最大限に活用出来るよう進化してきた。情報過多は脳を思考停止させるが、得られない情報を補おうとした時には想像力が働き、脳は(よくも悪しくも)活性化するのである。」という。ノベタラに置かれた細々した物たちを、普段なら分類してゴミにしてしまう物たちと結んで処理する。何のことはない廃物利用なのだが、ここまでになるとなかなか新鮮な気分で、脳に軟らかな好い風が吹いているなと感じる。考えてみれば芝居の道具創りも発想は同じのはずだが、最近は頑(かたく)なに考えがちだった気もする。
 初心に帰って、脳もリセット!といけば嬉しいのだが・・・相変わらずオッチョコチョイで物忘れがひどいのだけは治りそうにない・・・アハ。
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東京日記2-3<続・神田川>

2007年12月27日 | 東京
 あくる日は稽古お休みの日。午前中に、ご近所の大工さんが戸の歪みを直し、本体が金属疲労で(!)壊れてしまった鍵も、新しいのに変えてくれた。その間、部屋の戸は外されっ放しで、私はコタツにしがみ付いていた。

 部屋にはバス・トイレ無し。冷蔵庫も洗濯機も無し。自慢するわけではないが、ガスの元栓もまだ開けてもらっていない。不動産屋で卓上コンロを借りたので、しばらく様子を見たら?という事になったのだ。
 左右に2つずつ、全部で4つある貸部屋のうち、私の部屋は右側の奥。トイレは入り口付近に2つある。他の人たちは皆男性なので心配したが、以外にきれいだ。大家さんがまめにお掃除をして下さるからだが、掃除用具もスリッパもないのが難。マイスリッパを二つ買い、トイレ用と1畳の台所用とに分けている。
 トイレの近い女が来たせいで、トイレット・ペーパーの減り具合が俄然早まった。入居時 “淡ピンクの花柄付”ダブルだったペーパーが、3日目の夕方には、ただの白のダブルに。さらに4日目には、1個しかなかった取替え用が3個に増えていた。まめで心優しい大家さんなのである。

 深夜1時までやっている江古田湯には一日おきに通う。430円の風呂代にビックリしたからだが、部屋でハンカチや雑巾などを洗った後はお湯が欲しい。湯を少し沸かして手を温めるのだが、やはりお風呂で芯から温まりたい。ガスも通さねばなるまい、風呂も毎日通うべし。体を壊したら何にもならない。

 部屋から不動産屋の前を通って3分の江古田湯は、夜10時を過ぎるとガランとしていて居心地満点。しかし湯の温度が高すぎて長く浸かっていられないのが難。ある友人に言わせると「50度越えてる日もあるんすから」ほんまかいな!
番台のおじいさんとも顔馴染みになった。人情味があるのに一定の距離を感じさせる淡白な性格は、大学時代の親友によく似ている。あー、彼女にも連絡しなきゃ。

 風呂からの帰り道、石鹸箱のカラカラ鳴る音に、敦賀で聞いたT氏の「神田川」を思い出した。題名も知らない若者たちを尻目に、私たちおばさんとおじさんたちは(含:星ムクドリ)しみじみしたっけ・・・。
 望郷の念に捉われながら、6畳一間の侘び住まいへと急いだ。明日も闘いが待っている(大げさだっちゅうの)。何故か映画の主人公になった気分の、東京一人暮らしなのである。

 次回はお正月です! 一年本当にお世話になりました。
 皆様、良いお年を。
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東京日記2-2<神田川>

2007年12月26日 | 東京
 稽古場は新しい演出を得て、建設的ないいムードになっている。
 私のシーンも、台詞を舞台前面でやらせて頂けるようになったので、相手役達との心理的からみ度が強くなり、役の生理が飛躍的に変わった。その結果、前回と違って落ち着いた芝居が出来るようになった。ちょっとした事で役者の心理は大きく変わる、と分かってはいたが、この一年演出として、外からしか芝居を見てこなかった私には、新鮮な体験だった。

 さて、アパ-ト生活二日目の夜の事。稽古3日目のこの日は、飲み会もなく流れ解散。やっと一息つけるぞと夕方帰って来たら、部屋の鍵が開かない!開けにくい鍵だなあとは思っていたが、まさか二日目に壊れるとは。その日は不動産屋の定休日、万事休すである。幸い大家さんが起きていらしたので駆け込んだ。

 それから、大家さんが悪戦苦闘30分。鍵屋を待つ事30分。更に鍵屋も悪戦苦闘30分、計1時間半もの間、締め出しを喰らってしまった。せっかく早めに帰れたのに、とブーたれたが、深夜に帰って来た時を想像ずると、さらに悲惨だったわけで・・・。

 鍵屋を待つ間、大家さん宅でコーヒーなんぞ頂きながら四方山話も出来て、表彰されるほど長生きした猫(享年22歳!)を飼ってらしたと知り、思わずトラちゃんの話までしてしまった。早めに欠陥を修整できる事になって、かえってラッキーだったなあと思ったらその日は気分良く眠れたのだった。

 また明日
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東京日記2<演出補>

2007年12月25日 | 東京
 東京拠点“吹田荘”に入居二日目、私の見せ場シーンの稽古があり、新しい演出補が細々新しい演出を示した。実は今回、演出に関して強い要請が役者側から寄せられ、前回の演出顧問の先生が正演出に就かれたのだが、今月初めになって、その先生が病気入院。幸い術後の経過も良く、年明けには稽古を見にいらっしゃるとの事だが、さてそうなると、誰が演出を?という大問題が・・・。

 無論、先の先生ご自身が、信頼する代演出をお立てになった。若手演出家のM氏である。このM氏が、演出補という肩書きで稽古の主導権を握る事になったのだが、この道数十年の俳優が並び居る稽古場は一筋縄ではいかない。しかも皆さん、長年トップ・スターでいらした方々だ。
 M氏は、二日目まではグッと堪(こら)えて、数居る船頭の出方を見ていらした。しかし、再演を繰り返す中で(実は今回が5回目の再演。4回目にして、主演の有馬さん始めほとんどのキャストが入れ替わったのだ)、固定した方向性しか見えなくなっていたこれまでの演出と違い、彼は新鮮な目で作品と役者の動きを捉え、シンプルで的確な指示を出す。そこのところをいち早く感じ取った役者たちは、彼に任せてみようという方に傾き始めた。稽古三日目にして、彼は皆の信頼を得たのだ。

 あくる日は私の稽古はなかったが、不動産屋で借りたチャリ試乗のため稽古場へ。直線なら15分の距離だが山坂越えて20分強かかった。何しろ目的地は成子坂下。名の示すとおり坂の下にあるのだ。 “往きは良い良い、帰りは怖い”だなあと心配したが、まあ何とか通えそうだ。電車より遥かに時間短縮出来るのが有り難い。

 結局稽古を最後まで見て、代役までやらせて頂き、夕方戻ったら超グッタリ。不動産屋で「お茶飲んでいけば」と誘われたが、さすがに辞退して部屋に戻り、どっかと座り込んでしまった。この1ヶ月程、夕方にドッと疲れが来て、立ち上がれなくなるような無力感に襲われる事がよくある。体力の衰えは、体重が激減した事と重なって、誕生日前の身に重くのしかかっているようだ。ああ、また一つ・・・歳は取りたくありません、ハイ。まずは体重を元に戻さねば。
 それには食べるしかない!部屋にある食料をお腹に詰め込み、何とか人心地ついたら、せっかくのお誘いを断って悪かったなあ、と思えてきた。そこへ「元気出た?出たならやっぱりお茶しにおいで。美味しいデザートあるから」と、不動産屋のヒロちゃんから電話が入った。有り難さに思わずホロリ。朝は「おはよう!」で、コーヒーをご馳走してくれ、夜は、7時の閉店前に顔を出すと「お帰りなさい!」と迎えてくれる。このご縁に心から感謝。

 続きは明日
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東京日記<初顔合わせ>

2007年12月20日 | 東京
 初顔合わせ、といっても『蔵のある家』は再演だから、殆どのメンバーは旧知の仲。「やあやあ!」と握手し合って和気藹々(あいあい)の雰囲気の中、改めてメンバー紹介が行われた。

 それぞれの俳優の後には必ず、事務所の方やマネージャーさんも紹介されるのだが、無論私は一人きり。「人村です、よろしくお願いします」と坐ったら、主演の有馬稲子さんが「どちらから?」と、突っ込みをお入れになった。彼女のライフワーク『離れごぜおりん』の作者、水上勉の故郷近くに住む私は、それだけで親近感を持たれているようだ。

 我が福井県は認知度が低いので、紹介する時は必ず、“北陸の”、あるいは“若狭地方の”、はたまた“琵琶湖の上の”、という接頭語を付ける事にしている。で、「北陸の、福井県敦賀市から参りました」と言ったら、新しいメンバーから「?」のリアクション。そりゃそうだ、石を投げれば役者に当たると言われる東京で、誰が好き好んでそんな地の果て(!?)の役者を配役する?

 強いて言えば、私がチケットを比較的多く売るからだろうか。
 役者が多いということは舞台作品もひしめいているという事で、昔からお客様の争奪戦が行われてきた。したがってチケットが売れるというのは金看板になる。
 昔から私は、人を見たらお客と思え、とばかりに販売促進に勤(いそ)しんできた。長い間自立小劇団で苦労したからだ。客が入らなければ赤字になる。赤字になれば劇団員が自己負担するしかない。そんな不毛とも思える事を30年もやってくれば、お客様も「かわいそう」とお思いになるわけで・・・。

 経済だけの問題ではない。苦労して創り上げた舞台を、一人でも多くのお客様に観て頂かなければ意味がないから必死だったのだ。こう考えると、『熊谷ホテル物語』の大入りは本当に有り難かったと思う。かかわった誰もが報われた。

 「好事、魔多し」と言う。良い事の思い出にひたっていては墓穴を掘る。心を引き締めて、勉強あるのみ。
 さあ、今日は稽古三日目。私のシーンがある日だ。いざ稽古場へ、戦場へ。?ちと大げさか、アハ。
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東京日記<プチ引越し>

2007年12月19日 | 東京
 12月16日、大荷物を引きずるようにして目的地へ到着。8年前帰省する直前までアルバイトをしていた不動産屋さんの皆が、大喜びで迎えてくれた。
 ここは、友人のヒロちゃんが就職した会社で、彼女は様々勉強して免許を取得。今では大黒柱として社長やお客様から篤い信頼を得ている。
 私は彼女に勧められて、図々しく「時間のある時だけ」という条件でバイトさせて頂いていたのだ。パソコンの初歩を覚えたのもここである。

 社長は、(不動産の)武者修行時代から、同僚としてヒロちゃんと苦労なさった優しい方だ。もう一人、新潟出身の素敵な女性ルミちゃんも、ピンチヒッターとして復帰していたので、私としては8年間の不在が嘘のような再会となった。最も、ヒロちゃんもルミちゃんも、数年前敦賀に蟹三昧しに来てくれた事があり、何かにつけて、交流は続いていた。私にとって彼らは東京の家族たち、いわば古巣なのである。

 さて、今後の東京生活を支える拠点は会社のすぐ裏手、歩いて1分半くらいの所にある吹田荘だ。名前から連想する通りの昔懐かしいアパートで、下が大家さんのご自宅、2階に4室の貸し部屋がある。このような共同トイレ風呂なしというアパートが、この辺りには結構残っていて、夏前に下見した時3~4軒見せてもらった覚えがある。日大や武蔵野音大が近いので、昔からの住民が持ち家を改造したアパートが今も残っているのだが、結構入居者があって、吹田荘の4室も私で満室。1室には声優さんが住んでいるらしいから、今も昔も役者の生活は厳しいということか。

 ところで私は、重量級の古布団を、日にちを間違えて送ってしまい(17日必着を、27日と書いてあった!)結局、荷を入れるはずの17日はギリギリ粘ったが到着せず、私が稽古に出かけた後、ヒロちゃんと新人男性社員の二人でエッチラオッチラ、外階段を運び上げてくれたそうだ。いつでも何処でも、人に迷惑な粗忽者な私である。

明日に続く。
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つるが大使の会

2007年10月30日 | 東京
 つるが大使の会とは、市外で活躍する各界の敦賀人で構成された会で、現市長の提案で生まれたらしい。現在11名+1名(演歌歌手・香西かおりさん。「居酒屋敦賀」という歌がご縁で番外大使に!?)計12名が在籍している。
 役割は、それぞれの活躍分野において敦賀を広くPRすること。敦賀の振興に係わる意見や情報の提供を行う事。平たく言えば敦賀を外から応援する事である。

 敦賀にどっかり根を降ろし、しかも他の皆さんのように知名度が全国レベルでない私は、やや異色の存在。芸能界でいえば、俳優の大和田伸也・獏兄弟、峰さお理、元プロ野球投手の高橋里志、日本を代表するオペラ歌手の吉田浩之、ジャスダンスの三代真史さんなどが名を連ねる。ホント場違いな私。

 今回多忙な中、東京で開催されたつるが大使の会に無理して出かけたのは、『熊谷ホテル物』の宣伝と、敦賀ではなかなか会えないエキストラ出演者、河瀬市長に稽古スケジュールを渡すため。が、無理して出かけた甲斐あり! 20数年ぶりで獏ちゃんに会えたからだ。同級のよしみで隣に坐った私たち二人は、久々に高校時代に戻って話す事が出来た。

 サラリーマンになるのが嫌で芸能界に入ったのにキャスターの仕事が続いて、「9年間も毎朝8時に出社してる。これじゃまるでサラリーマンだよ」と愚痴る獏ちゃんは、兄の伸也氏に、「こいつ、もう役者じゃなくて、キャスターの顔になっちっゃたろう?」と言われてむくれた。その伸也さんは死んだ三兄と同級。野球の高橋さんは三兄の一年後輩で、「中学の野球部では、お兄さんにしごかれたよ」と。知らなかった・・・。

 そして、大使になってからずっとお会いしたかった山登プロデューサーにも、今回ようやくお会い出来た。彼は私の同級生のお兄さんで、なんとアメリカテレビ界のアカデミー賞といわれるエミー賞の、外国ドキュメンタリー部門賞を取ったことがある凄い人。元NHK社員で、今は外郭団体エンタープライズの重鎮。しかしパッと見は“お兄ちゃん”。つい先日も日本テレビ界の大きなドキュメンタリー賞をお取りになったばかり。病気で長い間リハビリの末現役に復帰した、努力の人でもある。

 その山登氏が、私を見るなり「やあ、あんたのお兄さんとは小学校4、5年の時親友だったんだよ。家にも何度も遊びに行ったよ。彼が亡くなったと聞いた時はショックだった」と親しげに話しかけてきた。この方も三兄の同級!? 思わず目頭が熱くなった。若くして失意の中死んでいった兄に聞かせたかった。「兄ちゃん、皆が兄ちゃんを覚えていて、こんなに懐かしがってる」と。

 全国にたくさんの同郷人が居て、それぞれが有名無名に関係なく精一杯生きている。彼らの中には、幼い頃の敦賀での思い出が、今も鮮明に根付いているに違いない。
 その思い出の中に、死んだ兄が今も、しっかりと生きていることに感動した夜だった。
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