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「蛤山と長老湖ウォーク」
2022年6月19日(日) 晴れ 参加者25名 (会員23名、一般2名)
コロナ禍により、久しくバスの利用を控えていたが、今は落ち着いているとの判断で、今回はバス利用の例会となった。行く先は七ヶ宿町の蛤山と長老湖。大型バスに一席一名の着座で出発した。まるで子どもに返った様なわくわくした気持ちになるのは、バス利用だからだろう。
仙台駅から宮城IC経由で村田ICを降りて遠刈田~不忘経由(みやぎ徒歩ホステリングで良く歩いたコースだ)で七ヶ宿町のやまびこキャンプ場(旧南蔵王青少年旅行村)に向った。現地からの参加者と合流して更に不忘平和記念公園に移動した。
目の前に不忘山の偉容が迫る。太平洋戦争終戦、東京大空襲の3月10日大雪の夜、米B29爆撃機3機が不忘山に墜落した。34名全員がこの地で命を落とした。皆20代前後の若い兵士ばかりだ。なぜ海を遠く隔てたこの地に、命を散らさなければならなかったのだろうか?
その日は東京大空襲の日だった。火の海と化した東京で、人は逃げまどい10万人以上が焼け死んだ。米兵ばかりでなく、戦いで命を奪われた、東京、広島、長崎、沖縄、そして全世界の御霊を悼み、不戦を誓う碑が建立された。国を守ると叫ぶ者により多くの命が犠牲となった。戦いとはそうしたものだ。終戦はそれから約5カ月後の8月15日だった何故3月10日以前に停められなかったのか。その意味で悲惨で壮絶な158日間に何の意味があったのだろうか。すべての御霊に誓う。いかなる戦いも決して致しません。
ここよりA班、B班に分かれての行動となる。A班はやまびこキャンプ場に戻って蛤山を目指す。B班はここから歩いて長老湖と七ヶ宿街道に向かう。私はA班を担当したので、ここからはその行動を記す。
蛤山登山口からは林道の緩やかな登りがつづく。森林伐採用の広い道を40分程歩いて、いよいよ階段の急な登りとなる。第56回国体の時に整備されたそうだ。階段を登りきると尾根にでる。この辺りからブナの大木が現れる。ほとんど手付かずの自然の姿が見事だ。何千年に渡って作り出されている光景は、決して人の手の及ぶものではない。は甘栗山の名称は買いを伏せている姿に似ている事に由来するらしい。ビークが三つある。最高点、山頂、三角点だ。山頂からの展望は得られないが、手前で視界が開ける所がある。今迄の疲れが吹き飛んだ。(山頂には祠と国体記念の記述があります)
山頂での昼食中に雲行きが怪しくなり、雷まで鳴り出した。食事もそこそこに下山を急いだ。幸い雨にはならずキャンプ場に戻れた。湿度が高く風もないでいた。一気に汗が噴き出す。滴る汗をぬぐっていると、地元担当者の奥さんから冷たい物の差し入れがあった。有難い息を吹き返した。程なくしてB班も到着した。こちらも緩やかではあったが、長い登りの七ヶ宿街道に疲れた様子だった。最後は元気に記念写真を撮り帰途に着いた。
小さなアクシデントはあったものの、皆様のご協力で無事例会を終えることが出来ました。有難うございました。 (YD)
長老湖、やまびこ吊り橋付近の案内図も添付します。
なお、今年の「第34回わらじで歩こう七ヶ宿」(七ヶ宿町観光協会主催)は8月28日(日)の開催です。
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