2024年7月26日(金)晴れて真夏でした。今日も暑うございました。
この季節になれば思い出す。日本全土の主な都市が無差別爆撃を受け、多くの人が犠牲になった。といっても私はまだ生まれていない。しかし、伝え聞いた話を思い出さなくてはならない。
本格化したのは1944年(昭和19年)11月から軍需工場関係へ、そしてさらにすさまじい爆撃は1945年春頃から無差別攻撃となる。
アメリカ陸軍航空軍のB-29爆撃機、B-24爆撃機だ。人類史上初の日本への原子爆弾も広島、長崎に投下された。
長く語り継がなくてはならない。
現在の日本には、市が792、東京都区部が23、町が743、村が183ある。
1945年4月1日には、市が207、特別区が35、町が1808、村が8608だった。
当時、アメリカ軍は昭和20年6月15日の第4回大阪大空襲で「指定工業集中地区」の実質的な破壊を完了したとし、さらに空襲攻撃目標として中小都市を含む180都市を人口に基づいて順位付けしリストアップ(中小都市空襲目標地リスト)している。天候等の条件により、時期が延期になったものもあり、必ずしもこの順位に従い実行されてはいない。
180都市というと当時の市クラスの大きな町のほとんどだ。
投下されたのは焼夷(い)弾。
攻撃目標を焼き払うため、ガソリンなど燃焼力の強い物質を詰め込んでいる。
M69焼夷弾とは、米軍が日本の木造家屋を「効率よく焼き払う」ために開発した爆弾。断面が六角形の鋼鉄製の筒(長さ約51センチ、直径約8センチ)にきわめて高温で燃えるゼリー状のガソリンを入れた布袋を詰め、前後2段、計38本を束ねた状態でB29爆撃機から投下。上空約700メートルで分解し、散らばった無数の子爆弾が屋根を貫通して、屋内にとどまって爆発。火の付いた油脂が壁や床にへばりついて燃え、水をかけても消えにくかった。
「空襲・戦災を記録する会全国連絡会議」事務局長 空襲研究の第一人者の話2019年当時の朝日新聞デジタルによる
町内でバケツリレーで屋根に水をかける訓練をやるように強制され、多くの人が大変な思いをして訓練に参加し、結局空襲時にガソリンに水をかけていた。
日本中が焦土と化した。