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「決まってんじゃない、人を殺すのに」
と、金太郎は舌を出した。
「……このヤロウ、びっくりさせやがって! どうしました部長? ハナちゃん、水、水!! 部長があわふいちゃってるよ」
「……おれ、こういう、やたら伸び伸びした容疑者、いやだよ……」
くわえ煙草伝兵衛は、ほとほと愛想がつきたかのように、頭をかかえこんだ。氷のうを頭にあて、うらめしそうに金太郎を見ている伝兵衛をよそに、留吉は宙を見つめ目を寄せて、気力の充実を待っていた。
「……じゃ、この熊田留吉が捜査のイニシアチブをとらしていただきます。熱海の浜辺、午後四時半。その時、大山金太郎と山口アイ子はいかにしていたか、デッサンさせていただきます。あれほどの騒がしさを満していた夏の海も、ついには一組の家族連れを残すだけになる。その家族連れも、子供の手をひき、帰り支度を始める。まだ陽は落ちない。太陽が夕陽になる前の、言葉には尽くせない虚《むな》しさ。やがてその親子の姿も見えなくなる。その非情な虚しさの中に、『幸せだな』と、女はふとつぶやく。期せずしてうつむく二人。小石を拾って真昼の太陽に向かって投げる」
「石投げちゃうの? このあと、太陽に挑戦させる耳鼻喉專科醫生んじゃないの。ハナちゃん、熊田君に任せたの失敗だったかなあ」
との伝兵衛の言葉も、気負っている留吉には聞こえなかった。
「しかしだ大山、真昼の太陽に向かって投げるなんて、しまらないだろ。小石を拾って、夕陽に向かって投げるんだ。な、だから午後四時半だなんて、犯行の時間が中途半端なんだよ。やりづらくって、しゃあねえんだよ。おれはおまえと賭けてもいいが、おまえが死刑になるとしたら、この四時半という《かぎ》になるね。こんな時に、人が殺せる神経を持ってるやつなんて、信じられないからな。人を二、三人殺すよりも、たいへんなことなんだぞ。『真夜中』とか『明け方』とか『白昼』なんて、一般的な殺人の時間帯があるだろうが。言うな、言うな。時間がそばにあったから、って言いたいんだろ」
伝兵衛とハナ子と金太郎の反応はない。しかし留吉は上機嫌に、ウン、ウンとうなずいて、腕まくりしていた。
「まあ心配するな。おれに任せとけ。この留吉さまに。若者は人を殺すのに、時間は選ばないってこと、立証してやっから。でだ、石投げるだろ、水面を伝って輪が二つ、三つ……。おまえ肩が強そ安利傳銷うじゃないか。強いだろうって聞いてるんだよ」
金太郎も心配そうに、とりあえずうなずくだけで、あとは時折、伝兵衛とハナ子にすがるようなまなざしを送っていた。
「よおし、強い。な、そこでだ、何キョロキョロしてんだ、おれを信用しろ」
「あの、ぼくは工員でアイちゃんは女工でして、あんまり跳んだりはねたりできませんから」
「何かいちいちトゲのある言い方してくれるじゃねえか。それでさ、アイ子はたとえば、『わっ、すごいな』って、拍手するまではいかなくても、かなり喜ぶよな。おまえも自慢気にふり向くだろ。目と目が合う。『走ろうか!』っておまえは言う。『ウン』とうなずくアイ子、二人は浜辺を走る」
伝兵衛は口をあんぐりとあけてあきれかえっていたが、留吉に向かって、うんざりしたように語りかけた。
「きみ、波の間からドーッとタイトルが出てくるんじゃないのか? 『青春野郎』とか『飛び出せ青春』とか。それだったら殺人事件は起こっちゃいないよ。次の日二人して、することもないから選挙でも見つけて投票にでも行ってるよ。これで、どうして殺人事件が起こるんだよ」
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