就職活動を始めて、真剣に就職を考えているこの頃。
とても疑問なことがある。
私は、就職したいところに、病気の事実を公表しないといけないのか??
ということ。
「福祉職者=心身ともに健康な人」は大前提である業界で、それをクリアしていなければ、福祉職に就けない。
私は、自分でこれをクリアしていると思っている。
服薬し通院の必要があっても、今の状態を健康と言わないで何と言うのだと思っている。
社会通念上の「健康」とはズレているのかもしれないが、「健康」ってなに??
と聞いてみたい。病気や障害がないこと??
病気はいつ誰にでも起こりうるものであるし、病気の一つや二つで何も出来なくなるとも限らないし、何だかめちゃくちゃに生きてる人よりずっと「健康的」に生きてる病気の人なんかたぁーくさんいると思うけど。
どういうのが「健康」って言うのか、教えてほしい。
採用する側は、もちろん、病気の人とそうじゃない人がいれば後者を選ぶだろう。
だから、「病気以外に不利なことがあってはいけない。人並みの努力だけでは足りないんだ」と思ってきた。病院の先生からも「もともと不利」「だから一生懸命、勉強しなさい」というようなことを言われてきた。
それは大事なことではあるけれど、病気の人が社会にあわせていこうとするだけ・・。社会は、こういう病者を理解しようとはしてくれないのか。
障害者採用というものがある。少しずつだけれど、障害のある人に対する理解は広まっていっている世の中。それでも、障害のある人も病者も、健康社会にはまるようにしないと、そこでは生きれない。そうするしかない社会の現状に悲しくなる。
去年読んだ本に、「生産性を上げるために活躍できる機械だけが残り、使えない機械、壊れた機械は捨てられる社会=病者や障害者が排除される社会」・・そんな内容が書いてあったのを思い出した。
このことを考えていて、どうして不利になる情報をあえて公表する必要があるのだと思った。私にとっては意地悪としか思えない社会。そこへ出て行くのに、なぜ、健康診断書?既往歴?
「健康」な人であることを確認するためにあるそれを、正直に出したら、病者であることが前提で、私という人物を見られてしまうのではないか?
しかも、あまりメジャーではない、病名だけ聞くといかにも面倒くさそうな・・
そんなのだと、言葉のイメージだけが勝手に先行すると思う。
専門家がやっと分かるような病気なんていっぱいあるわけだから・・。
私は自分の病気が本屋に売ってる家庭用医学書・看護の専門書にも、載ってるのを見たことがない。そんな病気を、無知な人に、不利な扱いをされるために公表するなんてバカみたい。そう思えてきて、就活中ウソをつき通すか、本当に理解してくれるところを探すか・・迷っている。
ただ、私がMSWになりたいと思ったのは病気があるからなので、隠し通すということになると、「なりたいMSW」になれなくなってしまうなぁ・・とも思う
とても疑問なことがある。
私は、就職したいところに、病気の事実を公表しないといけないのか??
ということ。
「福祉職者=心身ともに健康な人」は大前提である業界で、それをクリアしていなければ、福祉職に就けない。
私は、自分でこれをクリアしていると思っている。
服薬し通院の必要があっても、今の状態を健康と言わないで何と言うのだと思っている。
社会通念上の「健康」とはズレているのかもしれないが、「健康」ってなに??
と聞いてみたい。病気や障害がないこと??
病気はいつ誰にでも起こりうるものであるし、病気の一つや二つで何も出来なくなるとも限らないし、何だかめちゃくちゃに生きてる人よりずっと「健康的」に生きてる病気の人なんかたぁーくさんいると思うけど。
どういうのが「健康」って言うのか、教えてほしい。
採用する側は、もちろん、病気の人とそうじゃない人がいれば後者を選ぶだろう。
だから、「病気以外に不利なことがあってはいけない。人並みの努力だけでは足りないんだ」と思ってきた。病院の先生からも「もともと不利」「だから一生懸命、勉強しなさい」というようなことを言われてきた。
それは大事なことではあるけれど、病気の人が社会にあわせていこうとするだけ・・。社会は、こういう病者を理解しようとはしてくれないのか。
障害者採用というものがある。少しずつだけれど、障害のある人に対する理解は広まっていっている世の中。それでも、障害のある人も病者も、健康社会にはまるようにしないと、そこでは生きれない。そうするしかない社会の現状に悲しくなる。
去年読んだ本に、「生産性を上げるために活躍できる機械だけが残り、使えない機械、壊れた機械は捨てられる社会=病者や障害者が排除される社会」・・そんな内容が書いてあったのを思い出した。
このことを考えていて、どうして不利になる情報をあえて公表する必要があるのだと思った。私にとっては意地悪としか思えない社会。そこへ出て行くのに、なぜ、健康診断書?既往歴?
「健康」な人であることを確認するためにあるそれを、正直に出したら、病者であることが前提で、私という人物を見られてしまうのではないか?
しかも、あまりメジャーではない、病名だけ聞くといかにも面倒くさそうな・・
そんなのだと、言葉のイメージだけが勝手に先行すると思う。
専門家がやっと分かるような病気なんていっぱいあるわけだから・・。
私は自分の病気が本屋に売ってる家庭用医学書・看護の専門書にも、載ってるのを見たことがない。そんな病気を、無知な人に、不利な扱いをされるために公表するなんてバカみたい。そう思えてきて、就活中ウソをつき通すか、本当に理解してくれるところを探すか・・迷っている。
ただ、私がMSWになりたいと思ったのは病気があるからなので、隠し通すということになると、「なりたいMSW」になれなくなってしまうなぁ・・とも思う
障害をもつ人、病気をわずらっている人が
どんなにがんばったとしても
この今の社会に突き進むのは、限界があるのかもしれないね。
「うまくいきること」ってすごい深い意味あるね…。
だって「うまく」だよっ!!
なんでふつうっていうか…ふつうってことば悪いけど、
生きられないのかって。
先生は壁にぶち当たっても乗り越え続けなきゃって
ことばでは簡単に言えるけど、
実際はむずかしいのかな…。
なんか、いつものkiraさんとちがくて、
うしろ向きなkiraさんが悲しくて…。
でも、いつも人間元気でいられるわけじゃないし、
気分がよくないときもあるんだから、
ちょっとkiraさんに
前向きなよ、みたいなこと言ったの
後悔した。
あのときは、kiraさんの想いを聴くだけでよかったかもな☆(>_<☆)
なんかひとりごとみたいだけど…笑
またね(*^_^*)
忘れないうちに、ノーマライゼーションの話だけしていい??
ミケルセンは、障害者の捉え方を「生きる社会に障害を感じるから、その人が障害者になってしまう」
と言った。足の悪い人がでこぼこ道にさしかかったから、それが「障害」になり、耳の悪い人に情報が届かなかったから、それが「障害」となる・・ていう話。
それが忘れられないの。
もちろん、当事者としては受身の姿勢ではいけないと思うけど、現実はそんな社会。
障害・病気の人は少数派なわけだから、社会が健康な人の社会であるのは当然なんだけど・・。
障害を感じる・病気を感じる、そういう社会だから、障害者になり、病者になってしまう。
でも、その社会で生きていかなければいけない。
>自分から突き進む
って、たくちゃんが書いてるように、そうするために、「うまく生きていくこと」を、考えることが必要だと思ったの。
伝えたいことが伝わる状況にするために、どうしようか・・?
って考えてるよ
とにかく今日は無理せずに
お出かけを楽しんできて☆
また直接会ったとき話そう。
うん。無理しないで(>_<☆)
kiraさんもわかっていることを
またくり返してごめん。
わかってるよ!っていいたくなっちゃうよね。
このことは今考えなくていいから、
お出かけ楽しんできて☆
コンサートのチケットなんもかんもやってもらっちゃってごめんね(>_<)
ありがとう(*^_^*)
受け身になってると思うし、この間と言ってることが違うし、病気に逃げてる考えだとも思う…
実際に、働けないでいる事実を知ったり、過去の経験を思い出したりすると、どうしてもこういう考えの方が強くなっちゃって‥
でも、たくちゃんの言うとおりなの。「伝える」をしないといけないの。
私がそれを面倒に思ってるから、前に進まないのもよくわかってるんだぁー
うまくまとめられないから、また今度話すー
そういう不利になることがあったとしても
自分はこうゆう病気だけれど、
こうこうすれば周りの人と同じように
仕事ができるし、
もし、仕事に支障がでるようになった場面でも
こういう風に対応するだとか、
こうやって自分なりに対処していく、
だから、わたしはここでMSWの仕事をしたいんです。
って、まずは、
「伝える」ことなんじゃないかな…。
伝えてみなければわからないこと
いっぱいあると思う。
自分の病気はたぶんわかってもらえない、じゃなくて、
わかってもらおうって精神なんじゃないかな。
正直、kiraさんからこのことばが出てくるとは
今まで思ってなかった。
なんだか、うしろむいちゃってる気がするよ…。
障害や病気をもっているから、周りの人が歩み寄ってくるのを待ってるんじゃなくて、
障害や病気をもっていても、自分から突き進むんじゃないかな。
kiraさん、前にノーマライゼーションへの疑問、話してくれたよね?それになんかつながると思うんだ。