令和3年8月第3週は16日(月曜日)から20日(金曜日)までの5日
財務省ホームページを見ると当該期間中には8月19日(木曜日)の第1016回国庫短期証券で約2兆8,441億円、同日実施の第340回流動性供給入札で約4,990億円、第1017回国庫短期証券で約4兆600億円の国債等が発行された。同ホームページによると発行利率はどれもマイナス0.1%付近となっている。同期間内には20日(金曜日)に1年物の割引短期国庫債券3兆5,000億円が償還されている。政府債務(国債)の発行額(政府債務の増加)から償還(政府債務の減少)を差し引いた資金移動(政府による資金の吸収)をみると約3兆9千億円の吸収超過(政府債務の増加)になる。この事実を以て財政均衡優先(緊縮財政)論の優位性を主張することもできるが、ただ、例を1017回国庫短期証券に取ると応募額が20兆4,062億円で募入決定額が4兆612億4,000万円、募入最高利回りがマイナス0.1162%とある。日銀による異次元緩和の影響で国債が歴史的な低金利を継続している現在だからの結果なのかも知れないが、財政均衡が恰も不動の真理であるかのような主張には慎重であるべきだろう。
ニューヨーク市場の同期間のダウ平均は安値34,690ドル23セント、高値35,490ドル83セントとなった。10年物米国債の金利は概ね1.36%付近で推移した。市場ではテーパリング開始観測が台頭しているようだが、一方で新型肺炎感染拡大による経済失速懸念も台頭しつつあるようで、期待と不安が綱引きしている状態らしい。週足でみると9週移動平均線を下回っていて13週平均線も何となくフラット化しつつあるところからすると天井感が台頭しつつあるのではないか。アメリカ企業の決算発表を見ると予想を大幅に下回ることはなさそうだが、絶好調でもないようだ。
東京証券取引所第1部はこの期間内に国民の祝日等はないことから5営業日となった。
同期間内の最高値は16日(月曜日)高値の27,833円21銭、最安値は20日(金曜日)安値の26,954円81銭で、週間の高値から安値を引くと878円40銭となる。上にも書いたが日銀の大規模金融緩和が継続されているから国債金利の指標性は事実上、喪失されていて10年物日本国債の金利もほぼマイナスを維持している。テクニカル的にはボリンジャバンドのMAが25日として27,530円付近にあること、ストキャスティクスが反発の傾向を見せるなどして、ここもとの急激な下落には一端、歯止めがかかりつつあるか。
18日(水曜日)に7月期貿易統計(速報値)並びに6月期機械受注が発表された。貿易統計については輸出、輸入ともに前年同月比で増加して、輸出から輸入を差し引いた貿易収支は約4,410億円の黒字を確保した。また、機械受注は4ヶ月ぶりに前月比で減少したが、幅広い分野からの受注の回復傾向が見られる。で、この日の日経平均は終値で27,585円91銭で週またぎで5日ぶりに陽線で引けた。もっとも、これ以降も引き続き日経平均は下落し続けているわけで、売り圧力はまだ残っているようだ。
さきごろ閉幕したオリンピック東京大会は誘致の過程で我が国の実務担当者が金銭を国際オリンピック委員会の複数の担当者に授与した疑惑が指摘される等、生気の祝祭には似つかわしくない話題が絶えなかった。しかも開幕直前になって過去の不適切言動が問題となって複数の担当者が辞任に追い込まれるなど正に満身創痍となってたどり着いた開会式だったと思う。Yahoo!トップなどを見ると主として西欧諸国とアメリカの選手や報道関係者の寄せる好意的な意見が紹介されているが、だからといって、この大会を開催した意義が何処にあるのかが僕には分からない。
僕は今年で53歳になった。
僕が大学生だった平成の初め頃、既に西欧の一部の国やアメリカを褒めそやす出羽守的言説やその主を僕達は斜めに見る空気はあった。少なくとも彼ら彼女らの見解を支持して、「日本も早く西欧諸国やアメリカのような国になりましょう」という空気は少なくとも僕の周囲にはなかった。今のようにインターネットで個人が容易く意見を開陳し交流しあう手段は無かったから僕の感じた空気が日本の全体の空気と一致していたかどうかは心許ないが、ただ、所謂、文系の学部で学ぶ大学生達が例えばマックス・ウェーバーやフェルディナント・テンニースの著作に触れようともしないことは一般的に見られた現象だと思う。実社会が不動産と有価証券のバブルに踊っていたから、その空気が大学にも伝わったという解釈も正鵠を射ているのだろとは思うが、それだけが原因では無いと思うのだ。ただ、あの頃の言論界の上の人たちは旧制高校を卒業して旧制大学に進んだ人が多かったであろうと思う。当然、彼らにとって例えば英米独仏あたりの文物は青春の思い出としてその内面に色濃く残っていることだろう。平成の初め頃の論壇がそれら西欧とアメリカを崇拝の対象としていたことも、だから、やむを得ないことなのだとは思う。そして、その空気は、なおも日本社会に色濃いと僕は思う。
そろそろ日本は勝手に一部西欧諸国やアメリカから賞賛されることを求める体質を改めるべきではないのか。無論、今の中国の軍備増強路線を見るにつけ米英独仏等と連携せずに日本単独で中国に対して独立を維持できるほど国際政治は寛容ではないことは僕も何となく分かる。また、民族主義にも、「民族」が政治装置としか思えないから、違和感を覚える。そうではなくて、日本にとって何が必要か、そして、そもそも日本とは何か、を真剣に問う営みが無いままに「世界中の皆が見ている」から受け入れるということに、まるで靴の中に小石が入ってしまったときのような違和感を覚える。
財務省ホームページを見ると当該期間中には8月19日(木曜日)の第1016回国庫短期証券で約2兆8,441億円、同日実施の第340回流動性供給入札で約4,990億円、第1017回国庫短期証券で約4兆600億円の国債等が発行された。同ホームページによると発行利率はどれもマイナス0.1%付近となっている。同期間内には20日(金曜日)に1年物の割引短期国庫債券3兆5,000億円が償還されている。政府債務(国債)の発行額(政府債務の増加)から償還(政府債務の減少)を差し引いた資金移動(政府による資金の吸収)をみると約3兆9千億円の吸収超過(政府債務の増加)になる。この事実を以て財政均衡優先(緊縮財政)論の優位性を主張することもできるが、ただ、例を1017回国庫短期証券に取ると応募額が20兆4,062億円で募入決定額が4兆612億4,000万円、募入最高利回りがマイナス0.1162%とある。日銀による異次元緩和の影響で国債が歴史的な低金利を継続している現在だからの結果なのかも知れないが、財政均衡が恰も不動の真理であるかのような主張には慎重であるべきだろう。
ニューヨーク市場の同期間のダウ平均は安値34,690ドル23セント、高値35,490ドル83セントとなった。10年物米国債の金利は概ね1.36%付近で推移した。市場ではテーパリング開始観測が台頭しているようだが、一方で新型肺炎感染拡大による経済失速懸念も台頭しつつあるようで、期待と不安が綱引きしている状態らしい。週足でみると9週移動平均線を下回っていて13週平均線も何となくフラット化しつつあるところからすると天井感が台頭しつつあるのではないか。アメリカ企業の決算発表を見ると予想を大幅に下回ることはなさそうだが、絶好調でもないようだ。
東京証券取引所第1部はこの期間内に国民の祝日等はないことから5営業日となった。
同期間内の最高値は16日(月曜日)高値の27,833円21銭、最安値は20日(金曜日)安値の26,954円81銭で、週間の高値から安値を引くと878円40銭となる。上にも書いたが日銀の大規模金融緩和が継続されているから国債金利の指標性は事実上、喪失されていて10年物日本国債の金利もほぼマイナスを維持している。テクニカル的にはボリンジャバンドのMAが25日として27,530円付近にあること、ストキャスティクスが反発の傾向を見せるなどして、ここもとの急激な下落には一端、歯止めがかかりつつあるか。
18日(水曜日)に7月期貿易統計(速報値)並びに6月期機械受注が発表された。貿易統計については輸出、輸入ともに前年同月比で増加して、輸出から輸入を差し引いた貿易収支は約4,410億円の黒字を確保した。また、機械受注は4ヶ月ぶりに前月比で減少したが、幅広い分野からの受注の回復傾向が見られる。で、この日の日経平均は終値で27,585円91銭で週またぎで5日ぶりに陽線で引けた。もっとも、これ以降も引き続き日経平均は下落し続けているわけで、売り圧力はまだ残っているようだ。
さきごろ閉幕したオリンピック東京大会は誘致の過程で我が国の実務担当者が金銭を国際オリンピック委員会の複数の担当者に授与した疑惑が指摘される等、生気の祝祭には似つかわしくない話題が絶えなかった。しかも開幕直前になって過去の不適切言動が問題となって複数の担当者が辞任に追い込まれるなど正に満身創痍となってたどり着いた開会式だったと思う。Yahoo!トップなどを見ると主として西欧諸国とアメリカの選手や報道関係者の寄せる好意的な意見が紹介されているが、だからといって、この大会を開催した意義が何処にあるのかが僕には分からない。
僕は今年で53歳になった。
僕が大学生だった平成の初め頃、既に西欧の一部の国やアメリカを褒めそやす出羽守的言説やその主を僕達は斜めに見る空気はあった。少なくとも彼ら彼女らの見解を支持して、「日本も早く西欧諸国やアメリカのような国になりましょう」という空気は少なくとも僕の周囲にはなかった。今のようにインターネットで個人が容易く意見を開陳し交流しあう手段は無かったから僕の感じた空気が日本の全体の空気と一致していたかどうかは心許ないが、ただ、所謂、文系の学部で学ぶ大学生達が例えばマックス・ウェーバーやフェルディナント・テンニースの著作に触れようともしないことは一般的に見られた現象だと思う。実社会が不動産と有価証券のバブルに踊っていたから、その空気が大学にも伝わったという解釈も正鵠を射ているのだろとは思うが、それだけが原因では無いと思うのだ。ただ、あの頃の言論界の上の人たちは旧制高校を卒業して旧制大学に進んだ人が多かったであろうと思う。当然、彼らにとって例えば英米独仏あたりの文物は青春の思い出としてその内面に色濃く残っていることだろう。平成の初め頃の論壇がそれら西欧とアメリカを崇拝の対象としていたことも、だから、やむを得ないことなのだとは思う。そして、その空気は、なおも日本社会に色濃いと僕は思う。
そろそろ日本は勝手に一部西欧諸国やアメリカから賞賛されることを求める体質を改めるべきではないのか。無論、今の中国の軍備増強路線を見るにつけ米英独仏等と連携せずに日本単独で中国に対して独立を維持できるほど国際政治は寛容ではないことは僕も何となく分かる。また、民族主義にも、「民族」が政治装置としか思えないから、違和感を覚える。そうではなくて、日本にとって何が必要か、そして、そもそも日本とは何か、を真剣に問う営みが無いままに「世界中の皆が見ている」から受け入れるということに、まるで靴の中に小石が入ってしまったときのような違和感を覚える。