カゴシマドライブ

鹿児島を中心に、史跡や風景撮った写真を、コメントと一緒に紹介しています。

聖神社 @鹿児島市四元町

2018年11月25日 | 神社

この3連休、ようやく購入したFire TV Stickで「Nのために」を見終わったので、

録り溜めていたドラマ「中学聖日記」を一気見しました。(7話目までだけど)

 

主人公の有村架純さんが演じる役名「末永聖(ひじり)」。

登場人物が「ひじり」「ひじり」と呼ぶたびに、私はこの神社を思い出します。

 

 

「聖(ひじり)神社」。

そのまんま。

 

 

別角度から。

この近くに、以前飼っていたワンコのお墓があり、お墓参りに行くたびに気になっていた神社でした。

 

 

鋼材の鳥居。比較的新しいような気もします。

 

木の根がはびこる階段。

 

木の根を避けながら階段を登ろうとするけど、これがなかなかムズイ。

石段の幅も狭いので、よろけながら登りました。

 

 

 


階段を登り切ると拓けた場所が。

神社の由来があります。見ましょ見ましょ。



聖神社

祭神 素戔嗚尊
御神体 鏡と木像
創建年 天文4年(1534年)

この神社は、平谷へ通ずる道路より下にあったものを、現在の位置に遷座されたもので、今日では四元地域の氏神として管理されている夏の例祭時(6月)には、6月橙があり、神前に備えた御幣を四元地域への入口三ケ所に立てて、悪疫の侵入を防ぐ習慣は古くから引き継がれており、町内ではここだけに伝わる特殊な習慣である。また、秋の例祭時(10月)には、祭りをしています。

(指定外・記念物)
平成13年12月1日
鹿児島市教育委員会

 

あのですよ。

地域への入口3か所に御幣を立てるとか、悪疫の侵入を防ぐとか、なんかワクワクしません?

なんだかミステリーっぽい!金田一耕助っぽい!(わたしの考えが悪疫ですねすみません)


ちなみに、もともとこの神社は「平谷へ通ずる道路より下にあった」とあります。

現在の「四元水の手の田の神」の場所を説明するときに「聖神社から平谷に通ずる道路の左下にある」と言います。

ということは、その田の神さあがいる場所にもともとの聖神社があったということなのでしょうか。

「四元水の手の田の神」から現在の聖神社までは約500m。ほぼ道路沿いに田の神があります。

 

 

別角度から。

枝を落とした杉の木が、神社の結界みたいじゃないですか。


ほら。


一緒に行った母が先にお参り。

最初に見た鳥居と違って本殿は年季が入ってますね。塗料がとれかけている。

 

別角度から。

 

石灯籠と手水鉢です。

 

郷土史を見てみます。

※神社創建は1534年

室町時代1535年(天文4年) 第14代島津家当主・島津勝久  
四元山ノ神宮石燈篭及聖神社石灯篭奉納

安土・桃山時代1565年(永録8年) 第15代島津家当主・島津貴久
直木村四元 聖神社拝殿造営

江戸時代1667年(寛文7年) 第18代島津家当主・島津家久
奥門名頭石塚伝右衛門、四元の聖神社再興

 

貴久の時代に拝殿造営し、家久の時代に神社再興される。

父子の関係や四兄弟に想いを馳せながら、神社を後にします。

 

階段の途中にあった案内柱。階段を下るときに気づいた。

 

永禄8年に拝殿造営の棟札と寛文7年に再興した棟札があり、又天文4年に奉納の石灯籠
から推計しすでに460年以上経過している古い社である。祭神素戔之雄命

鹿児島市教育委員会

 

先ほどの鳥居。

 

 

皇紀2672建 ですので、西暦2012年に寄進建立された鳥居だったのですね、どうりで!

2012年以前の鳥居を見てみたいですね。

そもそも鳥居があったのかな?

 

聖神社(ひじりじんじゃ)
鹿児島市直木町908
駐車場なし 

 

2017年3月撮影


西郷さんの愛犬・ツンの銅像 @藤川天神

2017年03月07日 | 神社

久しぶりに東郷町の藤川天神へ。




この日は、臥竜梅も花がポツン、ポツン、と咲いているだけ。




境内にあるツンの銅像をじっくりと眺めてきました。












平日の午後だったので他に参拝客はおらず…




ツンの真横に立ってみたり、









ツンの真後ろにまわってみたり、






ツンをしたから眺めてみたり、






足などをアップで撮ってみたり、



5円玉があるね。




銅像の下には水鉢。の中に小銭が。






この銅像はツンのほぼ等身大。

中村晋也先生の作品です。








西郷どんとツンの由来

明治七・八年ごろ 藤川天神に参詣の西郷どんは
藤川牧野の前田善兵衛が飼っていた名猟犬ツンを見て懇望した
ツンは 虎毛の左尾の牝犬で兔狩りの逸物であった
三原隼太なる人を経て贈られた西郷どんは喜び
自分の乗馬を三原に与え 前田には 金二十貫を与えた
その後 ツンは はるばる藤川を慕って 二度も帰ったと言い伝えられている。
NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」を機に110年を経た今「ツンの像」を建てる

平成二年 二月吉日 西郷隆盛愛犬「ツン」銅像建設委員会





ツン、思うところがあって、ひとりで(一匹で)藤川に帰ったのね…

それにしても、犬の帰郷本能というのはすごいですね。




こんな話もあります。



  ・西郷隆盛が明治10年役の陣中で黒毛とかや毛の犬を飼っていた。(西南戦争真っ最中)
  ・黒毛は佐志郷出身(現在のさつま町付近)、かや毛は小山田郷出身だった。
  ・薩軍が官軍から可愛嶽(宮崎県延岡市)へ追い詰められ、決戦の覚悟をした西郷さん。
  ・7月7日、2匹の頭を撫でて「帰りなさい」と愛犬を逃がした。
  ・その時の西郷さんの大きな両眼は涙でうるんでいた。
  ・9月24日・城山陥落(西郷さん自害)の前夜、黒毛が故郷・佐志の当初の飼い主・押川甚五左衛門さんの家に帰ってきた。
  ・押川さんは驚くも大変喜ぶが、その後西郷さんの死を聞く。
  ・かや毛は行方知れず。
     参照「南洲翁逸話」「西郷どんと愛犬物語」




先日古書店で購入した、西郷どんと愛犬物語。



この本にも西郷さんとツンのお話が載っています。

そのほかにも西郷さんがいかに狩猟犬に執着していたかが分かる内容です。

おすすめです。






薩摩川内市のホームページ「薩摩川内観光物産ガイド・こころ」では、ツンの子孫の写真も見ることができます。

リンク貼っておきます。

⇒ https://satsumasendai.gr.jp/feature/saigospots/



撮影日:2017/2/1

厄払い2017 @花尾神社

2017年03月01日 | 神社

今年も厄払いのために花尾神社にお世話になりました(^^)/













島津家代々の守護神
 稲荷大明神
 春日大明神







丹後局 七百年 今に局の み命の 春は花さき 秋はみもぢ葉 尚義

安田尚義さんの歌碑です。

出身は宮崎県高鍋町、ご先祖様は高鍋藩秋月氏に仕えた狩野派の絵師である安田義成で、代々高鍋藩の絵師を務めた家柄。
旧制第一鹿児島中学校で教鞭をとり、歌誌『山茶花』の創刊を主宰する文筆活動も行ったそうです。
(Wikipedia参照)

う~ん。。。わたし、短歌や俳句などは本当に疎く、今のところ全く興味が湧かないんですよね。。。

いつの日か冨士眞奈美さんと吉行和子さんのようにおさんぽ俳句をしてみたいものです。。。




鹿児島市吉野「原五社神社」

2015年09月04日 | 神社

先日、桜島の噴火警戒レベルが「3」になりました。

桜島が大噴火するのではないかと言われていましたが、どうやら落ち着きを取り戻したようです。

とはいえ、自然災害はいつ、突然やってくるか分かりません。


今回の桜島の件で、改めて活火山がある街に住んでいることを自覚しました。





で、桜島の大噴火をなんとか阻止しようと、ある神社にお願いに行ってきました。


私などにできるのは神頼み、のみ!





というわけで、吉野町にある「原五社神社」に行ってきました。



ゲートボール場に隣接されてます。
いや、逆ですね。神社にゲートボール場が隣接されています。←どっちでもいい


左に何かの石碑、右に神社。


大きな文字で原五社神社とあります。

小さな神社です。





実は、この鳥居がある桜島の有名な神社も「原五社神社」だってご存知でしたでしょうか。




桜島の黒神地域にある「原五社神社」の埋没した鳥居です。

撮影したのは15年くらい前ですが(汗


地図帳には「腹五社」とありますがもともとは「原」表記だったそうです。





桜島の安永の大噴火があった際に、この吉野地域に移住した方々が、黒神地域にある原五社神社の祭神をこの地に奉斎したとのこと。






ご祭神は、

 瓊瓊杵尊
 木花開耶姫命
 彦火々出見尊
 鵜萱葺不合尊
 玉依姫命

有名な神様が勢ぞろい。





さて、お参りしましょう。

桜島の大噴火が起こりませんように。。。











下の道路から神社までの階段。下からものすごい風が吹き抜けてきます。




















桜島がきれいにみえます。
ほぼ車通りもないのですが、時折車で通りがかった人が写真を撮っていました。


下を見ると、国道10号線の竜ヶ水付近が見えます。

気合入れるため花尾神社へ ^-^

2014年08月17日 | 神社


えー、本日でお盆休みも終了ー!ということで、気合を入れるために毎年お世話になっている花尾神社に行ってきました。

朝の新鮮な空気でお参りするために8時ごろ到着です。


田んぼの中に建つ真っ赤な鳥居が花尾神社の入口です。




ここから道なりにちょっと狭い道を走ると到着です。




愛すべき花尾神社です。



周りは背の高い木々に囲まれています。




手水で清めて…




階段を上ります。




左には車お祓い場が。




階段途中で後ろを振り返るとこんな風景。




神社を囲っている石柱には苔や経年劣化が見られます。いい味出してますね。





それはそうと、なぜここの神社をお慕い申しているのかといいますと、父が自営業し始めた時に商売繁盛の祈願をしてから上り調子だったこともあり、そのおかげで私立の学校を出してもらえたからです。

あれ、ちょっとリアルすぎましたかね。




そしてこの神社の雰囲気もとっても好きなんですよ。








杉林に囲まれた朱色の神社。

新鮮な空気が吸えて「よしっ!がんばろう!」って気持ちにさせてくれるんですよね。


この神社の裏手山に源頼朝の像があると何かで読んだことがあるのですが、本当にあるんですかね。

あるなら見てみたい気も。

というのも、こうやって日本史が好きになったのも、そもそも中学の日本史の先生が源頼朝のオモシロエピソードを話してくれたからなんです。


さて、お参り済ませて気合入ったし、また明日から仕事がんばろ´▽`



【以下花尾神社案内板】

 花尾神社
 鹿児島市花尾町4043番地

 種類    有形文化財(建造物)
 指定文化財 花尾神社社殿・花尾神社墓石塔群
 指定年月日 昭和55年2月25日


 花尾神社は藩祖島津忠久公が薩隅日三州の守護職に任ぜられ下向したおり、健保6年(1216年)頼朝公の尊像を
 花尾山の麓に安置したのが創建の時と言われている。
 花尾大権現廟記によると、忠久公は母の丹後局と養父惟宗廣言を薩摩に迎え、廣言を市来の地頭職に任じ、丹後局に
 満家院の厚地村と東俣村を与えたということである。
 丹後局は安貞元年(1227年)に亡くなり、遺言によってこの地に葬られ、別当寺の平等王院等を建立した 僧「永
 金」もまたこの地に祀られ、歴代藩校を初め厚くこれを尊崇した。
 現在の社殿は、正徳三年(1713年)の建造で極彩色の権現造り、拝殿等の格子天井には四百余枚の植物が描かれ、
 組物は出組と平三斗組で、蟇俣とそこに描かれた牡丹の絵、また幣殿や向拝の彫刻や装飾は壮麗で工芸美術の粋を集め
 高尚にして格調高く、別名「さつま日光」とも言われている。
 拝殿や幣殿には、藩や家臣をはじめ、琉球などから贈られた扁額など多数が揚げられ、文化的・歴史的に優れた価値の
 ある文化財である。

 祭神
   相殿祭神 清和天皇
   主神   源頼朝・丹後局
   従祀神  僧「永金」

 神社の宝物や祭典
   宝物 丹後局の宝剣 一振、御鏡 三面
      源頼朝公御笏、御真筆 二幅、御髪毛入
      花尾大権現廟記 その他数点

 主な祭典
      歳旦祭   1月1日
      祈年祭   3月21日
      例祭    4月8日
      六月灯祭  7月(第三土曜日)
      御局年忌祭 9月23日
      新嘗祭  11月23日

 その他
   摂社に稲荷神社、春日神社、参道上に丹後局墓塔群、参道下には丹後局の御灰塚、茶毘所跡等がある。

                                    鹿児島市教育委員会