カゴシマドライブ

鹿児島を中心に、史跡や風景撮った写真を、コメントと一緒に紹介しています。

気合入れるため花尾神社へ ^-^

2014年08月17日 | 神社


えー、本日でお盆休みも終了ー!ということで、気合を入れるために毎年お世話になっている花尾神社に行ってきました。

朝の新鮮な空気でお参りするために8時ごろ到着です。


田んぼの中に建つ真っ赤な鳥居が花尾神社の入口です。




ここから道なりにちょっと狭い道を走ると到着です。




愛すべき花尾神社です。



周りは背の高い木々に囲まれています。




手水で清めて…




階段を上ります。




左には車お祓い場が。




階段途中で後ろを振り返るとこんな風景。




神社を囲っている石柱には苔や経年劣化が見られます。いい味出してますね。





それはそうと、なぜここの神社をお慕い申しているのかといいますと、父が自営業し始めた時に商売繁盛の祈願をしてから上り調子だったこともあり、そのおかげで私立の学校を出してもらえたからです。

あれ、ちょっとリアルすぎましたかね。




そしてこの神社の雰囲気もとっても好きなんですよ。








杉林に囲まれた朱色の神社。

新鮮な空気が吸えて「よしっ!がんばろう!」って気持ちにさせてくれるんですよね。


この神社の裏手山に源頼朝の像があると何かで読んだことがあるのですが、本当にあるんですかね。

あるなら見てみたい気も。

というのも、こうやって日本史が好きになったのも、そもそも中学の日本史の先生が源頼朝のオモシロエピソードを話してくれたからなんです。


さて、お参り済ませて気合入ったし、また明日から仕事がんばろ´▽`



【以下花尾神社案内板】

 花尾神社
 鹿児島市花尾町4043番地

 種類    有形文化財(建造物)
 指定文化財 花尾神社社殿・花尾神社墓石塔群
 指定年月日 昭和55年2月25日


 花尾神社は藩祖島津忠久公が薩隅日三州の守護職に任ぜられ下向したおり、健保6年(1216年)頼朝公の尊像を
 花尾山の麓に安置したのが創建の時と言われている。
 花尾大権現廟記によると、忠久公は母の丹後局と養父惟宗廣言を薩摩に迎え、廣言を市来の地頭職に任じ、丹後局に
 満家院の厚地村と東俣村を与えたということである。
 丹後局は安貞元年(1227年)に亡くなり、遺言によってこの地に葬られ、別当寺の平等王院等を建立した 僧「永
 金」もまたこの地に祀られ、歴代藩校を初め厚くこれを尊崇した。
 現在の社殿は、正徳三年(1713年)の建造で極彩色の権現造り、拝殿等の格子天井には四百余枚の植物が描かれ、
 組物は出組と平三斗組で、蟇俣とそこに描かれた牡丹の絵、また幣殿や向拝の彫刻や装飾は壮麗で工芸美術の粋を集め
 高尚にして格調高く、別名「さつま日光」とも言われている。
 拝殿や幣殿には、藩や家臣をはじめ、琉球などから贈られた扁額など多数が揚げられ、文化的・歴史的に優れた価値の
 ある文化財である。

 祭神
   相殿祭神 清和天皇
   主神   源頼朝・丹後局
   従祀神  僧「永金」

 神社の宝物や祭典
   宝物 丹後局の宝剣 一振、御鏡 三面
      源頼朝公御笏、御真筆 二幅、御髪毛入
      花尾大権現廟記 その他数点

 主な祭典
      歳旦祭   1月1日
      祈年祭   3月21日
      例祭    4月8日
      六月灯祭  7月(第三土曜日)
      御局年忌祭 9月23日
      新嘗祭  11月23日

 その他
   摂社に稲荷神社、春日神社、参道上に丹後局墓塔群、参道下には丹後局の御灰塚、茶毘所跡等がある。

                                    鹿児島市教育委員会



 

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