花、昆虫、風景など

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備長炭公園に寄ってきました

2018年11月20日 | Weblog
備長炭公園、これも想い出の工事の一つです。

公園の造成は開放型の盛土でした。

しかも盛土厚が極端に薄い部分が数多くあり工事費も限られていました。

盛土材は現場内の山から調達することになっていました。

炭窯は元々の耕地の段差を利用して法面を背に建設するイメージでしたが、事務担当者が高さを色々変えて指示を出してくるので、その度に流土曲線が変わり工事費も大きく動くので余分な労力を強いられました。

最後には自分でやれと言いたいくらいの要求の変化でしたが、それくらい簡単に出来んのかと言われたときには正直頭を張り飛ばしてやろうかと思ったくらいでした。

盛土現場が開放型であったため、それまで使用したことの無かったネトロンシートを巻き出しの時に敷きならべるという工法を取りました。

これも盛土の剪断応力を地下水位の変化も考慮に入れながら計算して本数を決定したのですが、計算が出来上がって本数が決まった頃高さを変えろとか要求してきたので、事務担当者と怒鳴り合いの喧嘩をしたこともありました。

そんなこんなで色々あった現場でしたが、備長炭の原料になるウバメガシを植栽したり、種を播いたりと色々実験作業をしたものでしたが、11月19日芳養町団栗で、献身的に協力してくれた団栗の地元の方が今年亡くなったことを教えてもらいました。

身長が185cmあり、親しみを込めて「みっちゃん」と呼んでいた確か昭和3年生まれの方でした。

苗づくりには非常に長けた技術を持っておられましたが、惜しい方をなくしたものです。

もう一度会って話をしたかったのですが、叶わぬこととなってしまいました。

私が今「獣害低減 おまかせ下さい」という名刺を持っているのもこの時みっちゃんから猪や鹿から苗を守るための方法を色々教えていただき、考えた経験があったからです。


この当時同じ部の後輩と小豆島にバイクツーリングをしたのですが、その時ウバメガシの純林を見つけて感激したのを帰田してから兵庫県に問い合わせたことがありました。

この時兵庫県の職員さんから、採石場の島に生えているウバメガシを喩え100円でも良いから買ってもらえないだろうかという相談を受けました。

県としては採石場の許可を下すにしても自生している木々を廃棄物として処理してしまう事に抵抗を感じていたようでした。

私が備長炭公園に関わっていたこともあり、採石場に予定されている島に自生しているウバメガシを廃棄物にしないための伐採材の検収に行く時、炭焼き職人の方達と一緒に観光旅行を兼ねて瀬戸内旅行に出たのでした。

県の職員さんに案内された島のウバメガシを見て製炭士さん達は一様にこれなら大丈夫だと太鼓判を押してくれました。

それで、伐採の方法や貨物船の用意製炭士さん達に割り振るウバメガシの量などを調べ上げ経費計算等をして取り敢えずは採算に合うと判断して仕事をする人を探したのでしたが、当時は単発仕事に簡単に手を出す人はいませんでした。

そこで、ツーリングをしたときに見つけたウバメガシの純林を何とか利用できないかという事で、地元の町内会に声をかけました。

そして地元説明会を開き、地元に金が落ちる段取りを説明しました。

当時のツーリングレポートに以下の記述がありました。

さて、朝日が済んだら、次はウバメガシである。

あの山の中に荷物を片づけて入っていった。

入ってみて驚いた。

何と、ここはウバメガシの一斉林ではないか。

どこを見てもウバメガシばかりである。

しかも、若いのから100年を超えていると思われるのまであ
る。

もうここのウバメガシの木は恐らく何百年も純林の形を守って
きているものと思われる。

胸に沸き上がってくる感動を押さえるのに苦労した。

ここでウバメガシ林を撮影し、看板もちゃんと再撮影した。

今回の旅の中で、こんな感動も珍しい。


感激というか、何というか、秋津川のような純林はどこにもないと聞いていたので、これまでに見たこともないような規模の純林に触れ、涙が出そうな程の感動に浸っていた。

多分他の人には分からないであろう。

設計の仕事から遠ざかり、やっとウバメガシに親しみを感じ始めたときにこんな林に会えるなんて、自分は本当に幸せ者だ。

じっとこの林を見ながら何とも言えない感動にいつまでも浸りつつ、師匠に『ワシは、ついてる。こんな事があるなんて思いもせんかった。今回の旅の最高のお土産やで。』心からそう言った。


後日返事をくれるという事で、帰田したのですが、帰ってきた返事の内容は地元で話し合った結果自分達でやってみたいという結論になったという事だったので、択伐の方法など全ての段取りを伝え近々に作業すべき採石場の伐採の方法も伝え、船会社とウバメガシの荷出しの方法も伝えて地元に権利を譲る旨を県にも伝えたのでありました。

後日地元で事業化しているだろうと思ってウバメガシを供給してもらえるなら買い取りたい旨伝えたのですが、地元では結局何もせずに終わったという事でした。

非常に勿体無い話です。

恐らく県が許可を下した島のウバメガシも利用せずに終わったのでしょう。

慣れない仕事に恐れをなしたのか、技術的に成熟していない町内会には荷の重い仕事だったのだろうことは想像に難くないのですが、それならそれでこちらに問い合わせて来れば丁寧に教えてあげたのにと非常に悔やまれる出来事でした。

この時一緒に行動した製炭士さん達は皆亡くなったり引退したりして残っている人は一人もいません。

現場の窯では昨年入ったという大阪から来た50代の夫婦が作業をしていました。

もう一組同時期に名古屋から来た夫婦もいるそうです。

窯は黒炭窯も一つ含めて五基設えています。

以前は4組の製炭士が入って居たのですが、今はどうなっているのか詳しい話は聞かず仕舞いで帰ってきました。


私自身は今また瀬戸内海を舞台に地域開発を依頼されていますが、果たして古民家利用の件で横車が入ったと電話連絡がありました。

こちらのいう事を聞けばもっと儲かる話があると持ち掛けた人が居るみたいです。

それならそれで良いじゃないですかと言っておきましたが、事が動き始めると邪魔をしたがるというか尻馬に乗って他人のふんどしで儲けてやろうという不逞の輩が出てくるのですね。

そういう人は相手にしない方が面倒が無くて良いので、やりたければ自分でやりなというスタンスは変えていません。

こちらの事業の進展に従って儲かると思えば横取りしてでもやれば良いのです。

全ては自己責任ですから、こちらの思惑がどのように変化してもこちらの知ったことではありません。

思うようにして頂くだけです。

こちらもわざわざ邪魔をする気はありませんが、こちらの思惑通り事業が進まなければ全体計画を多少とも変更せざるを得ないという事は出て来ます。

どれもこれも駄目となったらある程度押してみて、無理なら手を引くだけです。

こちらは確かに損失を出しますがペーロケの段階ですから軽微で済みます。

でも邪魔をする側はそうはいきませんからね。

財産だけでなく信用も失ってしまいます。

出来れば協力し合いながらやっていきたいものですけどね。

考えたら老い先短いのに、事業の先はまだまだ長いですわ。










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