中国から完全帰国した年、2010年の冬。
日本では植村花菜の『トイレの神様』が大ヒットしていた。
当時、まだまだ中国現地生活の余韻から抜け切れなかった私には
どうもしっくりこない、
だからなかなか馴染めなかったそんなヒットソング。
だって思い出すのは中国の現地式トイレばかりだったからである。
(分かりやすく言えば、化妆室(hua4 zhuang1 shi4):化粧室ではなく、
厕所(ce4 suo3):便所 という感じだろうか。
そして中国の名誉のために断っておくが街中に行けば、
設備が整ったトイレはもちろん普通にある。
それを前提でお読みください。)
今回はそんな思い出小話ひとつ。
蓬莱は、私の住む烟台より北西に車で走ること
一時間半の場所に位置する歴史ある街。
そこの、とある食堂にてその事件は起こる。
現地のタクシー運転手にオススメを聞いて向かった料理店。
店先には桶に水と酸素ポンプが入った海鮮がずらっと
(もちろん生きている)。思い切り現地の食堂だ。
その桶の中から好きな食材を選び、
好きな調理法を指示し(焼く・煮る・蒸す等)
味付けをしてもらう。
これがいわゆる魯菜(lu3(声) cai4・山東料理)である。
ちょっといいところなら
すべてが水槽に入って陳列されているのだが、
地元の小さな店だとこうやって桶(むしろ洗面器に見えるが)に
ごそっと入れられていて、
※ちなみに画像は山東省名物、『海腸(ハイ チャン)』
中の水を抜いて、串焼きやチャーハンなどでいただく。
コリコリしてなかなか美味であります(←食べたんだね)
お世辞にも『おいしそうですね』とは言えない。
しかし今回のオチは別のところにある。
食事が済み、ビールを飲みすぎたせいかお手洗いに行きたくなった私は
この店のトイレを拝借した。中国の現地式トイレには大分慣れていた。
扉がないのも、仕切りがないのも、
縦列駐車状態でただの溝に用を足すのも(いわゆるニーハオトイレというやつだ)
全部経験した。
そして紙の材質のせいか下水管が細いせいか、
一般トイレでは紙を流してはいけないのが中国の常識。
なので使用した紙は用意された汚物入れに捨てなければならない。
が、蓋なんぞついているはずもなく、悪臭が立ち込めるのは当然。
でもそんな状況も普通になった私が今回経験したのは、
ツワモノ『水洗のくせに流れないトイレ』であった。
トイレのドアを開けるや否や、
私の目の前には便器の中に悠然と横たわった大きな大きなソレが…。
ダメだろうなと思いつつも、微かな期待を込めてレバーを押してみる。
やっぱり…キコキコと情けない金属音を奏でるだけで、
肝心の水流が起こらない。
そうだ、引き返して外部の別の場所で…と外に出ようとしたとき、
次に並ぶ人影が目に入った。その瞬間一抹の不安がよぎる。
『次の人に、コレを私のモノだと思われやしないか』ということだ。
さてどうする。
『前門の虎、後門の狼』とはこういうことなのか。
どうせ疑われるなら用を足した方が得ではないか?
しかしいささか複雑な気持ちである。
狭い空間でソレと対峙すること数分、もう膀胱も限界の悲鳴を上げていた。
そして、私は神に誓うような気持ちで静かに決心した。
『……しよう。』
『やあ、遅かったね?』と夫。
『そう?』と軽く返したが、すでに私の世界観は大きく変化を遂げていた。
なんだか達成感と少しばかりの爽快感に満ち溢れ、
恍惚としていた(←軽くショック状態ともいう)。
そのあと、『オレもちょっとトイレ…』とお手洗いに向かった夫の背中に、
“にやり”とほくそ笑む鬼嫁ひとり。
※ちなみに夫には『アンタすごいね』と、褒められたのか呆れられたのか
いまいち分からない言葉を掛けられ、
3歳の長男はドアを開けた瞬間怯えて悲鳴を上げた。
来年も、よろしく。いい年に、できますように!!
日本では植村花菜の『トイレの神様』が大ヒットしていた。
当時、まだまだ中国現地生活の余韻から抜け切れなかった私には
どうもしっくりこない、
だからなかなか馴染めなかったそんなヒットソング。
だって思い出すのは中国の現地式トイレばかりだったからである。
(分かりやすく言えば、化妆室(hua4 zhuang1 shi4):化粧室ではなく、
厕所(ce4 suo3):便所 という感じだろうか。
そして中国の名誉のために断っておくが街中に行けば、
設備が整ったトイレはもちろん普通にある。
それを前提でお読みください。)
今回はそんな思い出小話ひとつ。
蓬莱は、私の住む烟台より北西に車で走ること
一時間半の場所に位置する歴史ある街。
そこの、とある食堂にてその事件は起こる。
現地のタクシー運転手にオススメを聞いて向かった料理店。
店先には桶に水と酸素ポンプが入った海鮮がずらっと
(もちろん生きている)。思い切り現地の食堂だ。
その桶の中から好きな食材を選び、
好きな調理法を指示し(焼く・煮る・蒸す等)
味付けをしてもらう。
これがいわゆる魯菜(lu3(声) cai4・山東料理)である。
ちょっといいところなら
すべてが水槽に入って陳列されているのだが、
地元の小さな店だとこうやって桶(むしろ洗面器に見えるが)に
ごそっと入れられていて、
※ちなみに画像は山東省名物、『海腸(ハイ チャン)』
中の水を抜いて、串焼きやチャーハンなどでいただく。
コリコリしてなかなか美味であります(←食べたんだね)
お世辞にも『おいしそうですね』とは言えない。
しかし今回のオチは別のところにある。
食事が済み、ビールを飲みすぎたせいかお手洗いに行きたくなった私は
この店のトイレを拝借した。中国の現地式トイレには大分慣れていた。
扉がないのも、仕切りがないのも、
縦列駐車状態でただの溝に用を足すのも(いわゆるニーハオトイレというやつだ)
全部経験した。
そして紙の材質のせいか下水管が細いせいか、
一般トイレでは紙を流してはいけないのが中国の常識。
なので使用した紙は用意された汚物入れに捨てなければならない。
が、蓋なんぞついているはずもなく、悪臭が立ち込めるのは当然。
でもそんな状況も普通になった私が今回経験したのは、
ツワモノ『水洗のくせに流れないトイレ』であった。
トイレのドアを開けるや否や、
私の目の前には便器の中に悠然と横たわった大きな大きなソレが…。
ダメだろうなと思いつつも、微かな期待を込めてレバーを押してみる。
やっぱり…キコキコと情けない金属音を奏でるだけで、
肝心の水流が起こらない。
そうだ、引き返して外部の別の場所で…と外に出ようとしたとき、
次に並ぶ人影が目に入った。その瞬間一抹の不安がよぎる。
『次の人に、コレを私のモノだと思われやしないか』ということだ。
さてどうする。
『前門の虎、後門の狼』とはこういうことなのか。
どうせ疑われるなら用を足した方が得ではないか?
しかしいささか複雑な気持ちである。
狭い空間でソレと対峙すること数分、もう膀胱も限界の悲鳴を上げていた。
そして、私は神に誓うような気持ちで静かに決心した。
『……しよう。』
『やあ、遅かったね?』と夫。
『そう?』と軽く返したが、すでに私の世界観は大きく変化を遂げていた。
なんだか達成感と少しばかりの爽快感に満ち溢れ、
恍惚としていた(←軽くショック状態ともいう)。
そのあと、『オレもちょっとトイレ…』とお手洗いに向かった夫の背中に、
“にやり”とほくそ笑む鬼嫁ひとり。
※ちなみに夫には『アンタすごいね』と、褒められたのか呆れられたのか
いまいち分からない言葉を掛けられ、
3歳の長男はドアを開けた瞬間怯えて悲鳴を上げた。
来年も、よろしく。いい年に、できますように!!