日々雑感

文化多元主義と女子割礼

時事通信で"スーダンが女子割礼を禁止へ"とのニュース(2020/5/10)を読んだ。私は文化多元主義者でそれぞれの文化は尊重されてしかるべきものとの考えだが、そのそれぞれの文化の中にも”それはやめておいた方がいいのでは?”というものもままあると思う。その一つが女子割礼だ。文化人類学の女性研究者がギニアでの研究調査中に女子割礼に遭遇した話でその存在を知った。

西欧文明の考えを西欧文明以外の社会に適用しようとするとは、”余計なお世話”という場合がほとんどといってもよいのだが、この女子割礼は西欧文明の基準を押し付けて、やめてはどうかと言うのは正しいことのように(私には)見える。ただ、この基準(西欧文明の押し付けを行う基準)をどこにすべきかはどうにも悩むところだ。西洋とイスラムの文明・文化の衝突の場面では非常に微妙な状況となりえる。なんだか本音ではイスラムの人もお酒を飲んで、ハリウッド映画を見て楽しみたいと感じているような節もあるように見えるのだが....。

まずはこのスーダンのニュースは慶賀すべきもののようだ。その他の微妙な場面では、その文化的拘束を受ける本人自身が心の底から従いたいか、従いたくないかを基準にする以外他に手はないか?女子割礼の文化に心の底から従いたい人はいないだろう。ヘジャブはどうなのだろうか?
(参考:「生命をつなぐ進化のふしぎ」 内田亮子 ちくま新書)
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