ワースワイルブログ/WB

バイク買取屋さんワースワイルのブログ≪Worthwhile Blog≫です☆

バイク歴 【2時限目:20代前半のバイクライフ】

2005年10月29日 | ■ワース社長の身勝手己事
【本日の2時限目:20歳代前半の頃】

スズキ入社2年目ですぐ20歳になった時に激務が待っていた! 昭和56年(1981年)スズキが満を持して初の400ccマルチGSX400Fを販売したが… このバイクには泣かされたね!

クランクシャフトのコンロッドビックエンド部の焼付きが多発した。原因は都内の渋滞路を走ることによるオーバーヒートでオイル温度の上昇によるオイル粘度低下が招いた焼付きだった。

来る日も来る日も、毎日GSX400Fのクランクシャフトとコンロッドの交換に、メタル粉がピストンスカートに噛み込みシリンダーピストンも交換する始末。
そこにオーバーヒートでオイル下がり(バルブステムシール)でのバルブO/S交換が加わったり、ステーターコイルも熱による焼け爛れでの交換など1台の規定工数はゆうに8.9時間にプラスバルブオーバーホールが入ると12.1時間になる。

当初は丹念に規定工数通りに1台1台仕上げていたが、やれどもやれども入工するので、総工程を5時間程で出来るようになった。音を聞けばピストン交換が必要かもだいたい判ったしピストン交換が必要でなければ、カムシャフトを外した段階でヘッドを開けずにエンジンを裏返してクランクケースを開けクランクシャフトと各メタルを交換した。

400ccマルチエンジンの自重は100kg近くあり、そこにGS650Gという小カタナも同じ症状があった。この2台を常に一人で積み下ろしをやりエンジンO/Hしたおかげでこの昭和56年~57年の2年間でギックリ腰は合計4回もやった!

しかしこの2年間はとても充実していた。特にエンジンに関してのウンチクや構造が否が応でも覚えてしまった。

スズキ入社後のバイクライフで一番印象にあるのはなんと言ってもGSX750E(赤ベコ)のオーナーになった時の印象は強烈極まりないものだった。
友人のCB750FZを圧倒的なパワーで凌駕した! 特にエンジンに関して言えば、どうしたら一番パワーが出るか等もメーカーからの情報を得ていたので、それをもちろん施していた。
★ 純正 1mmオーバーサイズピストン組み込み
★ シリンダーヘッド0.5mm面研
★ バルブ及び、IN&OUTマニホールドの鏡面仕上
★ バルブクリアランスを音の出ない範囲での一番広めに設定
★ カムチェーンの自動調整機能を作動させなくし、暖季後ロック
★ インレットホースの拡大とMJ及びPJ番数UP及びJN調整
★ マフラーを初期ロッド2,000台のテールパイプ径のデカイ物に交換

等々外見はハンドルがコンチに変わっていた他はノーマルのGSX750E当時はグロス馬力で68psのバイクがマスターチューンによりシャシーダイナモでの後輪出力(ネット)は81psも出ていた! 最高速もトップで吹け切ってしまうのでフロントスプロケを1丁上げてもまだ吹け切っていた。(当時は180kmだった為計測不能だが、メーター振り切っては真下を向いていたことは間違いなかった)

当時は本当にバイクブームで特にロードレースやモトクロスはとても華やかでマスターもモトクロスは付き合いで草レースをかなりやっていました。千葉県浦安市のディズニーランドができる前の場所はどこでも走れたので毎週走っていた。

サーキットやモトクロスをやっていた関係でスズキの筑波走行会でも先導車をやったり、スズキのモトクロッサー【RM】シリーズの発表会などでも先導車をやったりしてとても楽しい時代であったことは間違いなかった。

世間もバブル景気に向かってまっしぐらだったので国民意識レベルはアパートに住んでても中層階級意識が蔓延し、男性の首には金100gの首輪にロレックスがベタ流行という感じだった中でバイクの値段も高騰し、イントルーダー750の限定車が100万円で、GSX-R750R(乾式クラッチ)が107万円とバブル全盛期に突入していった良き時代でした。

スズキに在籍していたマスターも、RG400γ&500γにGSX-R750が激売れで4月の末に賞与時期でもないのに10万円も金一封が出たりしました。この頃は新橋営業所に勤めていたので夜飲んでタクシーで帰ろうものならタクシー待ちは1時間以上はザラで、どこかの通りでタクシーを捕まえることなんて全く出来ない時代でした。

とまあマスターの20代前半はバイク全盛期で尚且つバブルに向かっての本当に良き時代でした。マスターはサラリーマンだったのでバブル景気で儲かったことは体験していないが、バイク全盛期にスズキという大メーカーで仕事が出来たことは今の自分を形成する上で、とても重要な時期を良い会社で過させてもらったと思っている。

                 ワースマスター

虫の知らせは本当にあった!

2005年10月11日 | ■ワース社長の身勝手己事
とても悲しい出来事が起きました。

前々回の≪バイク歴 【1時限目:10代のバイクライフ】≫で登場し、
マスターをバイク業界に導いてくれた、大田区の江川輪業の親父さんが
71歳の人生に終焉をうたれてました。

2週間前の9/26にブログ掲載した時には、もう江川の親父さんは
闘病3ヶ月で危篤状態だったとのこと…虫の知らせだった…

10月8日が通夜で9日が葬儀だった。

自分としたことが、とんだ不義理をしてしまった。
虫の知らせに鈍感な自分が情けない。

親父さん本当に申し訳ない。

でも本当に虫の知らせなんてあるんですね。10年以上も逢ってなかったのに…
あのブログ書いてすぐに店に行っておけばよかったと思っています。

江川のおばさん、明日夕方顔出します。

親父さん安らかに眠って下さい 合掌。

バイク歴 【1時限目:10代のバイクライフ】

2005年09月26日 | ■ワース社長の身勝手己事
今日から数回に渡り、マスターのバイク歴についてタレてみようと思います。

【本日の1時限目:10代の頃】

大工をしていた親父が仕事で使っていたバイクが殆どスズキ車であったことから、自分もバイクに乗るならスズキと決めていました。
先輩達はDAX(ダッコロ)やGT50(ミニトレ)でキメキメしていましたが、大のスズキ党である自分は初めて買ったバイクが初代ロータリーバルブのハスラー50でした。
しかしこのハスラー50は3万キロも走っていた物を昭和52年当時京浜○ンダさんで3万円も出さされて買わされた挙句、ナント!3ヶ月で焼付いて廃車になってしまいました。大田区の京浜蒲田近くに7本の道が交差する《七辻交差点》の近くにある京浜○ンダさんまだあるのでしょうか?今では商売の反面教師になっており大変助かっております。

その後、近くの江川輪業さんでスズキのミニタンOM50(これは先輩達が乗っていたミニトレより数段速かった)の新車を買い半年で1万キロも乗りました。その間、教習所に行く金が無いので直接鮫洲試験場に中型免許の学科1回と実技6回も掛かりようやく合格!

中型免許取得後に早速、先輩がスズキのGT250を6万円で売ってくれるというので現金持って買いに行きました。
エンジンは掛からないと聞いていたので友人のホークⅡでそのGT250を牽引して来た。

ミニタン購入から行きつけになっていた大田区西糀谷の江川輪業に持って行き、そこの親父に『今買ってきたからエンジン掛けてくれ』と頼んだら『お前は高校が自動車科なんだからテメーでやれ!』と工具を貸してもらいドキドキの整備開始!

早速、江川の親父の爆弾炸裂!『オイ!キック降りね~ぞ!これじゃ前のハスラーと同じだ。こんなバイク返して来い』だって。
そこをなんとか拝み倒してみると『しょうがねえな~、プラグ外してキックしてみろ』と言われてタンクとプラグを外してマスターは思いっきりキックした『オ~キック降りた~!』と喜んだのも束の間、顔面真っ黒いガソリンだらけで何がなんだかわかんらんところでも江川の親父に『親父さ~ん、なんだこれよ~』でも親父はウッヒャッヒャッ~って笑い転げてるだけ!

その状況は何が起きたか全く解らんし、目は開かないし、股ぐらから上着部分までガソリンだらけ!

今でこそ何が起きたか解るが当時は何も知らないクソガキ時代。長く乗っていなかった為、キャブが腐ってオーバーフローしたガソリンがクランクケース内の一時圧縮部分に溜まっていた物がプラグ外した穴から勢い良く飛び出しただけのこと。

ソレを知っててこの親父は俺に『思いっきりキックしろ~』だって…

でもここ江川輪業の親父とおばちゃんには本当に世話になった。現マスターのバイク原点であることは間違いない!スズキに就職した後も20年位ず~っと世話になりました。ところで親父自慢のハーレーのWLはまだ持ってるのかな~? そうだ今度挨拶がてら親父の様子見に行ってWL買取してこよう!

んでもってGT250を高校2年の半ばまで乗り、その間に大型免許を苦節9回もかかってようやく受かり晴れて750買うゾ!と探したが高くて買えず、またまたエンジンの掛からないGT550が3万円であるぞと情報を聞きつけ、即3万円を握り締め買ってきて江川輪業に持ち込んだのは間違いなかったが、今回はガソリンの顔面発射だけは阻止できる余裕も持ち合わせたマスターだった。(激進歩!)

このGT550はGT380とクリソツなのでワザとサイドカバーのエンブレムをGT380に交換して、サンパチだと思わせてシグナル勝負で当時早かったホークⅡやKH400が勝負してきましたが、その速さは圧倒的だったことは言うまでもない。

そしていよいよ高3の5月に貯めたバイト代も25万円になり、先輩がフォーセールしていたカワサキZ2を買いました!

1979年当時は国の暴走族対策で大型免許は取らせない方向の世の中だった。
その中での高校の友人連中や、大井埠頭での○走族の方達との集団大走行会でもZ2乗って行くと大スターでもう鼻高々!

だが当時のZ2はとにかく遅かった、ザリ(GSX400E)やバブ(ホークⅡ)と速さは殆ど同じ!
バリバリ伝説で聖秀吉が乗ってたカタナのベースになった通称ベコのGSX750Eや巨摩郡CB750FZが発表されたのがこの時代でこの2台とは全く勝負にならない代物でした。

いよいよマスターもスズキへの就職も決まりカワサキZ2じゃまずいよなと思い、スズキ車の選定をしていたところ、バイク屋のポスターやバイク雑誌に『ヒラリヒラリ』『このヒラリ感が…』とかなり大きく宣伝してるな~それに世界GPチャンピオンの片山敬済をイメキャラにしてるしスゴク気になる。
そんなところに羽田ホンダさんでホンダ主催の試乗会があると聞き、早速乗りに行った。
乗ってすぐ感じたことはこんなペタンペタン寝るバイクはOFF車や原チャ以外では初めてだった(当時のバイクはすぐスタンドやマフラーが接地する)のと、単気筒のスーパースポーツがとても新鮮で、スズキ入社のこと等全く忘れて江川の親父さんに即注文していたそのバイクとは当時かなり売れた【CB250RS】でした。

このCB250RSはスズキへの通勤でも内緒で乗っていき(会社近くに止めていた)1年半で25,000kmも乗りました。
中でも筑波でのプロダクションレースにこのCBで出ていました。スズキ社員である自分がホンダのCB250RSでスズキRG250Eをぶち抜くのはとても複雑でしたが、バンク角の少ないRGを第一コーナー、ヘアピン、最終コーナーでアウトからぶち抜く快感は最高でしたね。

その後RZ250が出てプロダクションレースもRZ一色になったのと、以前から会社上司からもレースはやめろと言われ続けていたので、Z2で富士スピードウェイを疾走した時代から、本格的にTZ250での筑波時代を経て、CBのプロダクションでマスターのロードレースは終わりを告げたと同時に、素敵なマスターの10代は終わりを告げました…ホント青春だったな~!

マスターの10代当時(1970年代)は本当に今でも最高にバイクの良き時代でした。CB750をはじめZ2、CB400Four、サンパチ、ケッチ&SS、ホ-クⅡ、GS400、Z400FX等の他にローパル&パッソルにDAX&ミニトレ、ホント今でもとても魅力的なバイクが多く誕生した時代でしたね。
バイク以外ではディスコ全盛時代で歌舞伎町のカンタベリーハウス(ギリシャ&ビバ)、ツバキハウス、トゥモロウUSA等々よく先輩からパー券捌きさせられました。

次回の【2時限目:20代のバイクライフ】に乞うご期待!

                                  ワースワイルマスター

ご無沙汰です!

2005年09月06日 | ■ワース社長の身勝手己事
ご無沙汰です!

前回『北海道ツーリングに行ってきます』からずいぶん間が空いてしまって誠に申し訳なく思ってます。

しかし、北海道は仕事では行ってましたがこんなにデカイとは思いませんでしたね。
実は日本地図での北海道は、本州、四国、九州よりも縮尺が小さくなっていることを皆さんは知ってました?
北海道の面積は北方領土を入れて8万3千5百平方キロあってその広さは、日本全国の2割強を占めてて、その広さってのは四国・九州・沖縄の12県を合わせた面積のナント1.3倍!東京都の39.7倍だって!

どうも日本地図を正確に縮尺すると北海道のデカさが強調されてかなりアタマでっかちになってしまうので、地図を制作してるところの見解では「赤道付近から日本を見るように描く」らしい。
まあこんな感じで、走ってみるととてもデカいことを痛感した次第です。

8/21(日)快晴34℃
東京PM3:30出発~PM5:00大洗着 PM6:30大洗出航
バイクを船底に納めてエレベーターで5階まで上がってくると船内は映画館やゲーム室やレストラン等がありかなり豪華!
旅慣れしてるバイカーはロビーのソファーを陣取って(二人がけに荷物を枕代わりにして横になって)ビール・冷奴・枝豆で読書していたり、TVを見てる。
この旅の達人達は10個位あるソファーを全部独占『ウ~ン流石に旅慣れた奴はデキル!』
夜になると雨が甲板を叩く音、明日は雨かなとケータイで見ると苫小牧は雨100%!
諦めてどうにかなるさとサッサと就寝。
【本日の距離約100km強】

8/22(月)曇り~大雨 25⇒16℃
PM1:40苫小牧着~PM6:30帯広着
下船後苫小牧で数台合流し道東道で夕張ICで降りたら大雨!合羽着て走るのは何十年ぶりだろうか…
十勝清水から日勝峠で寒さのピークに達しドライブインで暖を取る。
お店のおばちゃんはライダーには慣れてるらしく声も掛けてくれない。しかしコーヒーを頼み、すぐ飲み干したらもう一杯サービスしてくれた。みんなでメニュー見てて『トウキビってなんだ?』って話になり年の功で自分が『とうもろこしだよ』と講釈談義がはじまったら、店のおばちゃんいっぱい出してくれて『サービスだよ』だって←とってもうれしいのと美味いのとで北海道初感激を日勝峠下りドライブインで味わった。
また大雨激雨の中、苫小牧から約4時間走ってようやく帯広に着く。
その後、夜の帯広で今日の豪雨を撃破した大人数人が爆発したことは間違いなかった。
【本日の距離約200km】

8/23(火)曇り~晴れ 22⇒20℃
AM9:00帯広発~釧路~釧路湿原~摩周湖~屈斜路湖PM5:30着
気温が22℃と過し易い、空は曇り空だが雨の心配はなさそうだ。
釧路に向かって走るとようやく北海道に来たことを実感する。空も次第に晴れ間が出てきて真っ青な空がとても高く感じるのと雄大な十勝連峰と相まって雄大な景色を何時間も満喫しました。
北海道はお盆を過ぎると涼しくなり朝晩はストーブを点けるところもあるそうで、気温も22℃位で湿度が低いので走ると寒いくらいです。
釧路に着きジンギスカンをたらふく食いまくり釧路湿原を見に行った。湿原には有料展望台があるのだが3階建てでどう見てもお金払ってたいしたことなさそうと思いつつ入ってみたら湿原どころか釧路平野から太平洋まで見渡せる雄大な景色に思わず感激!
そして次は摩周湖に向かった。釧路から摩周湖までは草原と牧場と牛のニオイが奏でるハーモニーが『これが北海道なんだ!』と痛感しました。
摩周湖に近づくと標高が高いことと霧の摩周湖と言われる所以の霧が大量発生してきだしたところで摩周湖に着いた。⇒やっぱり『霧の摩周湖』だった。(添付写真は撮影した幻想的な霧の摩周湖です)
今日の宿泊先は屈斜路湖畔の『にぶしの里』そこにPM5:30に到着して即、温泉に入り夕飯と十勝ワイン小瓶を15本飲んで就寝と相成りました。
しかしここ『にぶしの里』のメシは美味い!それとボリュームがかなりあり、鍋も一人に2個付いて1泊8,400円もちろん朝メシ付き!大満足納得の宿でした。
【本日の距離300km】

8/24(水)晴れ 24℃
AM9:00屈斜路湖発~阿寒湖~足寄~道東自動車道~十勝清水~南富良野のトマムリゾートPM3:00着
この日はトマムリゾートにGolf(トワイライト)予約をPM2:30で入れてあるので距離を絞った結果、最短距離で行くことにした。
しかし北海道在中のヤマちゃんが道を間違えて1時間程ロスしたが、快晴の阿寒湖の青い空と反射された青い水面にはついつい有料チャーターボートに乗ってしまった。
しかしその後は激走爆走の200km!北海道が本当にデカイんだと痛感しました。
走っても走ってもまだ松山千春の足寄(あしょろ)で到底PM2:30までにはトマムのある占冠村(しむかっぷむら)まで着かない。
晴れた日の高速は走らない予定だったが足寄から十勝清水までの帯広をワープする高速を使い一気にトマムへと爆走したが高速降りたところにトマムまで20分と書いてあってホッとしたのも束の間。20分どころか30分走っても着かない!
約1時間近く走ったPM2:40にようやく到着。ナント高速出口に書かれていた『トマムまで20分』は『道東高速道が続いたら20分』だったらしい!
その後、急いで着替えてGolfをハーフ(9H)だけやりました。
このトマムリゾートはとてつもなくデカイ!(さすが北海道)40階建てのタワータイプのホテルが4棟にその他にもいろいろなタイプのホテルが敷地内に点在している。施設もちゃんとしたゴルフ場の他に室内プール、スキーゲレンデ(コースもかなり多くリフト等設備も充実)等があり『春夏秋冬いつでもOK』ってな感じのリゾートでした。
夜は中華料理コース(なんと宿泊セットがコース)を食し、またまた十勝ワインでまたまた満足就寝。
【本日の距離220km】

8/25(木)快晴 24℃
今日はここ南富良野のトマムリゾートでゴルフをやる日でバイクには乗らない日です。
ゴルフは1.5ラウンドもやりましたが湿度が低いので心地よいラウンドでした。
今夜は懐石コース(これもセットに入ってる)と地酒でまたまた大満足!
PS、このトマムリゾートは今回《夏のよくばりプラン》で申し込んだのですがナント一泊11,000円でこの夜のコース料理と朝食が付いてくる。しかも自分達の部屋は24階のとても景色の良い〔ザ・タワー〕でした。

8/26(金)曇り~雨 20℃
AM10:00トマムリゾート~夕張~道東自動車道~札幌PM2:00着
この日は天気が悪く帰る人もいるので他に寄らず一気に札幌まで走り当社札幌支店で一部解散し、残った人で夜のすすきのを満喫し満足就寝。
【本日の距離180km】

8/27(土)快晴 25℃
AM10:00札幌~小樽~天狗山~千歳PM6:30~東京PM8:00
この日は午前中だけ仕事をして、午後に小樽ではとても有名な富士寿司で昼食を取り天狗山と裕次郎記念館を見て小樽を後にし千歳に向かいました。
実は今日の帰京はナント!飛行機です。
バイクは後日、船便で送ってもらうことになっていました~!
【本日の距離150km】

とまあこんな感じで初めての北海道ツーリングを満喫してきました。
やっぱり旅は景色と天気が良いのが一番ですが、旅中にどんな苦労があってもその日の〆に温泉や旨い食い物と、なんと言っても旨い酒があれば良いことで飲めて苦労して飲めるこれがベストですよね。

夏休みが近づいて来ましたよ~ん♪

2005年08月08日 | ■ワース社長の身勝手己事
皆さんこんにちは!WWマスターの身勝手己事の時間です♪

いよいよ今週から夏休みに入る方がいらっしゃるとおもいますが、くれぐれも事故の無い様に気をつけてくださいまし!

WWマスターは再来週の22日より念願の北海道ツ~リングに行くんですが、北海道は今『盆梅雨』と言って雨の多い時期らしいのです。
そんな雨のツーリングなんてここ15年以上も経験が無く、やっぱりZのロードスターで行っちゃおうかなんて考えてます。
でも他の人のバランスを考えるとやっぱりバイクで行かんとバランス取れへんしなとおもっております。

北海道に乗って行くFXDXTもこれから2週間かけて自分で整備をやっちまうおうと考えてます。
以前はタンクに大きな凹みがあったので、未塗装の新品タンクを購入し、元々のカラーは濃緑だったモノをフェンダーからカウルまでオールブラックに再塗装して、HDのOLDエンブレムをタンクに張りメチャメチャカッコよくなっちゃいました。

そしてタンク装着したら無性に走りたくなって、みんなにPM10:30に大黒埠頭集合の号令をかけ、夜走りに行くことになった。
しかし走り出したらエンジンがムチャクチャ調子悪い!調子悪いまんまPM10:10頃大黒埠頭に到着。

どうも燃料が濃いらしく、アイドルしない!エンジンかける時もアクセル全開しないと掛からんではないか!どうも新品タンク内に錆び止めが塗布されていたらしく、ソレがガソリンと共にキャブレターに御降りになられたらしく、フロートバルブ周辺に住み着いてしまったらしくオーバーフローしているではないか…

みんなが集まるまでに応急手当でキャブのフロート内のガソリンを抜くが、調子はあまり戻らない…
でもPM10:40に全員が大黒埠頭に集合しちまったので目的地を観音崎に決め横須賀ICまでフリー走行と決定し、いざスタート!

しかしエンジンはまだ機嫌を直してくれないので、走行中に何度も燃料コックをOFFにしてガス欠をさせてからONに戻すことの繰り返しを行う。
これはキャブレターフロートチャンバー内部にガソリンと共に降りて来られた錆び止め御大将を、ガソリンを燃やし切ることで一緒に燃やしてしまうやり方でONのままだと錆び止めはフロート室に残ったまま新しいガソリンだけがエンジンに行ってしまって肝心の錆び止め様はフロート室やフロートバルブ周辺に残ってしまうので、コックをOFFにしてフロート室の錆び止め様はもちろんのこと、ガソリンやゴミまでフロート室に入ってきた全てを燃やしてしまうおうとすることなんです。

その結果、1~2時間走行後ようやく調子が良くなってきた。
観音崎で遊んだ後、葉山方面に向かっている途中、交差点を曲がって加速しようとしたところ、今度は突然のエンスト!
どうも今度はフロートバルブがくっついてしまったらしく走行中にガソリンが来なくなってしまった。キャブレターをコンコンと叩きセルを回してようやくスタート!
その後はやっと機嫌を取り戻してくれたおかげで東京まで帰って来れました。

今まで調子良く走ってきた愛機が機嫌を損ねた場合はなんらかの原因が考えられます。
例えばプラグ交換をしたらその気筒の圧縮が下がった。  これはプラグ周りのゴミが落ちてバルブシート面に噛んでしまったことにより起きることです。
チェーン調整をしたらリヤサスが硬くなった。  これはチェーンの張りすぎで、サスが沈み込んだ時にチェーンがパンパンに張ってしまいリヤサスが下がらなくなってしまうことです。
エンジンオイルを交換したらクラッチが切れにくくなったとかニュートラルが出にくくなった。  これはエンジンオイルの入れすぎで起こります。
よくやるのがサイドスタンドでのオイル検量!オイル検量は必ずセンタースタンド又はバイクをまっすぐに立てた状態で、暖気後エンジンを止め、1~2分後に検量するのが正しい。
他にもオイルトリートメント類を入れたらクラッチが滑るようになった等  バイクの場合殆どの車両がエンジン内部にクラッチとミッションを共有しているので湿式クラッチの場合クラッチの摩擦部分までが高潤滑され皮膜化されてしまうことにより起きてしまうのです。 マスターのHDはエンジンとミッションが別体なのでエンジントリートメント入れても大丈夫なんですよ!(HDの低回転型エンジンじゃ入れても意味無いが…)

まあ、そんなこんなでくれぐれもイジクリ壊してしまわないように注意しましょう~

さぁ~てと!今日は何処に夜走り行こっかな~♪ WWマスター