【バイク買取のことはおまかせ。バイク査定ドットコムのワースワイル社長のブログです。】
先日、バイクオークション会社の招待旅行でタイのサムイ島に行ってきた。
タイ最大のリゾートといえばプーケットだが、このサムイ島はプーケットとは全く反対
に位置しておりマレー半島を挟んで東側にある。
その為、以前のスマトラ沖地震での津波被害に遭い、甚大な被害が出たプーケットとは
反対なので被害はまったく無かった。
この島は白人資本が多く入り込み、今世間を席巻している中国パワーや韓国パワーは入
り込んでいないので、約7~8割の観光客が白人だ。
ホテルのプールやプライベートビーチも白人が多いので品がありとても落ち着けた。
しかしやはりそこはタイ!夜になると夜中2時頃まで活気と熱気に溢れたアジアンマ
ーケットが乱立し、繁華街が2kmも続くストリートでは白人の男性が1人でタイ人女性
を4人も引き連れているような猛者もいた!
この旅行での最大の目的は、最終日に私の人生に多大な影響を与えた大先輩に会うこと
だった。
その先輩はバンコク在住23年で、現在はホンダのレース系会社の【エンデュランス】
タイ現地法人の役員をやってる。
最終日の夜に一泊だけバンコクに泊まれる日程だったので、行く前からその先輩に連絡
を取り、宿泊先のアマリウォータゲートホテルに迎えに来て頂く予定だった。
そして先輩が到着、いつものようにゴツい手同士での握手。
先輩が2年前に日本に帰国された時に、成田まで迎えに行ったときより白髪が増えたよ
うだ。
この富塚先輩、年齢は私の11歳年上で、現在58歳。
私が初めて先輩に出会ったのが16歳の時にスズキのディーラーにGT250の部品を買い
に行ったときからなので既に31年の付き合いだ。
同じ港工業高校の自動車科出身の先輩なので、いつもメールには港工業高校の校歌の歌
いだしが書かれていて『今でも歌えます』がよくメールに書かれている。
先輩は1986年3月にスズキを自主退職し、いきなり家族4人でタイに移住し、バンコク
市内のバイク屋を基点に、レッドバロンのバンコク店の立ち上げなどをやり今でもレース
活動をして現在の仕事をしている。
1999年にはご子息がレース中に亡くなられ(前々年度のタイのレースでチャンピオンだった)
本当に悲運なことだったが、先輩はいつも『息子の圭介は羨ましい。大好きなレースで
死ねたなんて… 俺は今でも生きている、死ぬときはサーキットで死ねたら本望だ』と言って
いて、ノリックみたいな事故死は悔やみきれないなとポツリと言ったのがとても印象的だった。
ところで話は変わるが、この先輩は本当にいつまでたっても子供の目をしている。
昔からバイクレース、ラジコンなどのメカニカルなホビーにはめっぽう目が無い!
昨年もいきなりメールが来て、件名が【ヘリコプターを送った】だった。
私は昨年の9月にドッカーズ福岡店の開店準備で東京⇔福岡を行ったり来たりしていた
時期に送られてきたのは知っていたが開封できずに居た。
やはりメールが来て【ヘリは届いたか】と【ヘリは飛んだか?】だった。
私はその時期、本当に多忙で開けることが出来なかった。
仕方なく11年前にバンコク旅行で富塚先輩に会ったことのあるラックローズの福島店長
に開けさせ飛ばさせて、福島のコメントをもらい、いかにも自分が飛ばしたように返事をした。
でないと機嫌が悪い。
この富塚大先輩は自分で思ったことはなんでもやらないと気がすまない人で、人に同じ
ことをやらせないと、これまた気がすまない人でもあった。
当時のスズキの新橋営業所ってところはスズキの二輪営業所ではアルカトラズ島みたい
なところで、当時の新宿営業所や城東営業所では『ヘマをすると新橋営業所に飛ばすぞ!』
が社内での風評だった。
そんな中、この富塚先輩は工場長をやっていた人で、部下にはナントあの、豪放な当社
ワースワイルの先代社長で、マスターコラムにも登場した新橋界隈で酒を飲んでのスト
リートファイトではめっぽう強くて有名だった現オアシスの田久保社長や私らなどを従えて
いたスゴイ人!
それが35歳の時に急に退職届を提出し、仕事も住まいも決めないまま、奥さんと小学生
の子供二人を連れてタイへ行っちゃったんだから本当にハンパぢゃない。
でもこんな富塚先輩や田久保先輩が大好きだ。
私はとても人に恵まれている。
最近、年を取ったせいか人の縁や人との付き合いをつくづく感じる。
当社は私への印刷だけの年賀状や、お中元&お歳暮は送るなと言っている。
何故なら、そんな義理だけのことより社員やその家族同士と、年に一度だけでも良いので
食事会や親睦バーベキューに家族が来てくれる方がどんな年賀や品物よりも嬉しく思うことだから。
昔は1月3日といえば営業所の所長宅に必ずお年賀に行ったものだった。
上司や社長の家に挨拶に行かなくなったのは、いつの頃からか?
また、新入社員の頃は先輩に3度飲みに誘われたら、3度付き合うのが常識だった。
そして2年目からは3度誘われたら1度だけ断って良いと言われたね。
やはり社会勉強とは、人と人とのコミュニケーションからしか得られないものである。
にもかかわらず、ネットが蔓延し、ひとり寂しく殺戮ゲームをしたり、顔も見たことない
人を友人や親友と言い、コンビニやコインランドリーが多くなり、独身者が何不自由なく
生活ができ、出会い系サイトでの性欲だけの世界が広がり、男女の本当の恋愛が減り、
結婚を面倒臭く思う輩が多くなり、コミュニケーションから逃避する自己完結型の輩が増えている事実!
富塚先輩! 田久保先輩!
私が無機質な自己完結型人間にならぬよう、本当のご指導ご鞭撻を真剣にやって頂きまして
本当にありがとうございました。
まだまだ多忙なので疎遠になることもありますが、疎遠になりかけたらお叱りの連絡を
お願いします。
富塚先輩、今度は落ちたら壊れるヘリコプターぢゃなくてボートがいいです。
宜しくお願いしますё!
◆ワースワイルマスター◆
===【バイク買取&販売情報】==================================
バイク買取はバイク査定ドットコムのワースワイルまで
無料バイク買取査定は お気軽無料バク買取査定まで
バイク高額買取の秘密はバイク高額買取の秘密まで
バイク買うなら日本全国モトフィールドドッカーズまで
【カタナ】【Ninja】【Z】【隼】【BMW】【DUCATI】の大型バイク専門店ハックルベリーまで
ハーレーのことならHarley-Davidson専門ラックローズまで
==============================【バイク買取&販売情報】=======
先日、バイクオークション会社の招待旅行でタイのサムイ島に行ってきた。
タイ最大のリゾートといえばプーケットだが、このサムイ島はプーケットとは全く反対
に位置しておりマレー半島を挟んで東側にある。
その為、以前のスマトラ沖地震での津波被害に遭い、甚大な被害が出たプーケットとは
反対なので被害はまったく無かった。
この島は白人資本が多く入り込み、今世間を席巻している中国パワーや韓国パワーは入
り込んでいないので、約7~8割の観光客が白人だ。
ホテルのプールやプライベートビーチも白人が多いので品がありとても落ち着けた。
しかしやはりそこはタイ!夜になると夜中2時頃まで活気と熱気に溢れたアジアンマ
ーケットが乱立し、繁華街が2kmも続くストリートでは白人の男性が1人でタイ人女性
を4人も引き連れているような猛者もいた!
この旅行での最大の目的は、最終日に私の人生に多大な影響を与えた大先輩に会うこと
だった。
その先輩はバンコク在住23年で、現在はホンダのレース系会社の【エンデュランス】
タイ現地法人の役員をやってる。
最終日の夜に一泊だけバンコクに泊まれる日程だったので、行く前からその先輩に連絡
を取り、宿泊先のアマリウォータゲートホテルに迎えに来て頂く予定だった。
そして先輩が到着、いつものようにゴツい手同士での握手。
先輩が2年前に日本に帰国された時に、成田まで迎えに行ったときより白髪が増えたよ
うだ。
この富塚先輩、年齢は私の11歳年上で、現在58歳。
私が初めて先輩に出会ったのが16歳の時にスズキのディーラーにGT250の部品を買い
に行ったときからなので既に31年の付き合いだ。
同じ港工業高校の自動車科出身の先輩なので、いつもメールには港工業高校の校歌の歌
いだしが書かれていて『今でも歌えます』がよくメールに書かれている。
先輩は1986年3月にスズキを自主退職し、いきなり家族4人でタイに移住し、バンコク
市内のバイク屋を基点に、レッドバロンのバンコク店の立ち上げなどをやり今でもレース
活動をして現在の仕事をしている。
1999年にはご子息がレース中に亡くなられ(前々年度のタイのレースでチャンピオンだった)
本当に悲運なことだったが、先輩はいつも『息子の圭介は羨ましい。大好きなレースで
死ねたなんて… 俺は今でも生きている、死ぬときはサーキットで死ねたら本望だ』と言って
いて、ノリックみたいな事故死は悔やみきれないなとポツリと言ったのがとても印象的だった。
ところで話は変わるが、この先輩は本当にいつまでたっても子供の目をしている。
昔からバイクレース、ラジコンなどのメカニカルなホビーにはめっぽう目が無い!
昨年もいきなりメールが来て、件名が【ヘリコプターを送った】だった。
私は昨年の9月にドッカーズ福岡店の開店準備で東京⇔福岡を行ったり来たりしていた
時期に送られてきたのは知っていたが開封できずに居た。
やはりメールが来て【ヘリは届いたか】と【ヘリは飛んだか?】だった。
私はその時期、本当に多忙で開けることが出来なかった。
仕方なく11年前にバンコク旅行で富塚先輩に会ったことのあるラックローズの福島店長
に開けさせ飛ばさせて、福島のコメントをもらい、いかにも自分が飛ばしたように返事をした。
でないと機嫌が悪い。
この富塚大先輩は自分で思ったことはなんでもやらないと気がすまない人で、人に同じ
ことをやらせないと、これまた気がすまない人でもあった。
当時のスズキの新橋営業所ってところはスズキの二輪営業所ではアルカトラズ島みたい
なところで、当時の新宿営業所や城東営業所では『ヘマをすると新橋営業所に飛ばすぞ!』
が社内での風評だった。
そんな中、この富塚先輩は工場長をやっていた人で、部下にはナントあの、豪放な当社
ワースワイルの先代社長で、マスターコラムにも登場した新橋界隈で酒を飲んでのスト
リートファイトではめっぽう強くて有名だった現オアシスの田久保社長や私らなどを従えて
いたスゴイ人!
それが35歳の時に急に退職届を提出し、仕事も住まいも決めないまま、奥さんと小学生
の子供二人を連れてタイへ行っちゃったんだから本当にハンパぢゃない。
でもこんな富塚先輩や田久保先輩が大好きだ。
私はとても人に恵まれている。
最近、年を取ったせいか人の縁や人との付き合いをつくづく感じる。
当社は私への印刷だけの年賀状や、お中元&お歳暮は送るなと言っている。
何故なら、そんな義理だけのことより社員やその家族同士と、年に一度だけでも良いので
食事会や親睦バーベキューに家族が来てくれる方がどんな年賀や品物よりも嬉しく思うことだから。
昔は1月3日といえば営業所の所長宅に必ずお年賀に行ったものだった。
上司や社長の家に挨拶に行かなくなったのは、いつの頃からか?
また、新入社員の頃は先輩に3度飲みに誘われたら、3度付き合うのが常識だった。
そして2年目からは3度誘われたら1度だけ断って良いと言われたね。
やはり社会勉強とは、人と人とのコミュニケーションからしか得られないものである。
にもかかわらず、ネットが蔓延し、ひとり寂しく殺戮ゲームをしたり、顔も見たことない
人を友人や親友と言い、コンビニやコインランドリーが多くなり、独身者が何不自由なく
生活ができ、出会い系サイトでの性欲だけの世界が広がり、男女の本当の恋愛が減り、
結婚を面倒臭く思う輩が多くなり、コミュニケーションから逃避する自己完結型の輩が増えている事実!
富塚先輩! 田久保先輩!
私が無機質な自己完結型人間にならぬよう、本当のご指導ご鞭撻を真剣にやって頂きまして
本当にありがとうございました。
まだまだ多忙なので疎遠になることもありますが、疎遠になりかけたらお叱りの連絡を
お願いします。
富塚先輩、今度は落ちたら壊れるヘリコプターぢゃなくてボートがいいです。
宜しくお願いしますё!
◆ワースワイルマスター◆
===【バイク買取&販売情報】==================================
バイク買取はバイク査定ドットコムのワースワイルまで
無料バイク買取査定は お気軽無料バク買取査定まで
バイク高額買取の秘密はバイク高額買取の秘密まで
バイク買うなら日本全国モトフィールドドッカーズまで
【カタナ】【Ninja】【Z】【隼】【BMW】【DUCATI】の大型バイク専門店ハックルベリーまで
ハーレーのことならHarley-Davidson専門ラックローズまで
==============================【バイク買取&販売情報】=======